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蜜柑と牛肉
庭は十坪ほどの平庭で、これといふ植木もない。
ただ一本の蜜柑があつて、塀のそとから、目標になるほど高い。 おれはうちへ帰ると、いつでもこの蜜柑を眺める。 東京を出た事のないものには蜜柑の生つてゐるところはすこぶる珍しいものだ。 あの青い実がだんだん熟してきて、黄色になるんだらうが、定めて奇麗だらう。 今でももう半分色の変つたのがある。 婆さんに聞いてみると、すこぶる水気の多い、旨い蜜柑ださうだ。 今に熟たら、たんと召し上がれと云つたから、毎日少しづつ食つてやらう。 もう三週間もしたら、充分食へるだらう。まさか三週間以内にここを去る事もなからう。 おれが蜜柑の事を考へてゐるところへ、偶然山嵐が話しにやつて来た。 今日は祝勝会だから、君といつしよにご馳走を食はうと思つて牛肉を買つて来たと、 竹の皮の包を袂から引きずり出して、座敷の真中へ抛り出した。 おれは下宿で芋責豆腐責になつてる上、 蕎麦屋行き、団子屋行きを禁じられてる際だから、 そいつは結構だと、すぐ婆さんから鍋と砂糖をかり込んで、煮方に取りかかつた。 「湯島のかげまた何だ」 「何でも男らしくないもんだらう。 ──君そこのところはまだ煮えてゐないぜ。そんなのを食ふと絛虫が湧くぜ」 『坊っちゃん』の中で、食べ物が美味そうに描かれている箇所と言えば、蜜柑の話に牛肉の話が続く、ここを真っ先に挙げるべきだろう。「もう三週間もしたら、充分食へるだらう」と言うけれども、伊予特産の蜜柑が熟する前に、「坊っちゃん」は東京へ舞い戻ってしまうことになる。 「今日は祝勝会だから、君といつしよにご馳走を食はう」と、飛び込んで来た山嵐。平生の鬱憤を忘れたかのように、今日の彼は無邪気にはしゃいでいる。「竹の皮の包」だけが描写されているからこそ、湿り気を帯びた牛肉の質感が、却って活き活きと想像されてくる。抛り投げられた肉の包みは、ずしっと畳に着地したことだろう。「かり込んで」や「煮方」といった大袈裟な表現が、「男の料理」的なお祭り気分を醸し出す。「そこのところはまだ煮えてゐないぜ」云々という言葉も、牛肉のワイルドな瑞々しさを、私たちに伝えてくれる力を持っている。
by nazohiko
| 2012-08-13 01:48
| ◆小説を読む(坊っちゃん)
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