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レクイエム K.626(2)

 ここが、私には問題なのだ。「レクイエム」は本来、カトリック教の追悼儀式に使われる楽曲であり、それは死者本人に呼びかけるというより、彼らの神に対して、死者に平安を与えてくれるよう懇願する儀礼であると聞く。カトリック教の制定した「レクイエム」の歌詞を縦覧しても、そのことが明らかに窺われるが、しかし神学的ではなく宗教人類学的に見るなら、あらゆる追悼儀式は畢竟「参会者たちを慰めるために」行われるのである。つまり、誰かの逝去によってもたらされた動揺や、それにより引き起こされる「自身の死」への恐懼から脱して、日常的な精神生活に復帰してゆくことを助けるため、生者たちに提供される1つの装置なのだ。死というものが、絶対的に不可逆な変化であるからには、追悼儀式や「レクイエム」という楽曲の構成も、生者たちの心に停滞や後戻りを生じさせないような、少なくとも大枠としては前進型の過程でなくてはならない。仮に、死んだはずの人がひょっこり戻ってくる場合があるというなら、訃報がめでたく取り消されることを願って、いつまでも執着的に祈祷していればよいのだけれども。

 このあたりは、モーツァルトが「レクイエム」を制作するにあたっても、十分に心得ていたと見受けられる。冒頭楽章の中程に現れる「宮内卿のメロディ」は、すぐ短調の泥海に呑み込まれてしまうが、他にも第4楽章「奇しき喇叭の音」や第6楽章「イエスよ思い出したまえ」などの長調箇所に、「愛すべき」というより「愛らしい」楽句が、意外なほど豊かに散りばめられている。また、この曲の楽器編成には木管楽器がとても少なく、バセットホルン(クラリネットの原形)とファゴットしか入っていない(フルートやオーボエやフレンチホルンを欠く)のだが、そのバセットホルンが、あたかも「癒しの響き」を一手に引き受けるかのように、要所要所で存在感を発揮するのである。「宮内卿のメロディ」もバセットホルンに先導されて出てくるし、物柔らかな第6楽章もバセットホルンなしには成立しない。ジュースマイヤーが管楽器パートを書き足した楽章や、彼自身が作曲を手がけた楽章についても同様であり、第8楽章「涙の日」・第12楽章「祝福されよ」・第13楽章「神の子羊」の中で、私たちは「癒しのバセットホルン」に聴き入ることができる。モーツァルトの筆による部分と、ジュースマイヤーの筆による部分の間では、昔から「作風の相違」や「品質の落差」が云々されてきたが、バセットホルンのこうした用法に関する限り、この曲は十分な一貫性を備えていると言えるのである。# by nazohiko | 2006-07-31 22:15
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by nazohiko | 2006-07-31 22:15 | ☆旧ブログより論考・批評等

レクイエム K.626(1)

 モーツァルトの「レクイエム」を、聴き終わったばかりだ。バーンスタインがバイエルン放送の交響楽団と合唱団、及び4人の独唱者を率いて、演奏時間は1時間になんなんとした。私にとって、この曲は「心服の対象」であると同時に「怖い曲」の筆頭であり、あえてFM放送や図書館のCD貸出で聴くにとどめてきたのだが、今日の午後、意を決してバーンスタイン盤を購入したのである。『新古今和歌集』の開扉直後に現れる宮内卿の作品が、決まって「レクイエム」冒頭楽章のソプラノ独唱を思い出させるという話を、先週の記事「藤原三大テノール(2)」に書いたのが引き金となって、やはりあの歌声"Te decet hymnus, Deus in Sion..."を、どうしても手許に置いておきたくなったのだ。

