by 謎彦 by なぞひこ
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ゴウルデンヰイク特集 滯歐中ノ齋藤茂吉(貳)
[五月五日(土曜)、六日(日曜)、Anninger行]
青くなりし木立をゆけば留學生らしき思ひの毫(すこ)しもあらぬ 『遠遊』より。今からちょうど100年前に、ウィーンで詠まれた歌。 「留学生」と言っても、茂吉はこの時40歳。正確には中堅医学者の在外研究という位置づけであったし、折しも博士学位請求のための論文を書き上げ、「留学」の使命に一段落の付いた時期でもあったのだが、それにしても「留学生らしき思ひ」って一体何だろう。 いや、そもそも茂吉には「留学生らしき思ひ」を持って暮らさねばならぬ……と気にしていた節があるとすれば、そんな一種の律儀さ(?)って何処から来たものだろう。 #
by nazohiko
| 2023-04-30 00:01
| ◆詩歌を読む(斎藤茂吉)
ゴウルデンヰイク特集 滯歐中ノ齋藤茂吉(壹)
[四月三十日、ひとりPrater公園にあそぶ。
夜、友をフランツヨゼフ停車場にむかふ] 伯林より來れる友は長崎の同僚にしていつのまにか髭落とし居り 『遠遊』より。今から101年前に、ウィーンで詠まれた歌。茂吉の前職は長崎医専の教授である。 この歌は結句前半の「いつのまにか」を削れば、うまく短歌の定型に収まる。逆の方向から言えば、ふらふらと長い結句のもたらす脱・韻律感が、髭のなくなった旧友の顔に戸惑う感じと交響するのだ。 茂吉は仏足石歌(57577+7)も複数遺したが、この歌の「いつのまにか」は、独立した一句と見るべきほどには存在感がないので、私は短歌の結句に押し込まれたと解釈する。 #
by nazohiko
| 2023-04-30 00:00
| ◆詩歌を読む(斎藤茂吉)
偶成(Twitter摘録)
四月は残酷な月、この歌の初句が一音欠けてるやうに 謎彦
メタ短歌の試み 【参考】 ① April is the cruellest month,(T. S. Eliot) ② 「さねさし」の欠け一音のふかさゆゑ相模はあをき海原のくに(小池光) #
by nazohiko
| 2023-04-29 00:00
| ◇詩歌を作る(短歌)
謎太郎の日記(30)(Twitter摘録)
3年前までの私にとって、マスクは「仕方なく着けるもの」でしかなかった。
今の私にとって、マスクに凝ることは感染対策にとどまらず、自己表現の一つでもある。 眼鏡(これも本来は「仕方なく着けるもの」でしかなかった)に自己表現の楽しみを見出すのと、何の違いがあろう? そしてまた、今でも「コロナ」と、「コロナ」を軽んずる人たちに警戒を怠りませんよというシグナルを兼ねている。 鞄から消毒液のボトルをぶら下げているのと、通じるところがある。 #
by nazohiko
| 2023-04-25 00:00
| ◇意見を書く
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