「あらゆる芸術は、音楽の状態に憧れる」と言った人がいる。
私は受け入れない。
「あらゆる演劇は、儀式の状態に憧れる」と言った人がいる。
私は受け入れない。
これらは、気の利いた文句ではあるけれども、
また、クレーの絵画やワーグナーの楽劇のように、
これらの言葉に当てはまりそうな、具体的な作品を、
私は少なからず知っているけれども、
「あらゆる」という語が使われていること、
つまり、全称命題もしくは本質論として語られていることに、
私は抵抗を覚えるのだ。
音楽の状態に憧れない芸術や、
儀式の状態に憧れない演劇が、
今まで、1つも存在しなかったのか、
(或いは、そもそも存在できなかったのか)
今後も、1つとて存在しないのか、
(或いは、そもそも存在できないものなのか)
私には、ちょっと見当が付かないからである。
だから、怱卒な断言に聞こえてしまう。
かくいう私は、
私自身として音楽の状態に憧れ、
私自身として儀式の状態に憧れる。
それはつまり、
私の思考や情動が、限りなく音楽の状態に近づくこと。
私の身振りや存在感が、限りなく儀式の状態に近づくこと。
途方もない憧れだけれども。
もし、これらの言葉を発した昔の人たちが、
私と同じような心根を、秘かに持っていたのならば、
彼らに、こう呼びかけてあげたい。
「もっと単刀直入に、心の内を言えばよかったのに」と。# by nazohiko | 2006-07-05 00:25