『論語』は、世界最古にして天下最強の「当たり前ポエム」である。……と聞いて、思わず頷いてしまった人は注意してほしい。
『論語』の言葉を「当たり前」だと思う人が、今ここに少なからずいるのは、
『論語』に記されていることは「正しい意見」や「正しい感情」なのだと、
儒学者や支配者が長い長い時間をかけて、私たちに刷り込んできたからなのだ。
少なくとも、そういう面は確実にある。
岩波文庫に入っている、金谷治訳注『論語』のカバーに、
古い道徳主義のイメージをもつ人もあろうが、決してむずかしいことが書かれているのではない。人間として守るべき、また行なうべき、しごく当り前のことが簡潔な言葉のうちに盛られている。
と書いてあるのを目にして、
反感を覚えたのは、私が中学生の時分だったが、
『論語』という書物を、或る程度まで客観的に評価し、
その内容を、或る程度まで肯定するようになった今でも、
金谷氏の物言いは無防備(或いは狡猾)でいけないという思いは、変わっていない。