人気ブログランキング | 話題のタグを見る
by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新の記事
けふは年内立春なり
at 2024-02-04 00:00
民間信仰の台湾
at 2024-01-16 00:00
君よ知るや「迷你焙茶機」
at 2024-01-15 20:00
発車!
at 2024-01-15 13:00
今年の「恵方」は東北東……で..
at 2024-01-15 00:00
選挙見聞一斑
at 2024-01-14 18:30
Lai, Ching-Te ?
at 2024-01-14 13:00
一夜明けて
at 2024-01-14 11:00
台湾総統選挙に寄せて
at 2024-01-13 21:00
アバンティブックセンター京都..
at 2024-01-12 01:12
カテゴリ
全体
◆詩歌を読む
◆詩歌を読む(勅撰集を中心に)
◆詩歌を読む(野沢凡兆)
◆詩歌を読む(斎藤茂吉)
◆詩歌を読む(塚本邦雄)
◆小説を読む
◆小説を読む(坊っちゃん)
◆論考を読む
◆漫画を読む
◆動画を視る
◆音楽を聴く
◆展覧を観る
◇詩歌を作る(短歌)
◇詩歌を作る(俳句)
◇詩歌を作る(漢詩)
◇詩歌を作る(回文)
◇散文を作る
◇意見を書く
◇感想を綴る
◇見聞を誌す
☆旧ブログより論考・批評等
☆旧ブログより随想・雑記等
☆旧ブログより韻文・訳詩等
☆旧ブログより歳時の話題
★ご挨拶
以前の記事
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2017年 04月
2017年 03月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 03月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 02月
2014年 04月
2013年 07月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 08月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2003年 08月
2003年 07月
2001年 04月
検索


『坊っちゃん』と『うらなり』

 小林信彦の『うらなり』(文藝春秋、2006)を読んだのは、4年半ほど前のことだが、今になって、ふと思い至ったことがある。

 夏目漱石の描いた「坊っちゃん」が、「四国辺のある中学校」に赴任したかと思ったら、なんと1ヶ月で辞職して、東京に舞い戻ってきたのは、日露戦争の祝勝会が行われた、明治38年(1905)の秋だった。それから約30年後の昭和9年(1934)に、「坊っちゃん」に「うらなり君」と渾名されていた古賀と、同じく「山嵐」と渾名されていた堀田が、東京で再会を果たす。鉄道ホテルのレストランで食事を共にしながら、古賀の語り出す、あの年から現在までの身の上話が、『うらなり』と題された小説の主な内容である。『坊っちゃん』の発表(1906)から、ちょうど100年後に刊行されたことになる。

 「坊っちゃん」は、古賀にとっても堀田にとっても、僅か1ヶ月のうちに、風のように現れ、風のように消えていった人物であり、古賀や堀田の側から見れば、とりたてて懐かしむほどの旧友ではなかった。せいぜい、「古賀と赤シャツ」「堀田と赤シャツ」の対立関係や、古賀と堀田の盟友関係に茶々を入れた、傍迷惑な奴として記憶されるばかり。小説『坊っちゃん』では、徹頭徹尾「坊っちゃん」の自意識を通して、古賀や堀田との関係が物語られているから、「坊っちゃん」と堀田が刎頸の交わりを結んで、正義に燃える二人組で、弱者古賀のために助太刀したことになっているが……。なるほど、「坊っちゃん」の口から与えられた情報を、古賀や堀田の立場から読み直してみれば、彼ら二人こそが、「坊っちゃん」が着任する前からの親友なのであって、そこへ入り込めるまでに「坊っちゃん」と彼らの交流が成熟することは、「坊っちゃん」の性分が性分であるだけに、ついぞなかったのだ。「坊っちゃん」は教職を捨ててから、東京で「街鉄の技手」になったというから、昭和9年に上京してきた古賀が、「坊っちゃん」に会うことも不可能ではないはずだが、彼が訪ねた相手は、今は東京に住んでいる堀田だけであった。

 小林が想像してみせた、延岡に転勤させられてから30年間に、古賀の辿った境涯は、私の裡なる古賀像と合致しない部分が少なくなかったので、あまり承服できなかった。しかし、『坊っちゃん』の1ヶ月間を、「坊っちゃん」以外の人物の視点から語り直すことによって、既に人口に膾炙した物語を、立体的に把握しやすくしてくれたことや、そうして、特権的な語り手としての「坊っちゃん」を相対化する試みによって、「坊っちゃん」という自意識の有り様が、却って鮮やかに浮き彫りになったことは、小説『うらなり』の功績だと言えるだろう。

 今になって思い至ったことというのは、ここからである。「坊っちゃん」の四国赴任と電撃辞職が、明治38年(1905)の秋で、小説『坊っちゃん』の発表は、翌39年(1906)の春だったから、「坊っちゃん」が回想して聞かせているのは、ほんの半年ほど前の経験だ。もし、昭和9年(1934)の段階で、「坊っちゃん」があの1ヶ月を語ったとしたら、古賀にとっての「坊っちゃん」がそうであったように、いつのまにか50歳を過ぎた「坊っちゃん」の半生記の中で、古賀も堀田も、さほど懐かしくもないチョイ役として扱われてしまうに違いない。ひいては、「四国辺のある中学校」での1ヶ月間まるごとが、わざわざ詳述するに及ばない一瞬の出来事として、片付けられてしまうのだろう。

 こんな風に想像した理由は、『坊っちゃん』という小説の真髄が、紙数の大半を占める四国武勇伝にはないように、昨年あたりから、考えるようになってきたからだ。教師になって田舎へ赴任するという形で、一度は清(きよ)の懐を離れた「坊っちゃん」が、「不浄な土地」で傷つけられた心を抱えて、東京へ帰ってくるというプロセスを経て、「安住の場」としての清への愛着を、再確認する物語……それが『坊っちゃん』なのだ。再確認というより、この時に初めて、十分に自覚したと言ってよい。「清と坊っちゃんの物語」が、四国武勇伝の額縁として置かれているのではなく、二人の物語を完結に導くための、あくまで一個の契機として、冒頭章と最終章の間に、四国武勇伝が長々と挿入されているのである。東京に戻った直後の「坊っちゃん」だからこそ、記憶に生々しい四国での1ヶ月間を、あれほど詳しく語る気にもなったのだろう。その時から30年を経過した「坊っちゃん」が、幼少時代から東京帰還と清の病没までを、改めて語り出そうとするならば、自身と清との様々な思い出を述べるために、ほとんどの紙数を費やすことだろう。そうして、「清と坊っちゃんの物語」としての、「清に捧げる鎮魂歌」としての性格が、現行版の『坊っちゃん』よりも、ぐんと明確に打ち出されることだろう。
by nazohiko | 2012-08-13 01:37 | ◆小説を読む(坊っちゃん)
<< 坊っちゃんは赤シャツを撲たない もかまたり >>