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百発百中

「琵琶湖周航の歌」の合唱を聴くと、
百発百中で泣きそうになってしまうのは、私だけだろうか?

……と、夢の中でブログに書き込んでいたのを覚えている。

# by nazohiko | 2006-09-27 13:33
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by nazohiko | 2006-09-27 13:33 | ☆旧ブログより随想・雑記等

ションレイ

おや、きょうは日曜だったか。

幕末時代に渡米したジョン万次郎は、
アメリカには「ションレイ」という日があって、
この日には、街中の店が閉まってしまうと書き記した。
「ションレイ」とは"Sunday"のことで、
人によって休日がまちまちだった徳川日本に育った彼は、
驚きの目で「ションレイ」を眺めたのである。

彼は"Sunday"を「ションレイ」と聴き取ったわけだが、
アメリカ英語では、既に当時から、
単語中の"d"や"t"が、曖昧に発音されていたのだろうか。# by nazohiko | 2006-09-24 11:17
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by nazohiko | 2006-09-24 11:17 | ☆旧ブログより随想・雑記等

源氏揃(3)

先行する数多くの文芸形式を摂取して、適材適所に応用した『平家物語』は、中世文芸の嚆矢であるだけでなく、古代文芸のひとつの総決算とも言えるだろう。

しかし、この物語に組み込まれた和歌が(版本によって違いが大きいとはいえ)3桁を数えるのに対して、後白河法皇や平清盛があれほど好んでいたはずの今様は、五指に余るほどしか登場しない。

あまつさえ、法皇が今様を謡う場面は、物語の中についぞ現れないのである。3度も声を潰してまで今様に熱中した実在の法皇と、『平家物語』で陰の主役を務める法皇は、決してイコールではないと承知しつつも、やっぱりそこが不満。# by nazohiko | 2006-09-24 00:52
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by nazohiko | 2006-09-24 00:52 | ☆旧ブログより論考・批評等

源氏揃(2)

以上は、『平家物語』巻四の「源氏揃(げんじぞろえ)」より。源頼政が以仁王に挙兵を促す台詞である。

私はとくに源氏贔屓ではないので、物語の転回点と言う意味では、この章段をとりたてて愉快とも痛快とも思わない。しかし、50人以上の源氏武者がコールされる文字面は、実に壮観だ。

京に潜伏する武者たちの紹介に始まって、次第に遠国に及ぶのだが、奇しくもその終わりがけに至って、義仲・頼朝・義経の名が次々と浮かび上がる。巧みな構成と言えよう。

このように人名を列挙する章段を、『平家物語』の用語として「揃物(そろえもの)」と呼ぶ。他にも「朝敵揃」「大衆揃」「三草揃」と題された章段があるが、「源氏揃」ほど成功していないと思う。# by nazohiko | 2006-09-22 15:34
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by nazohiko | 2006-09-22 15:34 | ☆旧ブログより論考・批評等

源氏揃(1)

まづ京都には、
出羽前司光信が子共、
伊賀守光基、出羽判官光長、出羽蔵人光重、出羽冠者光能、

熊野には、
故六条判官為義が末子十郎義盛とて隠れて候。

摂津国には、
多田蔵人行綱こそ候へども、新大納言成親卿の謀反の時、
同心しながら返り忠したる不当人で候へば、申すに及ばず。
さりながら、
其弟多田二郎知実、手島の冠者高頼、太田太郎頼基、

