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六義園のしだれ桜

東京駒込の六義園に行ってきた。

柳沢吉保の別邸に設けられた庭園であり、
『源氏物語』の研究者として知られる北村季吟が、
古典和歌の世界をモティーフに、庭を設計した。

***

今は、しだれ桜が見頃なのだが、
庭の入口附近に、巨樹が一本あるだけで、
しだれ桜が並木を成しているわけではない。

でも、それでよいのだ。
染井吉野や八重桜とは違って、
しだれ桜が群れていては、絵にならない。
百済観音の立像のように、
孤高と豊麗を一身に体現して、
群衆の頭上高くに、聳えているべきなのだ。

***

六義園は、実は庭園全体を通じて桜が少ない。
孤高なるしだれ桜の他には、
奥に設けられた馬場に沿って、桜の木が植えられ、
桜のアーケードを形作っているのが、目立つ程度である。

そのアーケードにしたところで、
桜並木と呼ぶには、あまりに密度が淡い。
上野公園のような、桜の大盤振舞を、
六義園に求めるなら、期待外れに終わるだろう。

むしろ、六義園に造られた馬場の魅力は、
頭上に桜を浮かべる一方で、
騎馬する人の目の高さに、濃艶な牡丹を並べるという、
配色の妙にあるように、私には感ぜられる。
そして、そこに元禄趣味の一端を見出すのである。

***

春先の六義園を歩いていて、ふと思い立ったのだが、
造園術や建築術について、もうちょっと知らなくてはいけない。

心理学や、哲学の文脈における「空間論」ならば、
私は、そこそこの程度まで通暁しているつもりで、
その限りにおいて、庭園や建築を云々することを好んできたけれど、
実際に庭園や建築が作られるにあたっては、
植物学的や工学的の知識が、
空間設計上の制約として立ちはだかったり、
逆に、意外な可能性を示唆してくれたりといった事態が、
たびたび発生しているのに違いない。

そうした知識に裏打ちされた眼力を持たない限り、
日が暮れるまで庭園や建築を眺めていようとも、
決して見えてこないものが、どれほどたくさんあるのだろう。

# by nazohiko | 2007-03-31 20:46
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by nazohiko | 2007-03-31 20:46 | ☆旧ブログより論考・批評等

桜の詩

  春風
           〔唐〕白居易

  春 風 先 發 苑 中 梅

  櫻 杏 桃 李 次 第 開

  薺 花 楡 莢 深 村 裡

  亦 道 春 風 爲 我 來

    春風は、まず庭の梅を開花させ、
    そうすると桜・杏・桃・李が、相次いで開いてゆく。
    薺(なずな)の花や、楡(にれ)の実もいっぱいの、山奥の村。
    そしてまた春風は、私のためにも吹いてきてくれるのだ。

    はるかぜに 梅の花めざめ
    桜 あんず 桃 すもも ほほゑみ
    なづなの花 にれの実 こぼるる 山ざと
    そのはるかぜに わが衣手は 

桜を詠んだ日本の詩歌は、枚挙に暇ないが、
桜が出てくる漢詩は、日本人の作ったものにも多くない。

今回ご紹介する詩は、
「長恨歌」で知られる白居易(白楽天)の作品である。
中国の文人は、桜よりも梅や牡丹が圧倒的に好きで、
この七言絶句「春風」でも、
やはり桜は、梅にトップスターの座を譲っている。

白居易がこの詩を作ったのは、六十一歳の春のこと。
前年に息子を失ってしまった老詩人の、復活の歌であった。

白居易を愛読していたという菅原道真は、
太宰府へ追放されて以後、
この詩を、どのような気持ちで眺めたことだろう。
かつて、白居易のために吹いた春風は、
道真の胸襟にも、穏やかに吹き込むことがあっただろうか。 # by nazohiko | 2007-03-30 23:36
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by nazohiko | 2007-03-30 23:36 | ☆旧ブログより韻文・訳詩等

