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紙幣で折り紙

『おとなのおりがみ』(アル中Masa著、山と渓谷社刊)という本を、
八重洲ブックセンター1階レジ脇の、新刊コーナーで見つけた。

少しずつブームになってきた、紙幣を使った折り紙である。
紙幣に描かれた肖像や模様を、うまく活かすのがポイントだ。
上記の本の著者とは、違う人の作品だけれど、
「ターバン野口」を、御覧になったことはないだろうか。

【旧ブログには画像あり】

興奮しながら、本を手に取ってみたが、
面白い作品を紹介することよりも、
作り方を解説することに重点が置かれていた。
つまり、作品のカラー写真が少なく、
作り方の図解が、延々と続いてゆくのである。
自分でも作ってみたいという読者には、重宝な情報であろうが、
私も含めて、大多数の者が期待するのは、
痛快な作品を、次から次と見せてくれるような本ではないか。
作り方を知りたいという欲求は、その後に生じてくるものだ。

そういうわけで、買わずに帰ったのだが、
店員さんが本を見ながら作ったと思われる、
紙幣による折り紙の数々が、本のそばに陳列されていたのが、
とても私の気に行った。
これは、なかなかの見物なので、
八重洲にお立ち寄りの際には、足を運ばれることをお勧めする。

この日、私が購入したのは、
『だまされる視覚―錯視の楽しみ方』(北岡明佳著、化学同人刊)。

以前に、ここでも紹介したことのある、
錯視の研究を専門とする知覚心理学者の著作であり、
錯覚を催す図版がたっぷり入っているのが、何はさておき楽しい。
著者のホームページにも、いろいろ掲載されているので、
ぜひ覗いてみていただきたい。
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/

# by nazohiko | 2007-02-07 00:28
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by nazohiko | 2007-02-07 00:28 | ☆旧ブログより論考・批評等

年の内に春は来にけり

立春に当たる今日は、
旧暦では、まだ前年の12月17日なので、
「年の内に春は来にけり」ということになる。

立春の定義は、旧暦においても新暦においても、
「太陽黄経が315度である時点」である。
簡単に言えば、立春のタイミングは、
太陽と地球の位置関係によってのみ、測定されるのだ。

これに対して、旧暦の日付は、
太陽と地球の位置関係にも、幾分の注意が払われるけれども、
基本的に、月と地球の位置関係によって計算される。

つまり、立春(旧暦も新暦も共通)と旧暦元旦は、
それぞれ異なる原理によって、タイミングが決まるわけであり、
結果として、立春の後に旧暦元旦が来る年と、
旧暦元旦の後に立春が来る年が、ほぼ半々の頻度で生じることになる。

「年の内に春は来にけり」は、珍しいことではないのだ。
一昨年もそうだったし、来年もそうなることが分かっている。
だから、在原元方がこのように詠んだ年を、
「年内立春」だけを手掛かりに、特定するわけにはゆかない。
76年に1度しか見えないハレー彗星とは、話が違うのである。

# by nazohiko | 2007-02-04 00:03
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by nazohiko | 2007-02-04 00:03 | ☆旧ブログより歳時の話題

吉野秀雄の『寒蝉集』(3)

そんな『寒蝉集』の白眉は、
妻の病逝の前後を描いた、歌集冒頭の「玉簾花」101首や、
同じく序盤に置かれた挽歌「彼岸」13首ではなく、
しばらく旅行詠が続いた後、歌集のちょうど真中に現れる
「病臥二旬」20首(末尾に「紅梅」2首を附す)であると思う。

●吾妹子(わぎもこ)が位牌の前に血しほ吐き事態をなげくゆとりだもなし
●血をはきし病の床(とこ)に腕伸べて柱をたたく何のなぐさぞ
●関東地区空爆の夜なり痰壺を闇につかみて血を吐くわれは
●大挙夜襲を告ぐるラヂオの一点の燈(あかり)みつめて病めば苦しゑ
●夜襲爆撃のあやしき闇にたまきはるいのち潜めて血ははき吐きつ
●折からの庭の菜の花雪柳瓶(かめ)に盈(み)てしめて血を吐きくらす

