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けふは端午節なり

今日は旧暦五月五日、端午節である。

端午の節句と言えば、あやめ。
漢字で「菖蒲」と書いてはいけない。
「あやめ」という文字のかたちが、
あの花弁の曲線をかたどっているのだから。

  ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな

言わずと知れた、古今集恋部の巻頭歌である。
「詠み人知らず」として載っているが、それでいいのだ。
具体的な人名が添えてあったら、香気が半ば消し飛んでしまう。

  昨日までよそに思ひしあやめ草けふ我が宿のつまとみるかな

拾遺集の夏部に採られた、大中臣能宣の歌。
もしかすると、「あやめも知らぬ」の作者が、
二十年くらい後になって、このように詠んだものか。

「よそ」という言葉が、王朝和歌に用いられる時、
そこには、気の遠くなるほどの心理的隔絶感が宿っている。

大中臣能宣が何歳まで独身だったのか、
どこかの本に、ちゃんと書いてあるのかもしれないが、
人品いやしからぬ晩婚の男が、旧暦五月の夕涼みに耽っている姿を、
私は、この歌の向こうに思い描くのである。

# by nazohiko | 2007-06-19 00:21
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by nazohiko | 2007-06-19 01:51 | ☆旧ブログより歳時の話題

神變忌の翌日

昨日はシンポジウム「塚本邦雄を論ずる」に参上するはずだったが、
やむなき事情のために、欠席させていただいた。
断腸の念を引きずりながら、今日見つけざまに入ってみた古書店に、
塚本邦雄の著作で、私が持っていなかったものが、
実に、どっさりと並んでいたではないか!
その豪奢な眺めを、私は半分くらい自宅に持ち帰った。

神變忌の翌日に、私をこれらの本に引き合わせてくれたのは、
塚本邦雄の霊か、はたまた杉原一司の魂であったか。

『けさひらく言葉』全2巻を、私は長らく手に入れたいと思っていたのだ。
1981年から86年まで、毎日新聞の第1面に連載されたコラムであり、
残念ながら、連載2年目の途中までしか単行本にならなかったようだ。

古今東西の詞華が、出典を含めて50字以内で紹介され、
「塚本節」による鑑賞文が、150字以内で添えられる。
新聞の紙面では、「毎日新聞」のロゴの真下が定位置だったが、
単行本では、1回分のコラムがちょうど1頁に収まる。
土曜日の掲載分には、必ず宗教的な古典の言葉が選ばれ、
日曜日には、必ず短歌または俳句が採られることになっていた。

連載当時に小学生だった私は、
毎朝の新聞で目にする、このコラムを通じて、
塚本邦雄という名前に、親しむようになった。
コラムの筆者がどのような人なのか、その頃は知る由もなく、
癖のある文体や、恐るべき博覧強記ぶりを通して、
筆者の姿形や年齢を、勝手に想像しながら、
休みなく届けられる小さなコラムを、砂糖黍のかけらのように玩味していた。

中学生になってからだと思うが、
塚本邦雄という人が、「歌人」なる肩書の持ち主であることや、
予想していたより遥かに若かったこと(当時60代)を知った。
それから後も長い間にわたって、
その人は、私にとって「コラムニスト・塚本邦雄」であり続け、
「歌人・塚本邦雄」の世界を初めて覗き込んだのは、大学1年生の夏だった。

懐かしいコラムが、部分的ながら単行本になったという消息を得てから、
私は、コラムと同じ題名の『けさひらく言葉』を探していたのである。

塚本邦雄と対面する機会は、私にはついに訪れなかった。# by nazohiko | 2007-06-10 21:31
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by nazohiko | 2007-06-10 21:31 | ☆旧ブログより随想・雑記等

鉄幹の靴

五人づれ著『五足の靴』を読み終わった。
与謝野鉄幹・北原白秋・木下杢太郎・吉井勇・平野万里が、
九州を旅して、紀行文をリレー執筆したものである。

徳山や京都に立ち寄りながら、
東京へ戻ってゆく過程を描いた幾篇には、
鉄幹の執筆であるらしいものが、続け様に現れる。
彼は、徳山で教職に就いていたことがあるが、
その夜景を「十四五年ぶりに眺めた」と述べるなど、
五人の中で、鉄幹でなくては発し得ない言葉が、
これらの篇には、姿を見せているのだ。