河内国には、
武蔵権守入道義基、子息石河判官代義兼、

大和国には、
宇野七郎親治が子共、
太郎有治、二郎清治、三郎成治、四郎義治、

近江国には、
山本、柏木、錦古里、

美濃尾張には、
山田次郎重弘、河辺太郎重直、泉太郎重満、浦野四郎重遠、
安食次郎重頼、其子太郎重資、木太三郎重長、開田判官代重国、
矢島先生重高、其子太郎重行、

甲斐国には、
逸見冠者義清、其子太郎清光、武田太郎信義、
加賀見二郎遠光、同小次郎長清、一条次郎忠頼、板垣三郎兼信、
逸見兵衛有義、武田五郎信光、安田三郎義定、

信濃国には、
大内太郎惟義、岡田冠者親義、平賀冠者盛義、其子四郎義信、
故帯刀先生義賢が次男木曾冠者義仲、

伊豆国には、
流人前右兵衛佐頼朝、

常陸国には、
信太三郎先生義憲、
佐竹冠者昌義、其子太郎忠義、同三郎義宗、四郎高義、五郎義季、

陸奥国には、
故左馬頭義朝が末子九郎冠者義経、

これみな六孫王の苗裔、多田新発満仲が後胤なり。# by nazohiko | 2006-09-22 15:32
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by nazohiko | 2006-09-22 15:32 | ☆旧ブログより論考・批評等

がもが!

ところで今宵は、
伝説の影絵劇「パンをふんだむすめ」を、
同時通訳してあげながら鑑賞した。

http://www.youtube.com/watch?v=Z_W0RHWnhao

だからさあ、
幼稚園の講堂で見せられた時には、
ほんとトラウマになったんだってば。# by nazohiko | 2006-09-22 00:50
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by nazohiko | 2006-09-22 00:50 | ☆旧ブログより随想・雑記等

もがが!

・君がゆく道の長手を繰りたたね焼き滅ぼさむ天の火もがも

繰り返すが、「もがも」という終助詞のオカルトな響きこそ、この万葉歌に備わった最凶の武器なのである。

「ガッツ石松」という名前が醸し出す空気は、1字だけ改めて「レッツ石松」「ザッツ石松」「ナッツ石松」にしただけでも、まるで台無しになると指摘したのは清水ミチコだが、この歌の「もがも」だって同じことだ。

平安時代から用いられた形である「もがな」に替えてすら、凄味は半減してしまうし、万葉時代に使われた形であっても、「もがもな」「もがもや」「もがもよ」のように間延びした連語表現では頂けない。まして「あらめ」や「欲しや」などに置き換えてしまっては……。

・ぬしがゆく道の長手を繰りたたね焼きほろぼさむ天の火ほしや

チョイナ、チョイナ。

# by nazohiko | 2006-09-22 00:40
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by nazohiko | 2006-09-22 00:40 | ☆旧ブログより論考・批評等

もがも!

・君がゆく道の長手を繰りたたね焼き滅ぼさむ天の火もがも

高校の授業で使っていた古典文法の教科書の中に、終助詞「もがも」の用例として、この歌が載っているのが目に入った時、私は恐ろしさのあまり体温が下がりそうになった。

オカルト映画じみた「もがも」の音韻が、この歌の最凶の武器であることは論を俟たないが、教科書では、まさにその「もがも」が太字で印刷されていたのだ。そして、「万葉集・三七二四」とのみ出典が示されており、誰がどんな状況下で作った歌なのかを知らされなかった故に、怖さはいよいよ増したのである。

「狭野弟上娘子」という作者の名前や、流刑になった夫を思う歌であるというタネアカシを得て、ちょっとは怖くなくなった。# by nazohiko | 2006-09-21 19:15
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by nazohiko | 2006-09-21 19:15 | ☆旧ブログより論考・批評等

藤原三大テノール(5)

『古今著聞集』に、藤原家隆をめぐる説話が出てくる。

  かの卿(=家隆)非重代の身なれども、
  よみくち世のおぼえ人にすぐれて、
  新古今の撰者に加はり、
  重代の達者定家卿につがひてその名をのこせる、
  いみじき事なり。

  まことにや、
  後鳥羽院はじめて歌の道御沙汰ありける比(ころ)、
  後京極殿(=藤原良経)に申し合せまゐらせられける時、
  かの殿(=良経)奏せさせ給ひけるは、
  「家隆は末代の人丸にて候ふなり。
  彼が歌をまなばせ給ふべし」と申させ給ひける。