芝居臭さと紙一重のハイ・テンションで始まった一連は、

●枕より一人静(ひとりしづか)の鉢みれば春深むまで病みこやりけり
●薬のむ毎に吸呑(すひのみ)の水かけてひとりしづかの鉢をつちかふ

これら2首から成る、つかの間の緩徐楽章をブリッジとして、

●病牀(やみどこ)に香りをおくる沈丁花植ゑにし妹(いも)のまたかへらめや

と、歌集を統べる「妻との死別」の主題と合流してゆく。
(万葉語の「妹」が妻を指すことは、注記するまでもなかろう)
その途端に、この一連は最大音量に到達するのだ。

●仏妻(ほとけづま)口がきけぬをうつたふる世にも悲しき夢見つるかも

これより後の6首は、蛇足と言い切ってしまっても悔いはない。

とはいえ、そういう印象は、
あくまでインパクトの度合についての話であって、
附録の「紅梅」2首を含めたラスト3首は、
一連の結びとして、十分に存在意義を備えている。

●枕辺の春も逝くべく花すもも緋の毛氈(まうせん)に散りかかるなり

 (以下「紅梅」)

●紅梅をふたたび君の給(た)びしかば紅梅の瓶(かめ)に紅梅を挿す
●わが壁の多胡(たご)のいしぶみの墨摺(すみず)りにかなひて映えつ紅梅の枝

結核の悪化による吐血の色として、
一連の前半に、あれほど横溢していた赤色が、
「赤は血の色」というイメージを、最後まで引きずりつつも、
ここに至って、花弁や毛氈という
「春っぽい物」の色へ転化させられてゆく。

なおかつ、とりわけ「紅梅」2首においては、
紅梅という赤いもの(どうしても血を連想させるもの)が、
「紅梅の瓶に紅梅を挿す」や
「いしぶみの墨摺りにかなひて映えつ」のように詠まれることで、
病者の心身が、秩序を回復しつつある様を暗示するのである。
一連の前半では、悲愴な登場の仕方をしていた「瓶」が、
喜ばしい器として再登場してきたことも、注目に値するだろう。

【旧ブログには画像あり】

画像は、群馬県に現存する「多胡碑」の拓本。
これが、「多胡のいしぶみの墨摺り」である。
奈良時代の初期に、多胡郡の設置を記念して建てられた。

※続く

# by nazohiko | 2007-02-03 00:53
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by nazohiko | 2007-02-03 00:53 | ☆旧ブログより論考・批評等

吉野秀雄の『寒蝉集』(2)

私の裡にたゆたう、曖昧だが豊麗な吉野秀雄像に、
幾つかの無造作な言葉を、当てはめようとすることによって、
味気なく矮小化してしまう愚行を、あえて犯すならば、
例えば「ナルシシズムすれすれのロマンティシズム」が、
この歌集に収められた数々の挽歌に、吹き込まれており、
それが読者に、陶酔的な昂揚をもたらすのである。
挽歌というジャンルの性格上、
マゾヒスティックの要素を、幾らか帯びた陶酔なのだが。

一首一首における、修辞の技巧や、
歌集全体の構成といった、様々のレヴェルまで含めて、
吉野秀雄を「挽歌のエンターテイナー」と呼んでも、冒涜になるまい。
挽歌をエンターテインメントの域に堕落させたり、
すり替えたりしたという意味ではなくて、
一級の挽歌でありつつ、一級のエンタメでもあるような作品が、
『寒蝉集』には、満ち満ちているのである。
そんな挽歌を実現できた歌人は、
近代の歌人では、他に「死にたまふ母」の斎藤茂吉くらいだろうか。

※続く

# by nazohiko | 2007-02-01 00:51
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by nazohiko | 2007-02-01 00:51 | ☆旧ブログより論考・批評等

BLOODY HELL

メルボルン市とカンタス航空が合同で出した広告に、
「で、なんでオーストラリアへ来ないの?」と書いてある。

ははあ、これは多分、
"Why don't you visit Australia?"(オーストラリアへおいでよ)という
如何にも英語的な表現を、日本語に直訳したんだろうと思いきや、
右側に、原文らしいものが大書してあって、
"SO WHERE THE BLOODY HELL ARE YOU?"というのであった。
「あんた、どこの血の池地獄をさまよってんだい?」位の意味になるか。

少々どぎついけれど、これがオーストラリア流の呼びかけなのかも。

# by nazohiko | 2007-02-01 00:27
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by nazohiko | 2007-02-01 00:27 | ☆旧ブログより随想・雑記等