 この曲が怖いと言っても、それはひとえに最終楽章「聖体拝領唱」のせいである。モーツァルトは「レクイエム」の作曲途上で逝去し、弟子のジュースマイヤーがこれを補筆完成した。譜面に残された空白を埋めるだけでよい楽章から、ほとんど独力で創作しなければならない楽章まで、補筆の難易度は様々だったらしいが、彼はそうした作業の一環として、師匠の手になる冒頭楽章「入祭唱」と第2楽章「主よ憐れみたまえ」の音楽を、まるごと使い回して最終楽章(第14楽章)にした。全曲の統一感を強めるために、ジュースマイヤーが発案した処置であるとも、モーツァルト自身がそのように指示しておいたのだとも言われるが、どちらの説にも根拠は薄いらしい。いずれにせよ、曲の初めの音楽が寸分違わず再帰し、それに乗せて「聖体拝領唱」の歌詞が唱われることによって、「レクイエム」という長篇は結ばれるのである。

 ここが、私には問題なのだ。# by nazohiko | 2006-07-30 22:45
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by nazohiko | 2006-07-30 22:45 | ☆旧ブログより論考・批評等

藤原三大テノール(2)

 塚本邦雄は『新古今和歌集』収録歌の配列に対して、幾度でも讃嘆の言葉を書き記したもので、例えば『定家百首』の中では、歌い手が交代しながら進行してゆく長大な楽曲に譬えて、春部の構成を賞玩してみせる。最近読んだ『新古今新考』では、全篇を縦貫するストーリー性すら掴み出そうとするが、そこまですることの妥当性はともかく、『新古今和歌集』が歌の採録のみならず、配列にもセンスを発揮しているという塚本の指摘には、私も強く同意する。

 それだけでなく、春部上を読み始めて宮内卿の初登場に到る度に、私はモーツァルトの「レクイエム」の冒頭楽章、音楽が長調に転じてソプラノ独唱が入ってくる所を思い起こすようになったのだ。これは明らかに、春部の"演奏開始"後しばらくして「宮内卿のソプラノが響く」と講評した塚本の影響である。私は春部の全体や、『新古今和歌集』の総体を、必ずしも鎮魂曲に喩える気にはならないのだけれども。

 しかし、である。もし私に作曲の才があったならば、『新古今和歌集』を塚本のようにモノフォニー(音楽の絵巻物)として捉えるのではなく、むしろポリフォニーの楽曲として表現してみたい。異なる旋律や異なる歌詞が、重なりあったり追いかけあったりしながら進んでゆく音楽である。モーツァルトの「レクイエム」にも、第2楽章「主よ憐れみたまえ」などにポリフォニーの部分があるが、私の夢想する「新古今ポリフォニー」は、それよりもルネサンス時代の無伴奏声楽曲に近いか。

  藤原良経(テノール)
  藤原定家(テノール)
  藤原家隆(テノール)
  後鳥羽上皇(バリトン)
  慈円(バリトン)
  藤原俊成(バス)

  若草の宮内卿(ソプラノ)
  式子内親王(ソプラノ)
  下燃えの少将こと俊成卿女(ソプラノ)
  異浦の丹後(メゾ・ソプラノ)
  沖の石の讃岐(メゾ・ソプラノ)
  待宵の小侍従(アルト)

声楽パートの1つずつが歌人たちに対応し、各々の『新古今和歌集』入集作品を歌詞とする。同一声種の内では、筆頭の者の担当する音域が最も高く、順を追って低くなる。つまり、定家よりも良経の方が高く、式子内親王よりも宮内卿の方が高い。そしてこのアンサンブルに、カストラートの西行が絡んでくるのである。 # by nazohiko | 2006-07-30 00:56
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by nazohiko | 2006-07-30 00:56 | ☆旧ブログより論考・批評等

藤原三大テノール(1)

 ……と言っても、「我らがテナー」と呼ばれた藤原義江(1898-1976)の話ではない。

 ここ数日で、塚本邦雄の『新古今新考:断崖の美学』(1981、花曜社)を読了した。よく似た名前の『新古今集新論:21世紀に生きる詩歌』(1995、岩波書店)とは、同じように連続講義を文字に起こした本ではあるが、全く別の内容だ。サブタイトルや刊行年代からも察しが付くように、今回読み終えたばかりの『新考』の方が、論述が幾分ハードで、口調も辛辣である。

