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東京フィルハーモニー交響楽団演奏会 寸感

◆モーツァルト 交響曲第32番 ト長調
◆モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」 イ長調
◆ブラームス 交響曲第2番 ニ長調

 指揮 金聖響(きむ・せいきょう)
 ヴァイオリン独奏 二村英仁(にむら・えいじん)

 2月24日午後3時
 文京シビックホール

十分な安定感と、若干のダンディズムを以て、
低音絃楽器がアンサンブルを支える様が、とても快かった。

フルートとオーボエの功労も目立った一方で、
高音絃楽器は、音像がやや細すぎるように思われ、
ホルンやトロンボーンは、
他の楽器とタイミングが揃わないことが、幾度かあったが、
楽曲が、ある程度の音量とテンポに達してしまえば、
それらの欠点は、とりあえず気にならなくなった。

金聖響の音楽づくりは、3つの曲目を通じて、
重厚な響きで、滔々と前進してゆくという風であった。
そのような意味でも、今日の演奏会は、
トゥッティ(総員合奏)の魅力を楽しむべきものだったと言える。

一方で、モーツァルトやブラームスの音楽には、
たった一つの音符や、たった一つの音色が登場することによって、
音楽の表情をふわっと変えてしまう瞬間が、多々あると思うけれども、
そうした部分を、分かりやすく示してくれる演奏でもあった。
「不易」に立脚しながら、「流行」にも目配りした演奏と言えようか。

二村英仁のヴァイオリン独奏は、
速いフレーズを弾く時に、音程を揺るがせにする傾向があった。
音の美しさはなかなかの水準であるだけに、惜しいことだ。# by nazohiko | 2007-02-25 10:56
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by nazohiko | 2007-02-25 01:19 | ☆旧ブログより論考・批評等

天然の良港

分かったようで分からない言葉だが、
何となく気持ちの良くなる言葉ではある。

和英辞典に拠ると、
英語では「a good natural harbour」というらしく、
確かに、英語のウェブサイトを検索してみると、
ネイティヴ・スピーカーによる用例を、
いくつか見ることができた。
「天然の良港」は、ここから訳されたものではないか。

近代の中国語には、
もっと近い「天然良港」という表現があるけれども、
これは、日本語から輸入された語彙だろう。
明治時代の日本は、
西洋の科学用語や産業用語を、漢字に翻訳して、
東アジアの各地へ供給する、一つの貿易港だったのだ。# by nazohiko | 2007-02-23 12:55
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by nazohiko | 2007-02-23 12:55 | ☆旧ブログより論考・批評等

ふじわら の のりか

「平家の血を引く藤原紀香」という文言を、
最近のニュース記事に、よく見かけるのだが、
彼女は、どうして平家なのに藤原を名乗っているのか?

正解を言えば、
姓が「平」で、氏が「藤原」なのだ。
古代から明治時代の初期まで、姓と氏は異なる概念だった。
言い換えれば、姓と氏の両方を持つのが正式だったのである。

古代の血縁集団は、もともと姓だけを持っており、
天皇から与えられるという形式によって、
その使用権(独占的に使用する権利)を保証されていた。
蘇我・大伴・藤原・橘・源・平などが、これに当たる。

ちなみに、天皇は「姓を与える側」の役目にあり、
誰かに「姓を与えられる側」の立場になかったので、
皇族という血縁集団は、姓を持つことがなかったわけである。

やがて、藤原姓や源姓を初めとして、
ひとつの血縁集団が、いくつもの家系に分かれてゆくと、
居住地や世襲官職の違いに応じて、
それぞれのサブ・グループを識別するマークとして、
氏というものが、生じるようになった。

例えば、藤原という姓を持つ血族集団の中で、
摂政関白を世襲する家系は、九条氏を名乗り、
歌道を相伝するようになった家系は、六条氏を名乗り、
蹴鞠の専門家に特化した家系は、飛鳥井を名乗った。
これらは、世襲官職によって氏が分かれた例である。

居住地によって氏が分かれた例としては、
源姓の武家集団の中で、
下野国足利荘を領有したために、足利氏を名乗った者たちや、
上野国新田郡を根拠地としたため、新田氏を名乗った者たちを
挙げることができる。

氏は、あくまでサブ・グループの名称なのであり、
近衛氏のメンバーも、六条氏のメンバーも、
自分たちが藤原姓の一員であることを、忘れることがなかった。
同様に、足利氏のメンバーも、新田氏のメンバーも、
自分たちが源姓集団の一部分であることを、自覚していたのだ。
また、朝廷では依然として姓のみが使われ続けたから、
九条兼実は「藤原兼実」として関白に任命され、
足利尊氏は「源尊氏」として将軍に任命されたのである。