鮭の皮

今晩は、池袋のタカセで、
サーモン・ステーキを食べた。
パリパリ感としっとり感を両立した、
鮭の皮の焼き具合に、好感を持った。

上手に料理された鮭の皮は、
身の部分に勝るとも劣らないほど、旨いものだ。

鮭の皮と言えば、
松平定信の随筆集『花月草紙』に、
こんな話が載っている。

アイヌ人には、鮭の皮で靴を作る習俗があったが、
それをヤマトの人が見て、
「あなた方は、鮭は神々からの授かり物だと言いながら、
そんな鮭の皮を踏んづけているとは、罰当たりな話だね」と
突っ込みを入れた。
すると、アイヌ人が突っ込み返して言うには、
「あなた方が履物にしているのは、米の獲れる草ではないかね」。

松平定信は、お堅い政治家だった一方で、
自身が属するヤマトの文化を、
軽やかに相対化してみせた文人でもあった。# by nazohiko | 2007-03-14 23:37
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by nazohiko | 2007-03-14 23:37 | ☆旧ブログより論考・批評等

水を渡り また水を渡り

渡 水 復 渡 水   水を渡り また水を渡り

看 花 還 看 花   花を看 また花を看る

春 風 江 上 路   春風 江上の路

不 覺 到 君 家   覚えずして君が家に到る

高啓(1336-74)の詩「尋胡隠君」(隠者の胡さんを訪ねて)。
これ以上の口語訳も解説も、まるで必要としないだろう。
晦渋な作品が林立する、漢詩というジャンルにあって、
まるで奇蹟のように平明な一首である。

さて、漢詩は平仄(アクセント)を重視する。
中国語では、漢字一つ一つに固有のアクセントがあるが、
それを「平」グループと「仄」グループに大別した上で、
同じグループに属する字が、続きすぎないように、
注意深く、言葉を並べてゆくのだ。

その点で、この「尋胡隠君」の詩は、
ちょっと変わっていると、指摘されることが多い。
一行目と二行目のアクセントが、
それぞれ「仄仄仄仄仄」と「平平平平平」になっていて、
大胆な掟破りだと言われるのである。

中国語の歴史を知らない上に、
詩の響きを、頭でしか捉えられない者たちに限って、
そんなことを、得意気に語り出す。

平と仄のグループ分けは、
李白や杜甫が活躍した、
唐朝時代(618-907)の発音に基づくものである。
古い時代に、漢字をどういうアクセントで読んだか、
詩を作る者の基礎教養として、高啓も熟知していた。

しかし、彼が詩句を着想した時、
その響きは、彼の生きた時代の中国語であったはずだ。
李白の時代から高啓の時代まで、何百年も経るうちに、
中国語の発音は、現在とあまり違わなくなったと聞く。

試みに現在の発音で、一行目と二行目を読んでみよう。
すると、いずれも一字目と四字目が、
「鋭く下げるアクセント」になっており、
まさに春の闊歩のような律動を、
これらの行において、作り出していることに気付く。

渡 水 復 渡 水
(ドゥー・シュイ・フー・ドゥー・シュイ)

看 花 還 看 花
(カン・ホァ・ハイ・カン・ホァ)

「ドゥー」と「カン」だけ、ちょっと力を入れて、
日本語で「エイッ!」と言う時のアクセントで、発音してみて下さい。
私の言う意味が、わかっていただけると思う。

この詩には、冒頭の二行だけでも、
アクセント上の工夫が、他にもいろいろ見受けられるのだが、
要するに、この詩の響きは「大胆な掟破り」などではない。
耳に快い詩として、同時代の人々に向かって発信されたのである。

近代以前の詩は、ほぼ例外なく、
第一義には「耳で聴くもの」だったのだから、
私たちも、もっと耳を使って、
それらの詩に親しんでゆかなければ、トンチンカンをやらかしてしまう。# by nazohiko | 2007-03-12 18:36
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by nazohiko | 2007-03-12 18:36 | ☆旧ブログより論考・批評等

壊れかけのRadio

ドラえもん映画のリニューアル第2作
「のび太の魔界大冒険」を観ようと思って、
冷たい風の中を、出かけたのだったが、
映画館の大看板に描かれた、
新デザインの登場人物たちを目にしたら、
観たいという気持ちが、すっかり萎えてしまった。

