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『南京新唱』100周年

会津八一の歌集『南京新唱』は1924年に刊行されたから、2024年でちょうど100年を迎える。
春陽堂から出た初版は、奥付に「三版」と刷られているが、これはフィクション。初版発行から僅か10日間で、二版どころか三版にまで至ったというのも、短歌の作品集としてはあり得ないことだ。

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会津八一の短歌は「オール平仮名」と「分かち書き」が特徴的とされるが、『南京新唱』では未だそうなっていない。本書所収の歌がおなじみの表記に変わったのは、『鹿鳴集』(1940年)に再録された時のこと。
「南京」はナンキョウと読み、奈良を指す。芥川龍之介の小説に出てくるナンキンではない。

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ほほゑみて うつつごころ に あり たたす くだらぼとけ に しく もの ぞ なき  会津八一

『鹿鳴集』の表記に従っておく。
以前これを「讃嘆のアクセル全開」と評したが、今はむしろ、仏像を形式名詞ではあれ「もの」と突き放した一抹の冷徹さにスパイスを感じる。

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「うつつごころ」も曲者だ。本作では「夢見心地」の意味なのだろうが、この語には「気持ちがしっかり定まった状態」という真逆の語義もある。仮にそこまで意識しながら読まなくとも、「うつつ(現)」の文字は、我々の目にクールに刺さってくることを免れない。
字数の関係で強引にまとめれば、陶酔に



向かうベクトルと覚醒に向かうベクトルが、微妙なバランスを保ちつつ共存している点こそ、本作の魅力だと言えはしないか?
「もの」繋がりで思い起こせば、「おほてら の まろき はしら の つきかげ を つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ」の歌も、下句には醒めた自己観察がある。
# by nazohiko | 2024-01-19 00:00 | ◆詩歌を読む

This is my 初観音

1月18日は、京都の清水寺などで初観音の行事がある。これにちなんで、取っておきの観音風景をご紹介しよう。
台湾の高雄にある化龍宮は、創建以来の小さなお堂(三太子こと中壇元帥を祀る)を、新築の壮大な覆堂ですっぽりくるんである。覆堂の天井に描かれた観音像が、ロマネスクで良い感じ110.png

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# by nazohiko | 2024-01-18 00:01 | ◇見聞を誌す

岡井隆「灰黄の……」

灰黄の枝をひろぐる林見ゆ亡びんとする愛恋ひとつ  岡井隆

慶應義塾大学三田キャンパス。
並んで直立する低層の枝に、笙のようだと目を奪われた。その数秒後、高層の枝が血管よろしく分岐するさまにも趣を感じ、後ずさりして木の全体をカメラに収めた。
岡井隆は慶應出身(キャンパスは異なるが)。

岡井隆「灰黄の……」_c0233798_21125530.jpg



私も詠んでみよう。

名告(の)らさね富太郎忌のめッけもん  謎彦

1月18日は、牧野富太郎 の命日(1957年)。
「名告らさね」は『万葉集』冒頭の歌から。
写真の木は名を告げさせるまでもなく、大きな銀杏である。



今日は慶應義塾大学の三田メディアセンター(図書館)で、企画展「スペイン中世写本の楽しみ」を観覧。
展示された写本は全て複製だが、精巧無比で一見の価値あり。
インキュナブラ(古印刷本)も若干出ており、こちらは本物。写真は、セビリャのイシドールス『語源論(Etymologiae)』の15世紀刊本。

岡井隆「灰黄の……」_c0233798_21125999.jpg



次の写真もインキュナブラ(古印刷本)であり、アルフォンソ10世『天文表(Tablas alfonsíes)』の15世紀刊本。展示はするけれども、この角度以上は開くわけにゆかない……というところからも、文化財としての貴重さと、古い刊本を保存することの難しさを窺い知ることができる。

岡井隆「灰黄の……」_c0233798_21130221.jpg

# by nazohiko | 2024-01-18 00:00 | ◆詩歌を読む

『ELLE』台湾版の黃妃インタビュー

『ELLE』台湾版に載った黃妃のインタビューが、ウェブで読めるようになった。
フルフェイスのヘルメットを被り、バイクを飛ばしながら、デビュー曲「追追追」(2000年)を練習したこと、家族と暮らす日々も歌に満ちたものであること等々、ほんわりとするような話題に満ちる。



黃妃の本領は、台湾語の演歌やムード歌謡にある。
インタビュー記事は華語(中国語)で書かれている。だが、「加速時更有一種催下去的聲音爆發力(バイクが加速する時、私の歌声もスロットルを開いたように爆発力を増すのです)」の一文に含まれる「催下去(スロットルを開く)」という表現等から、

『ELLE』台湾版の黃妃インタビュー_c0233798_20364039.jpg



インタビューの際に、黃妃は台湾語 を話していたことが窺われる。華語の中に、少なからず #台湾語 の言い回しを混ぜていたのかもしれない。
ところで、黄妃は「衣装がイマイチ」なのも魅力の一つなのだが(ごめん105.png)、ELLEのコーディネートとメイクアップはさすがに巧い。


# by nazohiko | 2024-01-17 00:00 | ◆音楽を聴く

民間信仰の台湾

「更に多くの軍事関連書籍が、B1の簡体字コーナーでお待ちしております」

台湾の大型書店、三民書局の「民間信仰」コーナーにて撮影。この貼り紙から分かることは……

①以前は「軍事」コーナーだった。
②軍事に関心を持つ読者は、敵情研究のため、中国からの輸入書籍も購入する傾向にあった。

民間信仰の台湾_c0233798_22291433.jpg



「民間信仰」のコーナーには、宗教人類学の専門書、台湾各地で信仰される神仏や、その年中行事に関するヴィジュアル図鑑、通俗的な読み物、布教を目的としたブックレット……等が賑やかに混在する。
多彩な民間信仰が生きていると同時に、民間信仰をめぐる書籍の出版も旺盛な国。それが台湾なのだ。




だが私自身は、台湾における民間信仰の根強さを手放しで肯定できない。
台湾に限らず民間信仰は往々にして、個々人のライフスタイルを何らかの「伝統」や「集団」に封じ込もうとする力になってしまうから。民間信仰と緊密に結び付いた「伝統」や「集団」自体を、再生産する力にもなってしまうから。



媽祖を拝むことや、宮廟に詣でることは悪い風習だから断ち切るべきだ……などと、皇民化運動の亡霊のようなことを言い出すつもりはない。
ただ、民間信仰に関する従来型の宗教人類学では捉え切れないような動き、例えば「我が愛する媽祖」を個人的、創造的に熱く論じるような宗教哲学が、それも一つや



二つではなく同時多発するような未来があり得るならば、素晴らしいことだと私は思うのだ。
「我がイエス」や「我が釈迦」を孤高に語り上げた人は、既に数え切れないほどいるだろう。しかし「我が媽祖」や「我が保生大帝」への自己流な熱愛で一家の言を成した人となると、まだまだ皆無に近いのでは?
# by nazohiko | 2024-01-16 00:00 | ◇意見を書く