鉄幹が書いたらしい文章の一つ「月光」は、
徳山滞在記の第二篇に当たるが、
現地の風物や他のメンバーの様子は、ほとんど描かれない。
前半は、海辺で居眠った時に見た夢の記述であり、
後半は、宗教や宗教家というものに関する議論となっている。

鉄幹は、浄土真宗の僧侶の子として生まれたのだが、
「余の如き者には到底他力門での安心立命の出来難かった」ことを、
この文章の筆者は、告白する。
「他力門」という、本来は仏教用語であるものの中に、
浄土真宗だけでなく基督教を数え入れているのが、まず面白い。

浄土真宗の思想と、プロテスタントの思想の間に、
類似性や共通性を指摘する論は、
その妥当性はともかくも、今でこそ珍しくなくなっている。
しかし、1907年(ちょうど百年前)という段階で、
専門の宗教学者ではない者が、このように発言したというのは、
なかなかの独創性だと言えないだろうか。

面白さの第二は、
この文章では、「智識と感情」というキーワードで、
自身と宗教家たちの間に、線を引こうとするのだが、
「筆者=智識の人」vs「宗教家=感情の人」のように、
排反的な対立図式で、ありがちに片付けてしまわないこと。

そうではなくて、この文章の筆者は、
宗教家の「感情的な人柄」に敬意を表明しながらも、
自身を「智識と感情との併せて均等に発達した人柄」であると定義して、
故に、宗教家は自分を満足させるに足りないのだと説く。
「感情的な人柄」が、宗教家に劣らず発達していると自負するあたり、
「六分の侠気 四分の熱」を謳った鉄幹の面目躍如といったところ。

# by nazohiko | 2007-06-08 00:03
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by nazohiko | 2007-06-08 00:03 | ☆旧ブログより論考・批評等

ラララ科学の子

鉄腕アトムのロシア語タイトルと称して、テクノヴィッチ。
これだと「科学の子」というより「技術の子」ですが。

セレブな感じの幼妻をカタカナで表すと、コドモアゼル。


……いつもながらの旧制高校テイストにて。 # by nazohiko | 2007-06-07 00:45
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by nazohiko | 2007-06-07 00:45 | ☆旧ブログより随想・雑記等

ミューズの神を率いるアポロ

風邪の治りかけで、いつもと体調が違うせいか、
ストラヴィンスキーの「ミューズの神を率いるアポロ」を、
無性に聴きたくなってきて、
普段なら曲名すら思い出しもしない、そのCDを引っ張り出した。

絃楽合奏のために作曲された、半時間ほどのバレエ音楽である。
演奏は、マルケヴィッチの指揮するロンドン交響楽団。
5年ほど前に買い求めたが、何も感じるもののないまま、
とりあえず最後まで聴いて、それでおしまいにしていたのだが……。

表面的には、如何にも「そっけない」音楽でありながら、
その体幹に、何と豊かな「うたごころ」を蔵していたことか!

声楽的と表現してもよいような、旋律線や旋律的断片が、
曲の随所に見え隠れすることだけを言うのではない。
リズムや和声が刻々と動いてゆく様子まで含めて、
私の非音楽的な語彙力を以てしては、
「うたごころ」という渾然とした一言でしか、表せないものが、
この曲に満ち満ちていることに、初めて気付いたのだった。

風邪が治りきったら、忘れてしまう感覚なのかもしれないけど。

  硝子屑硝子に還る火の中に一しづくストラヴィンスキーの血  (塚本邦雄)

# by nazohiko | 2007-06-05 00:26
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by nazohiko | 2007-06-05 00:26 | ☆旧ブログより論考・批評等

続・蔵書印というもの

西泠印社の印泥については、
葛原妙子の歌集『朱霊』に、ちょっと出てくるのを思い出した。
西「冷」印社ではなくて、西「泠」印社というのが正しい名前なのだが、
そのことに気付いている人は、かなり少ない。
「冷」と「泠」を異体字だと思っている人もあるが、実は文字そのものが違う。

