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ベルマンの弾く「愛の死」

 NHKの教育テレビで、ラーザリ(ラザール)・ベルマンが、1988年に東京で開いた演奏会を放映していた。昨年他界したピアニストである。

 曲目の多くがリストの作品であった中に、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を締め括る、イゾルデ姫の絶唱「愛の死(Isoldes Liebestod)」を、リストがピアノ独奏に編曲したものも含まれていた。この編曲を聴くのは、初めてではなかったのだが、今回ベルマンの演奏に触れて、すばらしいピアノ曲だと初めて思った。

 ベルマンはリスト編曲の「愛の死」を、強弱やテンポに大きな振幅を付けて弾いたのだが、その剛柔自在・緩急自在ぶりは「イゾルデ姫を演じる名歌手の呼吸」にも似ず、「大管絃楽を率いる名指揮者の呼吸」にも全く似ない、これぞ「独奏する名ピアニストの呼吸」としか呼びようのないものだった。「名ピアニストの呼吸」とは何であるか、私は言葉でうまく説明できないが、もしこのような強弱やテンポで楽劇を上演したなら、歌声も管絃楽も、ひどくトンチンカンに聞こえたことだろうという、消去法的なレヴェルまでは自信を持って言える。ワーグナーの楽劇を、たった2本の腕で中途半端に模倣しようとはせず、ひとつのピアノ独奏曲として演奏することに徹したゆえに、ピアノの大家として知られたリストによる編曲を、存分に活かすことができたのである。

 ベルマンというピアニストは、「超絶技巧」とやらを謳われていたそうで、私が番組を見始めた時にも、実のところアクロバティックな見せ場を期待していた。しかし、昨今流行の「体育会系ピアノ」とは一線を画して、技巧の高さが演奏の表面に現れてくることは、ほとんどなかったと言ってよい。相当の運動神経を要求されるはずのリスト作品が、ベルマンの演奏では譜面の賑やかさと裏腹に、静謐で穏和な流れとしてリアライズされることが多く、1時間の番組を通じて最も印象的だったのは、むしろこの点なのであった。かつて「超絶技巧」という讃辞を捧げた人の深意が、垣間見えたような気がした。

 それから、「愛の死」の最後のクライマックスに、左手で低音を連打する箇所があるのだが、とりたてて変哲もない低音連打が、ベルマンの手にかかるや、この上なく豪壮に鳴り出すのだった。そして、そこには微塵ほどの混濁も野蛮味もない。クライマックスに入る時に、大きくテンポを落としたあたりに、秘訣の一端があるのだろうか。いずれにせよ、このようにピアノを「よく発声させる」腕前もまた、ベルマンの「超絶技巧」に数え入れられていたのかもしれないと思った。 # by nazohiko | 2006-08-28 12:58
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by nazohiko | 2006-08-28 12:58 | ☆旧ブログより論考・批評等

レクイエム K.626(4)

 モーツァルトは「レクイエム」の随所に、癒しをもたらすような楽句や音色を織り込んだし、歌詞の求めるところに応じて、「悲しみの仕事」の図式にも通じるような楽曲設計を与えた。補筆完成を引き受けたジュースマイヤーも、第13楽章までは、師匠のそうした路線を守り通したが、にも関わらず最後の第14楽章「聖体拝領唱」には、師匠の遺した第1~2楽章の音楽を、そのまま填め込んだ。私はこの処置を、あえて愚挙と呼ばせてもらいたい。たとえ、それが楽聖モーツァルトの指示であったとしてもである。

 「生者たちへの慰め」と捉えるにせよ「悲しみの仕事」に譬えるにせよ、「レクイエム」という楽曲の任務が今にも完遂されようという時に、聴く者を死の恐怖に再び突き落とすような、曲頭の絶唱を蒸し返してどうするのか。なるほど「聖体拝領唱」の歌詞は、第1楽章「入祭唱」と似ていると言えるが、しかし「主よ、永遠の安息を彼らに与え、尽きせぬ光もて照らしたまえ」云々という言葉は、追悼儀式の初めに唱えられる場合と、終わりに唱えられる場合では、おのずから意味合いが異なってくるだろう。字面が似ているという皮相な理由によって、冒頭楽章の暗澹たる音楽を流用してしまうようでは、宗教人類学的にも心理学的にも失格なのである。

