オペラの歌詞として、極端に言えば「音楽の添え物」として、ワーグナーの綴った言葉に触れていた時には、特に気に留まらなかったことだが、「オランダ人」は素寒貧の幽霊船を乗り回しているわけではないのだ。大抵の船なら足許にも及ばないほどの俊足であるらしく、船倉には「世にも珍らしい寶」「高價な眞珠、貴重な寶石」が満載されている。そして、これらの船自慢は、彼自身の口から上陸地の人々に語られるのである。
彼は「さすらひのオランダ人」としての境遇に、むしろ自信や得意さえ抱いてきたのではないか。それに、彼は船上でひとりぼっちでもない。腕利きの水夫が帆綱や舵輪を預かっているのであり、これらの水夫もまた「血と燃ゆる帆に、黒きマストの船」での暮らしを、必ずしも嫌ってはいないようだ。
私はこの歌劇を、やはり「さすらひのオランダ人」の物語として咀嚼したい。それは、俗世から疎外された身を持て余し、俗世へ帰還するチャンスを待ち望みながら、しかし一匹狼(あるいは反俗者たちのリーダー)としての矜恃も溢れるばかりに持ち合わせた、自意識と能力の高い壮年男性の物語である。彼のことを、「主役のゼンタ」を受け入れるためだけに、舞台に呼び出された木偶的人物であるとは思えない。
むしろゼンタの方こそ、「オランダ人」の去就に刺激を与えるだけの脇役ではなかろうか。最初から最後まで、自分が「救済の乙女」であることを高唱するばかりのゼンタは、物語を前へ進めるための装置としては十分に鮮烈だが、人物造型においては極めて大味かつ平板であり、ほとんど人の形を成していないようですらある。
※続く
# by nazohiko | 2006-09-15 00:33