さて、印泥の主要成分である硫化第二水銀(辰砂)は、
そのままでは、人体に吸収されにくい物質であるため、
日常的な捺印に使うくらいなら、毒性を心配するに及ばない(はず)。
しかし、これを加熱すると水銀が分離して、
気化した水銀(水銀蒸気)が、空気中を漂ってしまう。
水銀蒸気は、肺から吸収されやすく毒性が高いので、
故に、印泥を火中に投じてはならない。

そこで、ふと思い至ったのだが、
印泥として硫化第二水銀を日常使用する国々では、
「左義長(とんど)」と称して、書画を焼却する行事が行われたり、
「敬字亭」と称して、書画を焚くための炉が設けられたりしてきた。

表向きには、文字に呪力が宿っているという民間信仰によるもので、
呪力を持ったものであるゆえに、
特別な時間や場所でなければ、処分できないという論理である。
だが、それだけだろうか。

書にせよ絵画にせよ、落款印が捺されることが多いし、
絵画作品であれば、絵の具としても硫化第二水銀を用いる。
こうした部分を火にくべることによって、
水銀蒸気が流出してしまうことを避ける、経験的な知恵としても、
みだりに書画を焼くことを、禁じてきたのではないか。

一枚の書画が含有するくらいの量の硫化第二水銀から、
どれくらいの水銀蒸気が出てくることになるのか、
私には分からないので、大きなことは言えないのだが。# by nazohiko | 2007-06-02 20:27
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by nazohiko | 2007-06-02 20:27 | ☆旧ブログより論考・批評等

蔵書印というもの

すっかり読み終わった本でなければ、蔵書印を捺さない。
単に「最後のページまで目を通した」というだけでなく、
今後しばらくは、その本を広げなくてよいと思えるほどに、
充実感のある付き合いが成り立った本でなければ、
ここでいう「すっかり読み終わった」には当てはまらない。

中国杭州の西泠印社(せいれいいんしゃ)で作っている、
「美麗」という濃色の印泥を、私は愛用している。
硫化第二水銀(辰砂)を油と練り合わせた、本式の印泥なので、
捺印してから2週間くらいは、吸取紙で押さえておかないと、
印泥が紙面に定着せず、お向かいのページに色が移ってしまう。
そんな不便があるので、
「今後2週間は手を触れられずともよい」と思い切れる本しか、
読了直後に蔵書印を捺すわけにゆかないのである。

硫化第二水銀は、硫黄と水銀の化合物であって、
このように書くと、恐ろしげに見えてしまうかもしれないが、
水俣病の原因となった有機水銀の類とは違って、
人体に吸収されにくい物質(水やアルコールに難溶)なので、
印肉として使う程度なら、毒性を心配するに及ばない(はず)。

読後の昂奮が冷めやらぬ、愛すべき書物から、
二週間にわたって隔離されているうちに、
自分がその本から得た知識や感興が、
初めのうちは、脳内でくるくると一人歩きするようになり、
いつのまにやら、次々と休眠してゆく。

読み終わった本に蔵書印を捺し、吸取紙をあてがい、
重しをかけて二週間ほど放置するという行為は、
それまで自分に付き合ってくれた本に、
勲章と休暇を与える行為であると同時に、
その本が、自分の脳内に注入していった諸々を、
いったん休眠させ、あるいは忘却の域にまで至らせるため、
その本を再びめくりたくてもめくれない状態に、
わざと自分を追い込むという行為でもあるのだ。

休眠や忘却と言っても、
電源を切られたメモリが、白紙状態に戻ってしまうような、
徒労感に満ちた休眠や忘却ではない。
いったん意識の水面から姿を消した後になって、
本が与えてくれた知識や感興は、真に利用可能なものとなる。

歌を詠むという営みに即して言うなら、
天衣無縫の印象を読者にもたらすような「本歌取り」は、
作者の脳内で、そのような段階に至った歌が、
自らを「本歌」として献身した場合に、
往々にして実現するのだろうと想像するところだ。# by nazohiko | 2007-06-02 01:02
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by nazohiko | 2007-06-02 01:02 | ☆旧ブログより論考・批評等