 私は第2楽章「主よ憐れみたまえ」のせわしないフーガを耳にする度に、壇ノ浦の海底を駆けずり回る平家蟹の集団が思い浮かび、忍耐の限度に近いほどの不安や恐怖を覚える(但し「死の不安や恐怖」というより、多くはもっと抽象的なものだが)。とはいえ、第2楽章として聴く限りにおいては、この音楽は、私にとって必ずしも「怖い音楽」ではないのだ。引き続き第3楽章以下に耳を傾けることによって(そこにもまた「怖い音楽」が含まれているけれども)、胸中に生じた不穏をゆっくり消化してゆけるからである。同じ音楽が「入祭唱」と共に、歌詞だけ替えられて最終楽章に現れ、そのまま全曲が結ばれてしまうからこそ、そのフーガ合唱は徹底的に「怖い音楽」として、私の前に逃げ場なく投げ出されるのであり、そしてこうした「悪夢再現」型の楽曲構成ゆえに、モーツァルトが着手しジュースマイヤーが補筆完成した「レクイエム」は、長年CDも買えないほどの「怖い曲」であり続けたわけである。 # by nazohiko | 2006-08-01 13:35
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by nazohiko | 2006-08-01 13:35 | ☆旧ブログより論考・批評等

レクイエム K.626(3)

 更に、楽曲の進行過程に注目してみよう。心理学には「悲しみの仕事」という考え方がある。悲嘆や絶望を、理性や無関心で抑え付けようとするよりも、一度は思い切ってそれらに耽溺した方が、むしろ平静の回復に向かう段階に進みやすいのだそうだ。この「悲しみの仕事」が辿ってゆくとされる過程に、試みに照らし合わせるなら、モーツァルトの「レクイエム」は第8楽章「涙の日」に至って、その名の如くに涙を流し尽くし、ここを転回点として、次第に感情の振幅が収まってゆくという、音楽構成を取っているようである。もうちょっと細かく言えば、死に対する不安や動揺を露わにする第1~2楽章、あまつさえ死者の冥福そっちのけで、自身が「最後の審判」によって滅ぼされないよう泣訴する第3~7楽章を経て、「涙の日」の合唱に達する。

 歌詞を穿鑿的に読んでみて面白いのは、冒頭楽章では「彼ら(死者たち)」の安息を祈るという内容であったのが、第3~7楽章の歌詞は、ひたすら「私(生者)」の破滅回避を乞うものとなり、「涙の日」の歌詞の最終行で、ようやく「彼ら」に目を向ける余裕が帰ってくることだ。そして、第9楽章「主なるイエス・キリスト」以後には、「私」を前面に押し出すような歌詞が、もはや現れなくなる。また、こうした推移と並行するかのように、それまで歌詞に頻出していた、「裁く者」や「恐るべき者」としての神イメージが、第9楽章からは「救う者」「罪を除く者」や、「栄光を発出する者」「祝福を受ける者」という描かれ方に主役を譲るのである。 歌詞という側から「悲しみの仕事」とのアナロジーを試みても、やはり「涙の日」を境として帰路に踏み出す格好になる。

 モーツァルトの「レクイエム」は、純粋に楽曲設計上の理由(全14楽章のメリハリ)から、「涙の日」と「主なるイエス・キリスト」の間に、音楽的な曲がり角を設けたのだというよりも、カトリック教によって予め定められた歌詞が、もとよりそこに転回点を備えていたわけだ。モーツァルトの筆が入った第9~10楽章を承けて、ほぼジュースマイヤーの作曲と言える第11~13楽章では、いよいよ長調の箇所が目立つようになり、また音楽の印象として若干淡白になるようだが、こうした作風がモーツァルトの意を汲んだものであろうとなかろうと、歌詞への忠実を目指したという点において、ジュースマイヤーは正しい選択をしたのである。もしかしてカトリック教は、意識的あるいは無意識のうちに、生者のために「悲しみの仕事」を手伝ってやる場として、追悼儀式や「レクイエム」の歌詞を形作っていったのだろうか。# by nazohiko | 2006-08-01 00:16
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by nazohiko | 2006-08-01 00:16 | ☆旧ブログより論考・批評等