by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko
最新の記事
カテゴリ
全体◆詩歌を読む ◆詩歌を読む(勅撰集を中心に) ◆詩歌を読む(野沢凡兆) ◆詩歌を読む(斎藤茂吉) ◆詩歌を読む(塚本邦雄) ◆小説を読む ◆小説を読む(坊っちゃん) ◆論考を読む ◆漫画を読む ◆動画を視る ◆音楽を聴く ◆展覧を観る ◇詩歌を作る(短歌) ◇詩歌を作る(俳句) ◇詩歌を作る(漢詩) ◇詩歌を作る(回文) ◇散文を作る ◇意見を書く ◇感想を綴る ◇見聞を誌す ☆旧ブログより論考・批評等 ☆旧ブログより随想・雑記等 ☆旧ブログより韻文・訳詩等 ☆旧ブログより歳時の話題 ★ご挨拶 以前の記事
2024年 02月2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 11月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 03月 2015年 07月 2015年 05月 2015年 02月 2014年 04月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 08月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2003年 08月 2003年 07月 2001年 04月 検索
|
親譲りの無鉄砲
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりして居る 。
幸ひ物理学校の前を通り掛つたら生徒募集の廣告が出て居たから 何も縁だと思つて規則書をもらつてすぐ入学の手続をして仕舞つた。 今考へると是も親譲の無鉄砲から起つた失策だ。 尤も教師以外に何をしやうと云ふあてもなかつたから、 此相談を受けた時、行きませうと即席に返事をした。 是も親譲りの無鉄砲が祟つたのである。 「親譲りの」というからには、「坊っちゃん」の父も、無鉄砲(結果を考えず、短絡的に行動する)だったはずだが、小説中に描かれる彼に、そんな雰囲気はない。 おやぢは何もせぬ男で、 人の顔さへ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖の様に云つて居た。 何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやぢが有つたもんだ。 無鉄砲に育った「坊っちゃん」を、口癖のように「駄目」扱いしていたが、かといって、高い社会的地位や収入を得て、名士と仰がれる人でもなかったようだ。彼は、「何もせぬ男」だったのである。財産と収入源が先細ってゆくのを、横目に見ながら、閑居していたという意味か。想像するに、若かった頃の彼は、「坊っちゃん」と同じように無鉄砲だったのだろう。江戸幕府が倒れ、士族が没落していった時代に生まれて、無鉄砲な性分が祟って、財貨を騙し取られた経験があるかもしれないし、或いは、かつての使用人に裏切られたのかもしれない。そこまで深刻な精神的打撃は、受けなかったとしても、無鉄砲な言動や行動を、周囲の人々に忌み嫌われた経験を重ねた結果、自暴自棄な「引きこもり」の後半生へ、ずるずると追い込まれていった可能性はある。彼が「坊っちゃん」に、「貴様は駄目だ駄目だ」と言い聞かせたのは、つまり、自己否定の情に基づく、同属嫌悪の表現だったというわけである。 さて、教職を約1ヶ月で辞めてしまった「坊っちゃん」だが、東京に戻ってから就いた「街鉄の技手」は、清の没後も続けているようだ。無鉄砲が看板だったはずの彼らしくもないことだが、彼の心境に、どんな変化が起こったのか。それはきっと、「東京で清とうちを持つんだ」という意志が、彼を社会生活に繋ぎ止める、強い力になったのだ。残念ながら、清は数ヶ月後に逝ってしまったけれど、その遺言「御墓のなかで坊つちやんの来るのを楽しみに待つて居ります」が、これからも、「坊っちゃん」の日々を励まし続けることだろう。父のように自分を持て余すことなく、彼は前途を開いてゆくだろう。自分を愛してくれる者の存在を確信し、「その人と一緒に未来を作ってゆきたい」と決意することによって、「坊っちゃん」は、「親譲りの無鉄砲」から解脱することができた……。これが、『坊っちゃん』最終章の真髄である。
by nazohiko
| 2012-08-13 01:45
| ◆小説を読む(坊っちゃん)
|