 書題に「新古今」と銘打ってあるけれども、その重要な前史である「六百番歌合」と「千五百番歌合」に、塚本は多くの紙数を割く。むしろ歌合の読み方(厳密には「歌合の文字記録」を鑑賞する術)について、いろいろ示唆してくれることこそ、この本の妙味だと言っても過言ではあるまい。そうした中で、私が受け取った収穫は、まず「六百番歌合」の判詞(勝負判定とコメント)が、数々の出詠歌に勝るとも劣らぬ名筆、或いは怪筆であることを、懇切に教えられたことだ。

 歌道の家として対立しあう御子左家と六条家が、ここぞとばかり龍虎交戦するのを裁かなくてはならない一方で、後鳥羽上皇・藤原良経・慈円といったVIP参加者には、それなりに花を持たせなくてはならない(特に、上皇は必ず勝つというのが不文律だった)という、誠に骨の折れそうな審判役。それを藤原俊成(定家の父)は独りでこなしてみせただけでなく、「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」の一喝を初めとして、自身の言いたいこともコメントにしっかり盛り込んだのだから、いやはやデリケートとタフを兼ね備えた長老様である。

 自身の属する御子左家の出詠歌を称揚し、六条家を論難する言葉が目立つような判詞を綴っておきながら、勝ち負けの数について見れば、実は六条家の方を若干優勢にさせてあることを、塚本は指摘しているが、こんな所にも俊成の謀慮が窺い知れるのである。

 次に、歌合の勝負判定には「左勝」と「右勝」以外に「持」(引き分け)があるわけだが、一口に「持」と言っても、左右ともに秀歌であって優劣を付けられないという意味の「持」もあれば、凡作同士を両成敗するという意味の「持」もある。「六百番歌合」で俊成が担当した判詞では、「良き持に侍るべし」や「持などにて侍るべし」といった言葉遣いによって、「持」の諸相が柔軟にアピールされていること、また俊成が「良き持」を宣告した例は数少ないが、それは藤原良経と慈円の兄弟試合に集中していることを、私は塚本から教えられた。

 なるほど塚本の注記する通り、摂関家の兄弟として立場身分が等しかった二人であり、御子左家と六条家の対立に巻き込まれることもなかったという事情や、定家と良経が同じチーム(左方)に入っていたため、彼らの「頂上対決」はなかったという事情も、考慮しておくべきだろう。しかし、俊成に「良き持」を連発させるとは、さすが良経と慈円である。

 それから、この本の全体を通して、藤原家隆の作品に親しみを深めることができた。歌合にせよ勅撰和歌集にせよ、同一人物の作品が、随所に分散配置されているから、例えば『新古今和歌集』に掲載された個々の歌に感銘を受けても、その作者たちにまで関心が及びにくい。こうした理由もあってか、私は「藤原三大テノール」(定家・良経・家隆)の中でも、家隆の印象が格段に薄かったのだが。

 塚本による作品のピックアップや、評釈が刺激となって、私の裡で家隆という歌人の像が、だんだんと形を成していった一方で、「なんと、あの歌もこの歌も家隆の作であったか!」と驚かされることが、幾度もあった。

  霞立つ末の松山ほのぼのと波に離るる横雲の空

  志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有明の月

等々、誰の作品とも意識しないままに、それらの歌だけを深く記憶していたわけである。今はまだ、塚本の色眼鏡を介して家隆を眺めているに過ぎないが、これを契機に、もうちょっと歌人家隆を追いかけてみようかと思う。彼の家集『壬二集』は二万首も入っているそうなので、まずは『新古今和歌集』収録歌の読み直しから (^_^;

# by nazohiko | 2006-07-27 13:16
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by nazohiko | 2006-07-27 13:16 | ☆旧ブログより論考・批評等

扇というもの

 塚本邦雄の『詞華美術館』は、合計27のテーマのもと、それぞれ古今東西の詩歌・小説・戯曲を抜粋して作られた1冊である。単なる「名句の寄せ集め」ではなく、塚本の言葉を借りれば、長篇の断片や短詩の数々を「趣向を凝らして配合し、その人工的な邂逅によつて醸し出される不思議な味はひを楽しんで」みようという所に面白さがある。

