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びじねすか

帰りがけに本屋へ寄ったら、
「大特集 へそ大全」という白抜き文字が、
でかでかと目に飛び込んできて、
何かと思って凝視したら、
「月刊 剣道時代」という雑誌の七月号なのだった。

 「すべての技はへそから生まれる」賀来俊彦
 「弓なりの攻め:へそで攻める へそを攻める」千葉 仁

 【大公開わたしと剣道とへそ】
 「へそと気勢:へそ中心に構える。動的な状態こそ注意」
 「へそと重心移動:臍下丹田を意識すると安定した重心移動になる」
 「へそと攻め:鍔元の上にへそを乗せ、相手に乗る状況をつくる」
 「へそと打突:へその押し上げを意識、打突に冴えを発揮させる」
 「へそと残心:へそが引っ込んだ一本では残心の身構えはつくれない」他
  甲斐清治・角正武・藤原崇郎・蒔田実・石塚美文・重松隆・栄花英幸・
  高橋英明・江藤善久・平尾泰

 「範士松本敏夫へその教え:すべての運動は臍下丹田から発する」
 「へそを意識して会心の一本を打つ」吉成正大
 「有効打突が増えるへそ中心トレーニング」斎藤 実

という内容であるそうだ。

更に店内を漫歩していたら、
新書の表紙に刷られていた「ビジネス力(りょく)」という文字を、
全部カタカナの「ビジネスカ」と見間違えて、
それで、ひらめいたのだが、
「ビジネス・ウーマン」や「キャリア・ウーマン」を、
「ビジネスカ(Businesca)」と呼ぶのは、流行らないだろうか。
「フランチェスカ(Francesca)」みたいで、かっこいいと思うのだが。

「ビジネスカ」は「艶女(アデージョ)」に勝てるか???# by nazohiko | 2007-05-31 19:42
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by nazohiko | 2007-05-31 19:42 | ☆旧ブログより随想・雑記等

「五人づれ」って誰だと思う?

岩波文庫の新刊コーナーに
五人づれ著『五足の靴』なる一冊を見つけて、
「なんのこっちゃ?」と、手に取ってみる。
本文の始まるあたりに目を走らせるや、
「おお、これか!」と破顔一笑して、直ちに買い求めた。

明治四十年(一九〇七年)の夏休み、
若き与謝野鉄幹・北原白秋・木下杢太郎・吉井勇・平野万里が、
長崎・平戸・島原・天草などを、一ヶ月かけて遊歩した。
白秋の故郷である柳川にも、もちろん皆で立ち寄った。
彼らは旅を続けながら、「五足の靴」と題して、
紀行文を「東京二六新聞」にリレー連載したのだった。

「明星派」や「パンの会」の文人たちに関する、幾つかの本を通して、
伝説的なメンバーによる九州旅行のことや、
彼らが紀行文を連載したことは、話に聞いていたけれども、
その「五足の靴」を実見したのは、今回が初めてである。

どの回を誰が執筆したのか、ほとんど明らかでないらしく、
これまでに単行本化されたことがなく、
アンソロジーなどに収録される機会も乏しかったのは、
そこがネックになっていたからなのかもしれない。

岩波文庫の巻末解説によると、
同社の『白秋全集』に、附録として収められているそうだし、
後になって分かったことには、
『明治文学全集』の「明治紀行文学集」にも入っている。
『白秋全集』にも『明治文学全集』にも、
私は、そこそこ親しんできたつもりだが、
メジャーな巻の収録作品ではないので、
「五足の靴」とは、あいにくニアミスに終わってしまった。

誰が執筆したのか、大半の回について不明だというのが、
なるほど、無理もないことだなと思わせるほどに、
どの回も、紀行文としての目の付けどころや文体が、
互いに、かなりの程度まで似通っている。
いずれの文章もレヴェルが高く、かつ快く読めてしまうので、
そのことが、気になりにくいのだけれど、
いざ気にしてみると、なかなか不気味な現象ではある。

巻末解説によれば、
白秋の実家訪問記は、平野万里の筆によると推定され、
また木下杢太郎は、自分の書いたうちの二篇を明らかにしている。

そうと指摘されてみれば、これらの回には、
「確かに万里っぽいかな、杢太郎っぽいかな」という感触がある。
そして、その感触を手掛かりにしながら読み進めてみると、
「これは万里かもしれない、これは杢太郎かもしれない」と、
おぼろげながら筆者の見えてくる回に、
ぽつぽつと出会うことになるのだが……。
大見得を切る自信がないので、詳しい話は避けておく (^^)ゞ

# by nazohiko | 2007-05-29 00:22
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by nazohiko | 2007-05-29 00:22 | ☆旧ブログより論考・批評等

タイムマシン

もしも、人類の歴史をちょこっと書き替えて、
自分の好きな文学作品を、どれか一つだけ、
自分で執筆したことにしてしまう権限を与えられたなら、
私は、ゲーテの『ファウスト』を選ぶだろう。

