おれが下宿へ帰つたのは七時少し前である。
部屋へ這入るとすぐ荷作りを始めたら、
婆さんが驚いて、どう御しるのぞなもしと聞いた。
御婆さん、東京へ行つて奥さんを連れてくるんだと答へて勘定をすまして、
すぐ汽車へ乗つて浜へ来て港屋へ着くと、山嵐は二階で寐て居た。
こんなに素早く、荷作りを済ませてしまったのは、下宿の部屋に、ほとんど私物がなかったからだろう。「坊っちゃん」が「四国辺」にいたのは、僅か1ヶ月程度だったから、現地で何も買い込まぬまま、東京へ舞い戻ったのである。「萩野の婆さん」が、驚いて「どう御しるのぞなもし?」と問うが、『坊っちゃん』に「四国辺」の方言が出てくるのは、これが最後であり、なおかつ、ずいぶん久しぶりのことだ。
「赤シャツ」や「野だ」と対決する、緊迫感のある場面で、登場人物たちの発した言葉が、始めから終わりまで東京風であったのに対し、ここで緩やかな方言が聞こえてくることによって、読者の緊張が一気に解消する。昂奮状態にある「坊っちゃん」にとって、「萩野の婆さん」が、まるで蚊帳の外の人物であることを、使用言語の相違(東京言葉と現地方言)、また音調の差違(きびきび調とゆるゆる調)によって、巧みに象徴しているようでもある。
逆に言えば、「坊っちゃん」も「山嵐」も「赤シャツ」も「野だ」も、誰一人として「四国辺」の出身ではなかったことが、改めて印象付けられるのだ。