 さて、その「流扇興」と題された章を読んでいて、ふと思い至ったことなのだが。

  あまのがは扇の風に霧はれて空すみわたるかささぎの橋
  あふげども尽きせぬ風はきみがためわがこころざす扇なりけり
  添へてやる扇の風し心あらば思はむ人の手をな離れそ
  舟出する君に手向くと吹く風はなれて年経し扇なりけり
  かはほりにわれ張りこむる涼しさを思ふが方の風といとふな
                         (『古今和歌六帖』「扇」)

  六月の照る日もいかで過さましたのむ扇の風なかりせば(兼宗)
  夕まぐれならす扇の風にこそかつがつ秋は立ちはじめけれ(慈円)

 塚本が掲げたこれら7首に限らず、和歌において扇が扱われる場合には、「風を発する」という扇の本来の用途に、どこまでも密着して詠まれる傾向にあるのではないか。「君」に自分の「思」を伝えようとする場面に、扇が登場してくるものが、上記の作品群にも散見されるが、扇そのものに「思」が結晶させられているわけではない。あくまで自分の持つ扇や、自分の贈った扇が、「君」に向かって吹きかける風に、「思」の伝達が託されるのである。

 扇が「風を発する」道具として認識されるのは、当たり前ではないかなどと言わないでいただきたい。塚本は一方で、このようなフランス近代詩を掲げている。

  おお 夢見る女よ、あなたを純粋な
  至楽の迷路に引入れるためには、微妙な
  手段だが、あなたのお手の中に、私の
  翼を開いて、握つて戴きたい。

  (中略)

  あなたのお口の片隅から 扇の襞の
  何処から何処まで一様な底に流れて
  隠された忍び笑ひと 慴れるやうな
  天国とを あなたは感じられないか。
                     (マラルメ「扇」、鈴木信太郎訳)

 「私の翼を開いて、握つて戴きたい」というのは、つまり自分の手の延長として、扇が捉えられているわけだ。厳密に言えば、「私が贈ったもの」や「私に代わって、あなたに風を吹きかけるもの」としての「手の延長」ではなく、肉体の一部品として、指や掌に活着した「手の延長」なのである。そして、忍び笑いが「あなたのお口の片隅から 扇の襞の何処から何処まで一様な底に流れて」と詠まれる時、「夢見る女」がいま口許を押さえている扇は、彼女の口許の表情筋と一体化したもの、彼女の肉体の一端として、「私」の目に映るのだ。この「扇」と題された詩の中に、風を起こすために扇を動かすという行(くだり)は、全く現れない。

 私は和歌ほどには西洋詩に明るくないので、扇に寄せるこのような眼光が、マラルメ以外の作品にも頻繁に見出されるものかどうか、皆様のご教示を仰ぐしかない。ただ推測するに、「扇は持ち主や贈り主の肉体である」という認識が、或る程度まで共有されていたからこそ、例えばワイルドの『ウィンダミア卿夫人の扇』のような戯曲に、当時の観衆が釘付けになったのではないか(ちなみに、塚本もこの戯曲に少しく言及している)。謎の婦人からウィンダミア卿に贈られ、卿の邸宅に持ち込まれた扇は、それが婦人の肉体であるゆえに、言い替えればそこに婦人が臨在するゆえに、無言なれども雄弁な侵入者として、卿夫人の心をあれほど攪乱するのだろう。

 和歌の扇は、風を起こすという機能によって、持ち主や贈り主の存在感を「君」に投げかけるものであり、西洋近代の詩や戯曲に出てくる扇は、それ自体が持ち主や送り主の肉体の一部として、存在感を発揮するものである……というのが、本日の「謎彦の予想」であります。# by nazohiko | 2006-07-25 14:15
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by nazohiko | 2006-07-25 14:15 | ☆旧ブログより論考・批評等

「若冲と江戸絵画」展 寸感(2)