藤原や源や平は姓であり、九条や足利は氏である。
だから、「藤原氏」や「源氏」という呼び方は、
厳密に言えば、誤りであるということになる。
同じ理屈によって、
「平氏」は誤りだが、「平家」と呼ぶなら問題ないと言える。

藤原紀香が、本当に平姓集団の後裔だとすれば、
かつて「藤原」という名の土地に定住し、
その地名にちなんで、藤原氏を名乗ったサブ・グループなのだろう。

姓の後には「の」を付けるが、
氏の後には付けないのが、古来の慣習である。
「藤原鎌足」や「源頼朝」には、「の」が入るけれども、
「飛鳥井雅経」や「足利尊氏」には、「の」が入らない。

藤原紀香が、もし「藤原姓の紀香さん」であったならば、
その名前は「ふじわら の のりか」と読まれることになるが、
「平姓の中の藤原氏の紀香さん」であるというからには、
「ふじわら のりか」と読まれなくてはならない。
但し、古式ゆかしく「平紀香」と称する場合には、
「の」を入れて、「たいら の のりか」と読まれるのである。 # by nazohiko | 2007-02-21 00:34
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by nazohiko | 2007-02-21 00:34 | ☆旧ブログより論考・批評等

けふは大晦日なり

いわゆる「旧暦」の大晦日が巡ってきた。
『源氏物語』の本篇は、この日を以て締め括られる。

旧暦は、太陰太陽暦に分類されるものであって、
月(moon)が満ち欠けする周期が、月(month)の長さになる。

月(moon)は、約29.5日の周期で満ち欠けするが、
「1ヶ月=29.5日」としたのでは、明らかに不便なので、
30日からなる月(month)と、29日から成る月(month)を、
1年の中に6つずつ置くことで、小数点以下を調整する。
これが、旧暦における「大の月」と「小の月」である。

新暦の大晦日は、「12月31日」という日付になるが、
旧暦の大晦日は、「12月29日」または「12月30日」となり、
今年は12月が「大の月」であるから、大晦日の日付は後者の方になる。

旧暦には、絶対に「31日」という日付がないし、
新暦2月のように、28日で終わってしまう月(month)もない。
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by nazohiko | 2007-02-17 21:30 | ☆旧ブログより歳時の話題

吉野秀雄の『寒蝉集』(4)

歌集『寒蝉集』に収められた441首のうち、
冒頭の一連「玉簾花」101首から
「仰寒天正述傷心」10首までの、合計151首が、
妻への挽歌と言える内容になっており、
ここまでで、歌集全篇の三分の一を占める。

その後は、伊豆や奈良への旅が歌われてゆくが、

●亡き者の手紙身につけ伊豆の国狩野(かの)の川辺の枯草に坐(を)り

●夜の汽車の暗き灯(ほ)かげにとりいでぬ亡妹(なきも)が書写の傘松道詠(かさまつだうえい)

等とあるように、
「死別の痛手を慰藉するための旅」という基調音が、
これらの旅行詠のところどころに姿を現す。

また、羅列される旅行詠の間を縫うようにして、
「吉野秀雄の『寒蝉集』(3)」で紹介した「病臥二旬」22首や、
妻の忌日を歌う「亡妻小祥忌前後」15首が置かれるのであり、
『寒蝉集』という歌集の、実にほとんどの部分が、
広い意味での「妻への挽歌」であると言うことができる。

以上に対して、
歌集末尾に配された母への挽歌「たらちねの母」は、
附録された「上州富岡にて納骨の折に」3首と、
「またおもひいでて」1首を加えても、
僅かに21首(歌集全体の二十分の一)を数えるのみ。

数が少ないこともさることながら、

●仏妻(ほとけづま)口がきけぬをうつたふる世にも悲しき夢見つるかも

等の作品に見られるように、
吉野において、亡き妻はどこまでも「妻」として認識され、
彼女が「仏」に昇華してゆく過程は、遅々として進まない。
それゆえに、彼女は常に「悲傷の対象」として歌われるのだが、

●蝋の灯(ひ)の五つの彩(あや)の暈(かさ)奇(くす)し死にませる母のその枕辺に
●息の緒(を)の絶ゆればすでにみ仏の母に唱ふる称名念仏

母の死に寄せられる感懐は、あっけないほど速やかに、
「死者が仏となる」の語りの中へ、回収されてしまうのである。

また、吉野の母は浄土真宗の信徒であったというが、

●在りし日の母が勤行(つとめ)の正信偈(しやうしんげ)わが耳底(みみぞこ)に一生(ひとよ)ひびかむ

まるでダメ押しのような、この歌を以て、
母への挽歌は締め括られ、同時に『寒蝉集』の結びとなるのである。

妻への挽歌と、母への挽歌。
どうして、これほどまでに違いを生じたのだろうか。

※続く

# by nazohiko | 2007-02-17 16:38
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by nazohiko | 2007-02-17 16:38 | ☆旧ブログより論考・批評等