とはいえ、ファウストという主人公に感情移入したり、
ファウストが辿ったような生涯を、
自分も経験したいと願ったりすることは、あまりない。
それとこれとは、別の話なのである。

感情移入ということで言えば、
古今東西の文学作品で、私が最も感情移入する登場人物は、
トルストイの『戦争と平和』に出てくる、ピエール・ベズーホフ。

かといって、もし私がタイムマシンを与えられたとしても、
『戦争と平和』の原稿を、トルストイの書斎から失敬して、
自分の名前で発表してしまおうとは、たぶん思うまい。
それとこれとは、やっぱり別の話なのだな。

# by nazohiko | 2007-05-26 15:24
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by nazohiko | 2007-05-26 15:24 | ☆旧ブログより論考・批評等

○○○○○○○●○

「8連勝で勝ち越し」とはゆかなかったが、
魁皇が9日目で勝ち越し確定。

勝ち越しは、大関として最低限の義務だから、
これくらいで喜んでいられないけど、
ひとまずおめでとう。

私の好きな力士は、
千代の富士、舞の海、そして今も現役の魁皇。# by nazohiko | 2007-05-22 00:12
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by nazohiko | 2007-05-22 00:12 | ☆旧ブログより随想・雑記等

音楽の日本座敷

  もし日本座敷を一つの墨絵に喩へるなら、
  障子は墨色の最も淡い部分であり、
  床の間は最も濃い部分である。

谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』の中で、このように書いた。
外光を身に沁み込ませて、白々と透き通った障子紙ですら、
あくまで「陰」や「翳」の領分の中で、最も明度が高いものであるに過ぎず、
ひとり「明」や「陽」の世界に属して、「陰」や「翳」と対立するわけではないというのだ。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番ハ長調、通称「ヴァルトシュタイン」を、
往年の名匠、クラウディオ・アラウが弾くのを聴いて、
谷崎が、日本座敷について述べた言葉を思い出した。

  映像ファイルA 第1楽章(途中まで)
    http://www.youtube.com/watch?v=ztIT9RLuhD4
  映像ファイルB 第1楽章(承前)、第2楽章(全部)、第3楽章(途中まで)
    http://www.youtube.com/watch?v=nMaKH9dVkBs
  映像ファイルC 第3楽章(承前)
    http://www.youtube.com/watch?v=1qW2z5xd9yM

やや濁り気味の和音が律動する低音域(主に左手が受け持つ)と、
くっきりとした軌跡で動きまわる高音域(主に右手が受け持つ)による、
いわば「ひとり二重奏」が、この曲の面白さの一つである。
古典派の音楽としては型破りな、和声進行や転調も目立つ。

低音域と高音域の性格的対照や、聴き手の不意を衝く転調ぶりを、
思いっきり前面に押し出してみせるのが、この曲の一般的な演奏スタイルになるだろう。
ところがアラウは、この曲を「一つの墨絵」として響かせたのだ。

アラウの演奏する「ヴァルトシュタイン」は、
低音域が醸し出す「濃い墨色」を、音楽の確固たる基調として、
高音域の光彩を、あくまで「墨色の最も淡い部分」として扱う。
転調によってもたらされる、音楽の流れの変化についても同様であり、
「陰」や「翳」の領分におけるグラデーションの妙として、
楽曲のすべてが表現されると言っても、過言ではない程だ。

「墨色のグラデーション」としての低音域と高音域については、
例えば、第1楽章の第1テーマ(映像ファイルAの0:43から)を、
同じく「墨色のグラデーション」として表現された転調については、
引き続き、同じ楽章の第2テーマ(1:43から、ホ長調に転じて開始)を、
聴いていただければ、その一端をお分かりになるだろう。

このような演奏スタイルが、最も本領を発揮するのは、
第1楽章の「展開部」(映像ファイルAの6:00から)や、
第3楽章の「終結部」(映像ファイルCの5:32から)のように、
既に出てきた旋律や音型が、音域や調性を目まぐるしく替えながら、
繰り返して奏でられる場面である。

或る時は、「墨色の濃淡」の距離が大きめのグラデーション、
或る時は、「墨色の濃淡」の距離が小さめのグラデーション、
或る時は、「墨色の淡い部分」に偏ったグラデーション、
或る時は、「墨色の濃い部分」に偏ったグラデーションといった風に、
「陰」と「翳」が支配する「音楽の日本座敷」を、
伸縮自在・軽重自在のタッチで、余す所なく描き出してくれるのだ。

谷崎は、日本座敷に身を置いた時の心持を、

  そこの空気だけがシーンと沈み切つてゐるような、
  永劫不変の閑寂がその暗がりを領してゐるような感銘を受ける。

と、表現した。
アラウの演奏する「ヴァルトシュタイン」に触れて、私が受けた感銘も、
結果として、谷崎の場合とほとんど同じである。

# by nazohiko | 2007-05-19 18:07
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by nazohiko | 2007-05-19 18:07 | ☆旧ブログより論考・批評等

魁皇!