 最後の展示室(第4室)では、伊藤若冲の作品も含めて、数多の屏風が展示されていた。光量や光色や入射方向が刻々と変わる照明を受けて、屏風は刻々と表情(具体的には照り・陰り・色調など)を変えてゆく。家具として、また金属工芸品(金箔や銀箔を多用する)としての、屏風の魅力を引き出してくれる展示方法であった。

 朝昼晩・晴曇雨雪・春夏秋冬に応じて、家屋の採光は当然に違ってくる。そして、屏風というものは、そもそも絵画作品である以前に、家具として愛でられるべきものなのだ。窓のない美術館に搬入されて、年中不変な照明の下で鑑賞に供するということを、想定して作られたものではない。今回このような展示方法が採られたことは、誠に正しいと言えるだろう。

 さて、一つ前の展示室(第3室)には「江戸の琳派」の作品が揃えられていた。そこを歩き巡っていた時には、いずれも「表現してくる声」(比喩的な表現でお茶を濁すが)に乏しい絵画だなと思い、「伸び悩み」や「ルーティーン化」といった言葉が、脳裡を去来したのだったが、上述の屏風展示室に踏み込むに至って、私は考えを改めるところがあった。

 採光の変転に伴って、屏風の見え方が異なってくるという状況にあっては、画家によってプリセットされた「声」が、あまり鮮明になりすぎない方が、時々刻々の光線に随って、無理のない千変万化を見せてくれることに気付いたのだ。逆に、若冲の描いた屏風は、その「雄弁」ぶりが、却って仇となってしまった。若冲の屏風は、照明のうつろいに肩肘張って抵抗するかのようであり、その抵抗は明らかに空しいものだった。

 江戸時代の琳派を初めとして、現代の美術館の照明の下では「ルーティーン」と決めつけられてしまいがちな画家たちは、案外老獪だったのかもしれない。第3室で見かけた時には、若冲らの作品に劣ると思われた琳派の屏風も、もし照明が刻々変化する第4室で鑑賞したならば、私は高い評価を捧げたかもしれないのである。

 若冲にせよ、他の画家たちにせよ、署名の書体や大小、また落款印の意匠が、作品によって違う。画面の「名脇役」として、「主役」との調和が図られているものと見受けられ、そのことを発見できたのも、今回の収穫であった。# by nazohiko | 2006-07-24 23:43
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by nazohiko | 2006-07-24 23:43 | ☆旧ブログより論考・批評等

「若冲と江戸絵画」展 寸感

 東京国立博物館で「若冲と江戸絵画」展を覧た。

 私は江戸時代後期(19世紀)に続々と作られた、実用に適さないほど豪華な博物図譜が好きで、そうした肉筆の多色図譜は、蘭学の興隆と共に、外来の絵画潮流として突如出現したものだと、十年このかた勝手に思い込んできたのだが……。伊藤若冲を初めとする江戸中期(18世紀)の絵画作品を、今回まとまった形で鑑賞するに及んで、私の脳裡にプリント配線された美術史は、回路の繋ぎ換えを要するかもしれなくなった。

 若冲がカラーで描いた動物や植物と、後年の豪華本博物図譜では、配色法が明らかに類似している。また、あくまで「科学的な写実性(reality)」を旨とする豪華本博物図譜と、「美術的な実在感(actuality)」を追求したと見受けられる若冲絵画は、このようにスタンスにおいては異質なのであろうけれども、しかし「描画の結果として達成された正確さ(exactness)や生彩(aliveness)」という点に着目すれば、両者の距離は、ほんの一跨ぎを残すだけではないのか。

 「エキセントリック」というタイトルの下に展示された若冲の作品群に限らず、展覧会の企画者が穏当に「京の画家」や「江戸の画家」と呼んだ者たちや、或いは彼らによって「正統派画家」のレッテルを貼られた者たちの作品にしても、やはり「豪華本博物図譜の前史」として捉えることを拒まないような要素を、多かれ少なかれ備えているようであった。構図然り、運筆然り、配色また然り。もちろん、彼らはいずれも蘭方医や本草学者ではなく、ひたすら「美術家としての意欲と必要」に導かれて、結果的に「博物図譜に似た絵画」を生み出したに過ぎないのだけれども。