回れ右して、駅へ歩きはじめた刹那に、
徳永英明の「壊れかけのRadio」という歌が、
どういうわけか、頭の中を巡り出して、
そのまま、いつまでも止まらなくなった。

かつて、「都会の森」という番組の主題歌だったので、
私は、この曲を知っていた。
高嶋政伸が、司法修習を終えたばかりの弁護士を演じた、
1990年(今から17年前)の連続ドラマである。

帰宅してから、Youtubeで「壊れかけのRadio」を検索し、
様々なヴァージョンに、心ゆくまで聴き入った。

http://www.youtube.com/watch?v=68RpbSXpDtM
            (昨年の紅白歌合戦より)
http://www.youtube.com/watch?v=Pid4ZsIk7DA
            (音楽番組の一部分か)
http://www.youtube.com/watch?v=J_Lq5R8rG4s
            (作り込まれたミュージック・ヴィデオ)

どうして、こんなにも唐突に、
ずいぶん昔の流行曲を思い出したのだろう。

いくつか思い当たるフシもあるのだが、
それはともかく、
長州小力・レギュラー松本・カンニング竹山など、
お笑い芸人が「壊れかけのRadio」を歌う映像が、
Youtubeを検索すると、いくつも出てくるのが興味深い。

http://youtube.com/watch?v=gm5zUbbrHSM
            (長州小力)
http://youtube.com/watch?v=tyYh5dndiow
            (レギュラー松本)
http://youtube.com/watch?v=wJvzVMLojvs
            (カンニング竹山)
http://youtube.com/watch?v=pl33U3wmhVQ
            (力士引退後の大至)

そして、彼らの歌い口は、
揃いも揃って、徳永英明にそっくりなのである。
ちょっとやそっとの思い入れでは、ここまで似てくるまい。 # by nazohiko | 2007-03-11 22:54
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by nazohiko | 2007-03-11 22:54 | ☆旧ブログより随想・雑記等

ザ・マジック

誰に話しても、信じてもらえなかった。
幼い頃に一度だけテレビで見た、
手品をしながら歌う、中途半端なアイドル歌手のことを。

「ザ・マジック」というベタベタな曲名と、
「ああ、魔法が効かない。あなたは遠ざかる」という
トホホな歌詞だけが、はっきりした記憶の全てだった。

インターネットの時代になってから、
それらを手掛かりにして、
「ザ・マジック」という歌が、
やっぱり実在したことまでは、突き止めることができた。

そして、今晩、
ふと思い立って検索したYoutubeで、
ついに「ザ・マジック」の録画を、掘り当てたのである。

http://www.youtube.com/watch?v=-WHY1qUmRIs

トロイやミケネが、架空の都市ではなかったことを証明した
シュリーマンの気持ちを、ちょっとだけ実感できた。

歌手の名前は、朝風まり。
後に改名して、二代目引田天功(プリンセス・テンコー)となった。 # by nazohiko | 2007-03-10 09:53
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by nazohiko | 2007-03-10 09:53 | ☆旧ブログより随想・雑記等

謎太郎の日記(8)

  学問的真理の「無力」さは、
  北極星の「無力」さと似ている。

  北極星は
  個別的に道に迷った旅人に手をさしのべて、
  導いてはくれない。
  それを北極星に期待するのは、
  期待過剰というものである。

  しかし北極星はいかなる旅人にも、
  つねに基本的方角を示すしるしとなる。
  (自分に敵意をもった人にも、好意をもつ人にも差別なしに。)

  旅人は、自らの智恵と勇気をもって、
  自らの決断によって、したがって自らの責任において、
  自己の途をえらびとるのである。

  北極星はそのときはじめて
  「指針」として彼を助けるだろう。

  「無力」のゆえに学問を捨て、軽蔑するものは、
  一日も早く盲目的な行動の世界に、
  感覚(手さぐり)だけに頼る旅程に飛びこむが良い。

丸山眞男の『自己内対話』より。
引用にあたって、改行と分段を加えた。

この言葉を、額面通りに受け取って、
感涙にむせぶほど、私はウブじゃない。

客観的で普遍的な公理や定理から、
最も(?)縁遠い学問であることを宿命づけられた
政治思想史の研究を、骨の髄まで噛み分けた丸山が、
あえて、このように言い放ったのだ。

その意味を、私は幾年も思案している。
「祈り」というキーワードを使うと、
何となく、きれいに納得できるような気がしてくるのだが、
じゃあ「祈る」という行為について、
私の中で、どのような定義がされているのか?

