うとうとしたら清の夢を見た。
清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしやむしや食つてゐる。
笹は毒だからよしたらよからうと云ふと、
いえこの笹がお薬でございますと云つて旨さうに食つてゐる。
おれがあきれ返つて大きな口を開いてハハハハと笑つたら眼が覚めた。
下女が雨戸を明けてゐる。
相変らず空の底が突き抜けたやうな天気だ。
旅館の下女の後ろ姿に、清の面影を求めたりはしない。清だって、「坊っちゃん」の家では下女だったのだが、彼にとって、清はあくまで「清」なのであり、旅館の下女は、あくまで無名の「下女」なのである。
かのキティちゃんは、自身が猫でありながら、ペットとして、猫とハムスターを飼っているのだという。「飼い主」の立場を得ることによって、キティちゃんに「人格」が備わるのに対して、飼われる側の猫とハムスターは、厳然と「畜生ども」の範疇に留められる。
「坊っちゃん」にとって、清は、もはや「下女」として認識されない人物だったわけだ。「清」という範疇と、「下女」という範疇の間には、いつのまにか、くっきりと一線が引かれていたのである。