「愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。」
オクターヴ・オブリ編の
『ナポレオン言行録』(岩波文庫、1983)を、大塚幸男訳の岩波文庫版で読んだのは、高校に通っていた頃だ。上記の言葉が、どうしても腑に落ちなかった。「未来を語る」というのは、素晴らしいことのはずなのに、なぜ、その役割を「賢人」ではなく「狂人」に振り分けるのか?? 「過去を語る」ことは、「愚人」の行為に過ぎないというのか??
現時点での私の受け止め方は、あの時分と異なっている。「圧倒的な逆境が、身に迫ってきた時に」という前提を付けると、ナポレオンの言葉が、十分に納得できるのだ……。「突きつけられた問題を、逃避しないで凝視できる胆力」と、「眼前の現実の中に、問題解決の糸口を発見できる知力」の有無が、「賢人」と「愚人」「狂人」の間に、一線を画するという意味なのだろう。
逆境や身の危険とは無縁な世界に生きる者は、現在のことを心配せずに、楽しい未来の建設を語っていればよい。その場合において、「未来を語る」ことは「賢人」に属する行為であろう。しかし、ナポレオンの生きた世界では、「現在を見つめ、現在を解決する」ことが、何よりも優先されなければならなかった。さもなくば、「賢人」として尊敬されないどころか、明日の命さえ覚束なかったのだから。そうした歴史的背景に気付かなくては、読解できない言葉ではないだろうか。
或いは、私もいつのまにか、少しくらいは逆境というものを知ったということか?