宗教的な発想や感覚から、最も(?)縁遠い私が、
「祈り」という単語を、安易に持ち出すべきではない。# by nazohiko | 2007-03-06 12:50
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by nazohiko | 2007-03-06 12:50 | ☆旧ブログより論考・批評等

さらば地球よ(1)

「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を、
日本語版・英語版・広東語版で聴けるヴィデオ。
http://youtube.com/watch?v=9oiTwLYpdeY

1番(日本語)には、
テレビアニメ第1作のオープニング映像を、
2番(英語)には、
テレビアニメ第2作のオープニング映像を、
3番(広東語)には、
テレビアニメ第3作のオープニング映像を配するという、
細かいところの凝りように、
ヤマトの諸君は、ぜひ気付いてもらいたい。

そして、全体の序奏として、
映画の第1作で流れた、男声合唱が使われている。
ヴィデオを締め括るのは、
映画第2作「さらば宇宙戦艦ヤマト」のラストシーンで、
ヤマトが敵と相討ちになる時の火柱だと思うのだが。

英語圏では「Star Blazers」という題名で放送されたので、
2番(英語版)では、
歌詞の中で「宇宙戦艦ヤマト」に相当する部分が、
「Our Star Blazers!」と歌われている。
「もし1年以内に帰れなければ、母なる地球は消え失せる」という、
物語の内容を踏まえた歌詞も、聞き取ることができる。

3番(広東語版)は、よく分からない部分もあるのだが、
とりあえず、ヤマトが「大和號」と呼ばれていることは確かである。

英語版も広東語版も、日本語版とは編曲が異なるが、
ソプラノ独唱をバックに添えることだけは、きちんと踏襲している。
これがなくてはヤマトの主題歌と言えない、あの声である♪

# by nazohiko | 2007-03-06 00:27 |
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by nazohiko | 2007-03-06 00:27 | ☆旧ブログより論考・批評等

ハイヂ

岩波文庫の「リクエスト復刊」シリーズは、
1991年の3月(16年前のちょうど今頃)に始まったが、
その第1期に、『アルプスの山の娘(ハイヂ)』は入っていた。
作者はヨハンナ・スピリ、訳者は野上弥生子、
初版が出たのは、遠く1934年のことだ。

主人公の名前は"Heidi"と綴るので、
「ビルヂング」や「スタヂアム」と同じ道理で、
「ハイジ」ではなく、「ハイヂ」と表記されたわけである。

一読して、これは「ハイヂの物語」ではないと悟った。
むしろ、「アルムをぢさん」と「クララ」が、
ハイヂという破格な少女と触れ合うことによって、
心の傷を癒し、人間の世界と和解してゆく物語なのだ。
アニメと違って、原作の小説では、
彼らの姿にスポットライトが当てられることが多い。# by nazohiko | 2007-03-05 00:24
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by nazohiko | 2007-03-05 00:24 | ☆旧ブログより論考・批評等

内田恭子の中国語

全日空のテレビCMで、
アナウンサーの内田恭子が、中国語をしゃべる。
http://www.ana.co.jp/int/campaign/china20th/tvcm.html

撮影用の、にわか仕込みなのだろう。
ヘタクソぶりが、面白いといえば面白いのだが、
どうせ面白さを狙うなら、
もっとメチャクチャな棒読みでも、よかったのではないか。

ずいぶん昔になるが、こんなCMがあった。
東南アジアの人が、日本語で話しかけてくるのだが、
「ニッポンノ、ミナサン!」という最初のところ以外は、
何を言っているのか、まるで聞き取れない。
たぶん、その場でローマ字を読んでもらったのだろうが、
あの「日本語もどき」の響きを、今でも鮮烈に覚えている。# by nazohiko | 2007-03-03 10:40
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by nazohiko | 2007-03-03 10:40 | ☆旧ブログより論考・批評等