柿の葉寿司

熟鮨(なれずし)、押鮨(おしずし)、握鮨(にぎりずし)の内で、
私は、押鮨が飛び抜けて好きである。
木型に入れて押し固めるのが一般的なので、箱鮨とも呼ばれる。

具や酢飯が高密度に詰まっているのが、食感上の特徴だが、
あらかじめ酢ベースの調味液に漬けたり(鯖や鱒など)、
甘辛く煮たり(穴子など)した具を使うことが多いのも、
忘れてはいけない、味覚上の特徴である。
つまり、醤油を付けずに食べても物足りなくない。
酢飯を二段構造にして、干瓢などの薄い層を挟むこともある。

押鮨の面白さは、全国各地に個性的な伝統鮨があることで、
少なくとも外形的には、握鮨よりも遥かにヴァリエーションがある。
私の中で「ベスト・オヴ・押鮨」の座を保ち続けているのは、
桜で有名な吉野(奈良県)から、和歌山県の北部にかけて、
一続きの山林地帯で作られてきた「柿の葉寿司」である。
海から遠い地方でありながら、押鮨が盛んに作られてきたのだ。

山里まで運ばれてきた塩鯖を、酢飯と一緒に柿の葉で包む。
山林地帯なのだから、柿の葉ならば幾らでも手に入る。
包み終わったものを木枠に入れて、一晩から三晩ほど押し固めると、
直方体の姿をした「柿の葉寿司」が出来上がるのである。
柿の葉に含まれる殺菌効果を利用しながら、軽く熟成させるので、
熟鮨(和歌山県は熟鮨の名産地でもある)の性格も帯びている。
柿の葉に包んだまま売られるので、芳香だけでなく保存性も良い。

近年では、鮭や鯛や鯵を使った「柿の葉寿司」も見かけるが、
食感も風味も淡白な鯛は、具材として決定的にミス・チョイスだ。
柿の葉の発する香りに、まるで拮抗できないのである。
やはり鯖が永遠の古典であって、鮭がそれに次ぐといったところ。

「柿の葉寿司」は、寿司屋で食べるものではなく、
大きな鮨問屋が売っているものを、テイクアウトする。
奈良の「平宗」と「いざさ(中谷本舗)」が、大手として知られるが、
東京には「いざさ」の支店しかなく、「平宗」の鮨が食べられない。
幾らか当世風にアレンジされた「いざさ」の鮨よりも、
武骨な味わいが頼もしい「平宗」に、私は軍配を上げるのだ……。

「平宗」のホームページによると、全国どこでも配送できるそうだが、
食べたいと思い立った時に、手に入らないのではつまらない。
既にお気付きかもしれないが、私は筋金入りのワガママなのである。# by nazohiko | 2007-02-13 00:17
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by nazohiko | 2007-02-13 00:17 | ☆旧ブログより論考・批評等

続・東京交響楽団演奏会 寸感

一昨日の東京交響楽団演奏会で、
チェンバロの調律を担当した人のブログを見つけた。
http://umeokagakki.cocolog-nifty.com/blog/

チェンバロの音がオーケストラに負けないように、
「秘密兵器」を使ったと書かれているけれども、
小型のスピーカーをチェンバロの下に置いて、
音量を増強していたことなら、とっくに気が付いていた。

ブログを読んで、初めて知ったのは、
いわゆる「モダン・チェンバロ」を使わずに、
伝統的なチェンバロを、オーケストラと共演させたので、
そのような措置を取ることにしたという話である。

チェンバロを聴き慣れていないので、
モダン・チェンバロと伝統的なチェンバロを、
音色によって判別することが、私にはできない。
近代的なオーケストラの演奏会なのだから、
ゲストの独奏楽器も、モダン・チェンバロなのだろうと、
勝手に思い込みながら、客席から眺めていたのである。

もしモダン・チェンバロを使っていたら、
スピーカー抜きでも、オーケストラに対抗できたのだろうか?
作曲者のプーランクは、
チェンバロがどれくらいの音量を発するものと想定して、
この協奏曲「田園のコンセール」を書き綴ったのだろうか?
作曲の時期は1927-28年、初演は1929年である。

ブログによると、終演後に、
「当時のモダン・チェンバロは音量が豊かだった?」
「当時のオーケストラは編成が小さかった?」
「チェンバロを初めて見たプーランクが、訳も判らず作曲した?」
といった議論が、スタッフの間に起こったそうである。

私の推測を言えば、
プーランクの周りにあったチェンバロは、
モダン型であったか、伝統的な型であったかに関わらず、
オーケストラに拮抗できるほどの音量は、なかったのだろう。

