それは、歌謡曲の言葉でいうなら「2番のサビ」に入るところ。レ・ミ・ファ#・ミ・レ・ミ・ド#・シ……と、うねるような旋律に乗って、「1番」では自信たっぷりに「だがね、こちらは秘密を握っているのだ。私の名前を知る者など、この異郷には誰もいない」と歌われた箇所が、この「2番」では、舞台裏から聞こえる女声合唱に委ねられるのです。
この合唱が女官たちを表すのか、北京の民衆なのか、台本にはっきり示されていませんが、ともかくも合唱の歌詞は「あやつの名前を誰も知らないなら、われらには、ああ、死あるのみ、死あるのみ!」というもの。彼女たちが震えるように歌う「サビの前半」を打ち消すように、再びカラフが「夜よ失せてしまえ、星よ沈んでしまえ。夜が明ければ、私が勝利するのだ!」と高音で入ってきて、やがてダメ押しの言葉「勝利するのだ!」を3度繰り返すのですが……。輝かしいサビの旋律に、前半の数小節だけとはいえ、どうしてこんなに「後ろ向き」な合唱を乗せたのだろうと、私はかねがね不満を覚えていたのです。
カラフ役のテノール歌手を休ませるためだと説明されても、カラフの強気を浮き彫りにするために、このような合唱を挿入したのだと説明されても、私は半分しか納得することができませんでした。休み時間にせよ「われらには死あるのみ」の吐息にせよ、サビとは別に設けてもよかったはずで、せっかくのサビを犠牲にしなくても済んだではないか、と。
(つづく)
# by nazohiko | 2006-05-04 00:49