十方に真ぴるまなれ七面の鳥はじけむばかり膨れけるかも 斎藤茂吉
『あらたま』から、1914年初頭の作品を。ここに詠まれた七面鳥は、茂吉の親友であった画家・平福百穂が飼っていたもの。下掲の画像は、百穂が同じ年に描いた「七面鳥図草稿」(武蔵野美術大学蔵)。
茂吉は、係り結びのない已然形
終止を好んで用いた。『赤光』の
「一目みんとぞいそぐなりけれ」や
「めん雞ら砂あび居たれ」はよく知られた例だが、近代短歌はこの語法を上代に学んで、強勢や詠嘆の表現に用いたのである。本作の「十方に真ぴるまなれ」は、仏典の「十方世界」に繋がるコスミックな語、"e" の母音のせいで鋭く聞こえる
詠嘆的已然形、そして2度の "促音+p" が相俟って、完全無欠を通り越した、光量過剰なまでの「昼間」を読者の脳裡に現出させる。
そうした圧倒的な抽象と、「はじけむばかり」に膨張した七面鳥の具象が響き合うところに、本作の命があると言ってよい。「七面の鳥」の字余りによって韻律にもたらされる
内圧上昇が、「はじけむばかり膨れける」という描写をアシストしている点にも要注目だ。
折れまがる部分をもたぬ小錦がため十方に真ぴるまなれ 拙作(2005年頃、首都の会にて)