「田園のコンセール」は、協奏曲という形式でありながら、
チェンバロ独奏とオーケストラの音が、あまり重ならない。
極端に言えば、両者が交代で演奏するような曲になっている。
独奏楽器が大音量を出せないことを前提にして、
プーランクは、このように作曲せざるを得なかったのではないか。
それでも、チェンバロが掻き消されてしまう部分は多かったのだが。

プーランク当時のモダン・チェンバロが、
近年に製造されたモダン・チェンバロよりも、
更に大音量だったとは、ちょっと考えづらいことだし。# by nazohiko | 2007-02-12 12:41
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by nazohiko | 2007-02-12 12:41 | ☆旧ブログより論考・批評等

東京交響楽団演奏会 寸感

◆ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
◆フォーレ「パヴァーヌ」
◆デュカ「魔法使いの弟子」
◆プーランク「田園のコンセール」
 (チェンバロ独奏 曽根麻矢子)
◆ビゼー「アルルの女」第2組曲

◇ドビュッシー「小組曲」より「小舟にて」

 指揮 秋山和慶

 2月10日午後6時
 東京オペラシティ内コンサートホール

20世紀の作品でありながら、チェンバロが入るという
「田園のコンセール」を聴いてみたくて、足を運んだのだが、
最初の曲目「牧神の午後への前奏曲」が鳴り始めるや、
渋味を効かせたフルートの独奏に、耳を奪われた。

その段階で気が付いたのだが、
今回のプログラムは、「フルートが映える曲」特集でもあったのだ。
果たして、アンコールの「小舟にて」に至るまで、
至るところに登場する、フルートの独奏が、
千変万化の表情で、音楽を牽引していったのである。

楽団のメンバー表によると、
フルートの首席奏者は、「甲藤さち」さんというらしい。
高音域では、幾分「無難な演奏」に堕してしまった一方で、
中低音での表現力に、とりわけ優れていたと思う。
フルート界の名メゾ・ソプラノといったところだろうか。

チェンバロ協奏曲は、総じて期待外れに終わった。
音量が豊かでなく、強弱のメリハリも付けにくい楽器であるため、
オーケストラの響きに、簡単に埋もれてしまうのである。
バロック時代のチェンバロ協奏曲とは違って、
金管楽器や打楽器を多用するオーケストラ編成であったから、
チェンバロが引き立たないのは、なおさらのことだ。

とはいえ、チェンバロの低音域に
独特の存在感があることを知ったのは、今回の収穫であった。
作曲者プーランクも、そのことを十分に心得ていたらしく、
他の楽器が、ほとんど沈黙してしまった中を、
チェンバロの下降アルペジオで、曲を終えるという、
協奏曲としては例外的なエンディングが、用意されていた。# by nazohiko | 2007-02-11 12:21
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by nazohiko | 2007-02-11 12:21 | ☆旧ブログより論考・批評等

春風献上

登科後
    〔唐〕孟郊

昔日齷齪不足誇
今朝放蕩思無涯
春風得意馬蹄疾
一日看盡長安花

  昔日の齷齪(あくさく)たるは誇るに足らず
  今朝の放蕩たるは思ひ涯(はて)無し
  春風は意を得て 馬蹄は疾(はや)く
  一日にして看尽(みつく)したり 長安の花を

「登科」は、科挙の最終試験に合格すること。
「齷齪(あくさく)」は、「あくせく」と同じです。
唐朝時代の中国で、春の花と言えば牡丹でした。

入学試験や卒業試験の季節が巡ってくる度に、
私は、きまってこの詩を思い出します。
そして、今年もこの詩を、
私よりも若い皆さんに贈ろうと思います。 # by nazohiko | 2007-02-09 21:50
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by nazohiko | 2007-02-09 21:50 | ☆旧ブログより随想・雑記等

謎太郎の日記(7)

で、『プリンキピア』にあたってみますと、
いろいろ変なことが書いてある。
そこで感ずることは、
私たちはきちっとした形のものを習うけれど、
それを創り出した人というのは、
非常にいろんなことを気にしておったということです。


以上は、湯川秀樹の講演録より。
『プリンキピア(Principia)』は、ニュートンの著書である。

自身も「創り出す人」の一員であった湯川は、
脳裡に渦を巻く「非常にいろんなこと」を、
「きちっとした形のもの」に整理して、発信することの難しさを、
いやというほど思い知っていたはずだ。

そんな湯川の発言なのである。
ニュートンが「非常にいろんなことを気にしておった」ことへの讃嘆だけでなく、
それを「きちっとした形のもの」にしてみせようと苦心した、
ニュートン自身や、後続の物理学者たちに対する畏敬をも、
この言葉の奥底に、読み取ることが可能ではないだろうか。

# by nazohiko | 2007-02-08 21:27
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by nazohiko | 2007-02-08 21:27 | ☆旧ブログより論考・批評等