今場所の魁皇は、調子が良さそうだ。

1996年の初場所14日目。
貴乃花の全勝優勝を阻んだ、魁皇の上手投げ。
その瞬間から、
私は、変わることなく魁皇びいきである。

  スーパースターのおでましに
  べンチのサインは敬遠だけど
  逃げはいやだわ

  弱気なサインに首をふり
  得意の魔球を投げこむだけよ
  そうよ 勝負よ

むかしピンク・レディーが、こんな言葉を歌っていた。
http://www.youtube.com/watch?v=e7v5wBYitL0

ピンクのサウスポーに、すっかり洗脳されてしまったのだろうか、
私は、「完全アウェー」なスタジアムで闘う奴が好きだ。

「みんなのヒーロー」に、力いっぱい反抗して、
得意の魔球で、ヒーローを討ち取ってしまう奴が好きだ。# by nazohiko | 2007-05-17 00:11
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by nazohiko | 2007-05-17 00:11 | ☆旧ブログより随想・雑記等

空に消えてった 打ち上げ花火

夜中まで机に向かうことを、余儀なくされている時、
格好のお伴は、Youtubeである。

ふと頭の隅から転がり出てきた、
懐かしい音楽や、テレビ番組の名前を打ち込んで、
検索ボタンを押すのだ。

今晩は「夏祭り」という小曲を求めて、
検索ボタンを押してみた。

ジッタリン・ジンというバンドが、
1990年に自作自演したのが、オリジナル版。
http://www.youtube.com/watch?v=dvmAfEohNag

ちょうど10年後の2000年に、
Whiteberryという、少女だけのバンドが蘇演した。
http://www.youtube.com/watch?v=2ew2k1WMt9o

両方を聴き比べてみるに、一長一短といったところ。
オリジナル版は、楽器編成と編曲が貧弱であって、
特に、単調な間奏が長々と続くのには閉口する。

Whiteberryによるリメイク版は、
伴奏部分が豊かになったことは、歓迎できるけれども、
今度は、伴奏にいろいろな要素を詰め込みすぎて、
この歌の純朴さを、損ねてしまったようでもある。

歌声については、どちらの版にも好感が持てる。
オリジナル版は、女性歌手の凜とした独唱。
リメイク版は、やや人工味を帯びた「甘ったれ声」で歌われ、
時に応じて、バンドのメンバーによる合唱になる。
ずいぶん性格が違う声音や、歌い口ではあるが、
「夏祭り」という楽曲の解釈として、
どちらにも、聴き手を納得させるものがあるのだ。

リメイク版は、
最後の言葉「空に消えてった 打ち上げ花火」を、
もう一度ゆっくりと歌って、曲を締め括るが、
これは、英断だったと思う。 # by nazohiko | 2007-05-14 01:46 |
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by nazohiko | 2007-05-14 01:36 | ☆旧ブログより論考・批評等

続々・えちうど

そして、初心者のことを「ぷれりうど」と呼ぶ……。 # by nazohiko | 2007-05-14 00:35
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by nazohiko | 2007-05-14 00:35 | ☆旧ブログより随想・雑記等

続・えちうど

昨晩の日記より。

>「かりうど」や「まろうど」に倣って、
>「修業中の身」を「えちうど」と呼ぶことを思いついた。
>練習曲(エチュード)からのヒラメキである。

そして、修業に挫折すると「おちうど」になるわけだ。

「えちうど」と「おちうど」をセットにして、
皆様どしどし使ってやって下さいませ m(__)m # by nazohiko | 2007-05-13 15:15
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by nazohiko | 2007-05-13 15:15 | ☆旧ブログより随想・雑記等

えちうど

「マクロファージ(大食細胞とも呼ばれる白血球の一種)」や
「バクテリオファージ(細菌を「食い物」にするウィルス)」に倣って、
「ごくつぶし」を「モラトリオファージ」と表現すること。

「貴腐ワイン」と「貴婦人」をかけて、
「有閑マダム」を「貴腐人」と表現すること。

既成の流行語「アブラギッシュ」を捩って、
「アララギ系の歌風」を「アララギッシュ」と表現すること。

以上は、いずれも流行させようとして失敗した。
今から十年ほど前のことだ。

ネットで「貴腐人」を検索してみると、
私の用法とはまるで違う意味で、けっこう使われている。
誰かが、私とは独立に着想したものに違いない。
うらやましいな、その流通ぶり。

今度は、「かりうど」や「まろうど」に倣って、
「修業中の身」を「えちうど」と呼ぶことを思いついた。
練習曲(エチュード)からのヒラメキである。

皆様どしどし使ってやって下さいませ m(__)m

 【 追 記 】

 念のためネット検索してみると、
 「えちうど」という文字表記の例は、既に多くあります。

 但し、管見の及んだ限り、
 それらはいずれも、「練習曲」という意味の「エチュード」を、
 本来の意味のまま、平仮名で綴ったものと解釈されますので、
 「練習に励む人」という意味にひねって、私の造語した「えちうど」とは、
 一線を画すると見なしてよいでしょう。 # by nazohiko | 2007-05-13 00:28
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by nazohiko | 2007-05-13 00:28 | ☆旧ブログより随想・雑記等