藤原良経は家隆を「現代の柿本人麻呂」と評し、後鳥羽上皇に家隆の和歌を学ぶよう勧めたというのである。

ここで良経は、彼自身の歌風に言及していないし、定家についても触れていないが、なるほど「藤原三大テノール」の中で、良経と定家の歌は、良くも悪くも「お手本」として使えそうにない。この説話は、人麻呂を引き合いに出すことによって、単に家隆を大歌人として称揚するだけでなく、家隆作品に備わる一種の古典的円満性(作風が人麻呂に似ていなくても構わない)を、それとなく掬い上げているようでもある。

もうちょっと穿った見方をするならば、説話の筆者は、上皇の歌が帯びることの多い暖色系のトーンを、家隆の歌に通じるものとして感受していたのかもしれない。 # by nazohiko | 2006-09-21 00:27
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by nazohiko | 2006-09-21 00:27 | ☆旧ブログより論考・批評等

藤原三大テノール(4)

「藤原三大テノール」こと良経・定家・家隆のうち、後の2人は『新古今和歌集』の中で「藤原定家朝臣」や「藤原家隆朝臣」と呼ばれているが、良経だけは必ず「摂政太政大臣」と記載され、一度も諱(本名)を書かれることがない。思えば、他にも「太上天皇(後鳥羽上皇を指す)」「宮内卿」「俊成卿女」「宜秋門院丹後」「二条院讃岐」「小侍従」など、『新古今和歌集』のスター歌人には、この歌集に本名を現さない者が珍しくないのだ。

後鳥羽上皇(本名は尊成)や藤原良経のように、極めて高位にあった者たちの場合と、普段から女房名(通称)で呼び合い、今となっては本名が分からなくなった者が多い女房たちの場合では、本名ではない呼称で記載された理由が異なるに違いない。当時の人名をめぐるタブー論やジェンダー論を総動員しなくては、解けてこない問題ではあるが、それはともかく、このような記名方法が『新古今和歌集』に用いられたのは、和歌文化にとって幸いだったと思う。

まずは、藤原良経のこと。もし彼の入選歌が、「藤原良経朝臣」あるいは「九条良経」「後京極良経」の作品として掲載されていたとしても、「良経」の清雅でありつつ哀感を帯びた字面は、彼の歌々と十分に調和したことだろう。しかし「摂政太政大臣」という儚げな記号のみに寄り添われてこそ、『新古今和歌集』における良経作品は最高度に引き立てられ、あたかも燐光を発し始めるのである。

それから、同時代や後世の人々が女房歌人たちに付けた、愛称の数々。父や夫の官職に因む簡略な識別ワードが、宮廷社会における名前の全てであった彼女たちには、無味乾燥な呼称を避けたり、同じ女房名の者と区別したりするため、更に愛称が冠せられることがあった。上に列挙した歌人たちで言えば、「若草の宮内卿」「下燃えの少将(俊成卿女)」「異浦の丹後(宜秋門院丹後)」「沖の石の讃岐(二条院讃岐)」「待宵の小侍従」と、既に存命中から呼ばれていたわけだが、これらの愛称は、すべて彼女たちの代表歌から取られたものだ。何と風流な名付けられ方だろうか。そして、自作の一部が自身の呼び名になるとは、何と歌人冥利に尽きたことだろうか。

ちょっと悪ノリして、近代現代の歌人に愛称を付けてみよう。「みだれ髪の晶子」とか、「死にたまふ茂吉」とか、「少しづつ液化してゆく邦雄」とか……。「みだれ髪の晶子」は、誰からも文句が出ないと思うが、斎藤茂吉と塚本邦雄についてもまんざら冗談ではない。茂吉の歌業では、最晩年の『つきかげ』の八方破れぶりに最も愛着と畏怖を覚えるし、塚本が「変」を繰り返した果ての晩年歌集に愛着は感じないけれども、平明になった文体の向こうに毒素のうごめきを察知して、背筋が凍りそうになる。 # by nazohiko | 2006-09-20 00:30
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by nazohiko | 2006-09-20 00:30 | ☆旧ブログより論考・批評等