by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko


水を渡り また水を渡り

渡 水 復 渡 水   水を渡り また水を渡り

看 花 還 看 花   花を看 また花を看る

春 風 江 上 路   春風 江上の路

不 覺 到 君 家   覚えずして君が家に到る

高啓(1336-74)の詩「尋胡隠君」(隠者の胡さんを訪ねて)。
これ以上の口語訳も解説も、まるで必要としないだろう。
晦渋な作品が林立する、漢詩というジャンルにあって、
まるで奇蹟のように平明な一首である。

さて、漢詩は平仄(アクセント)を重視する。
中国語では、漢字一つ一つに固有のアクセントがあるが、
それを「平」グループと「仄」グループに大別した上で、
同じグループに属する字が、続きすぎないように、
注意深く、言葉を並べてゆくのだ。

その点で、この「尋胡隠君」の詩は、
ちょっと変わっていると、指摘されることが多い。
一行目と二行目のアクセントが、
それぞれ「仄仄仄仄仄」と「平平平平平」になっていて、
大胆な掟破りだと言われるのである。

中国語の歴史を知らない上に、
詩の響きを、頭でしか捉えられない者たちに限って、
そんなことを、得意気に語り出す。

平と仄のグループ分けは、
李白や杜甫が活躍した、
唐朝時代(618-907)の発音に基づくものである。
古い時代に、漢字をどういうアクセントで読んだか、
詩を作る者の基礎教養として、高啓も熟知していた。

しかし、彼が詩句を着想した時、
その響きは、彼の生きた時代の中国語であったはずだ。
李白の時代から高啓の時代まで、何百年も経るうちに、
中国語の発音は、現在とあまり違わなくなったと聞く。

試みに現在の発音で、一行目と二行目を読んでみよう。
すると、いずれも一字目と四字目が、
「鋭く下げるアクセント」になっており、
まさに春の闊歩のような律動を、
これらの行において、作り出していることに気付く。

渡 水 復 渡 水
(ドゥー・シュイ・フー・ドゥー・シュイ)

看 花 還 看 花
(カン・ホァ・ハイ・カン・ホァ)

「ドゥー」と「カン」だけ、ちょっと力を入れて、
日本語で「エイッ!」と言う時のアクセントで、発音してみて下さい。
私の言う意味が、わかっていただけると思う。

この詩には、冒頭の二行だけでも、
アクセント上の工夫が、他にもいろいろ見受けられるのだが、
要するに、この詩の響きは「大胆な掟破り」などではない。
耳に快い詩として、同時代の人々に向かって発信されたのである。

近代以前の詩は、ほぼ例外なく、
第一義には「耳で聴くもの」だったのだから、
私たちも、もっと耳を使って、
それらの詩に親しんでゆかなければ、トンチンカンをやらかしてしまう。# by nazohiko | 2007-03-12 18:36
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by nazohiko | 2007-03-12 18:36 | ☆旧ブログより論考・批評等
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