 一方で、以上のように仮説するならば、蘭学の導入が本格化してすぐに、和製の博物図譜が爆発的に制作されたことや、それらが豪華路線を暴走していったことに対して、説明を与えることができる。

 曰く、次代の絵画表現を模索しながら、若冲を初めとする江戸中期の画家たちが、かなりの程度まで準備しておいた諸々があったからこそ、江戸後期の画家は博物図譜という新しいフィールドに、堰を切ったごとく流れ込むことができた。そして、日本においては「博物図譜の前史」が、若冲らによって、専ら美術史の領域で成熟させられ、科学史の領域では目ぼしい「前史」(解剖図などの発達)が刻まれていなかったゆえに、和製の博物図譜は、美術作品としての性格に傾くことになったのである……。博物図譜という形式に、若冲らの美術技法が摂取されていったとも言えるし、若冲らの美術精神に、博物図譜が籠絡されたとも言えるわけだ。

 仮説を提出したからには、それを自力で検証するか、既に検証した人を探すかしなければならない。# by nazohiko | 2006-07-23 23:25
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by nazohiko | 2006-07-23 23:25 | ☆旧ブログより論考・批評等

ベートーヴェンの第3交響曲

昨晩、帰宅してクーラーとテレビを付けたら、パーヴォ・ヤルヴィの指揮するドイツ室内フィルハーモニー管絃楽団が、ベートーヴェンの第3交響曲を演奏していた。

既に最終楽章(第4楽章)に差しかかっていたが、いきなり目に留まったのは、クラリネット奏者たちがベルアップして、主題旋律を吹き鳴らしたことである。普段は足許に向けて吹くクラリネットを、トランペットのように持ち上げて吹くことによって、音響的にも視覚的にも存在感が高まる。ベートーヴェン時代の作品に対しては、めったに使われない奏法だ。そのようにして、クラリネットの動きを管絃合奏の中から、ソロ風に浮き立たせていたわけである。

そのまま演奏を見守っていると、主題旋律がホルンに委ねられる場面でも、やはりホルンの音量や歌い回しが、ソロ風に突出させられているように思われた。これらの他にもいくつかの箇所で、同様の処理が施されていたようである。珍しいタイプの演奏ではあったが、これはこれで楽曲の作りに適った、自然な解釈ではないかと感ぜられ、気持ちよく聴き終えることができた。

概してベートーヴェンの交響曲には、オーケストラ全体が1つの楽器のように扱われ、「個」の突出は厳しく禁じられているという印象があったのだが、今回のヤルヴィとドイツ室内フィルによる演奏に触れてみて、必ずしもそうではないことを教えられた。第3交響曲の最終楽章は、変奏の形式で作られており、同じ旋律が姿を変え楽器を替えながら、繰り返し出現する。そこでベートーヴェンとしては例外的に、協奏曲的な要素(ソロ風の楽器が適宜登場して、変奏をリードしてゆく)を、交響曲の中に持ち込んだのかもしれないが。# by nazohiko | 2006-07-17 19:59
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by nazohiko | 2006-07-17 19:59 | ☆旧ブログより論考・批評等

ヴェネチアの紋章

もうちょっと「あの頃の宝塚」の話をしよう。

当時の宝塚では(今もそうなのかな?)
ミュージカルやレヴューの中に、
クラシックの名曲が、ときどき織り込まれていた。

最も成功した例として、思い出されるものが2つある。

***

ひとつは、90年月組の「ル・ポァゾン」の中で、
(昨日の日記に「89年」と書いたのは、誤りでした)
王女に扮したこだま愛が歌った、
マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。

この公演で宝塚を勇退したこだま愛は、
休憩時間前の演目「川霧の橋」でも、
澄んだ高音域とセクシーな低音域を交錯させながら、
当時の娘役ではピカイチの歌唱を聴かせてくれたものだ。

私が好んで弾く「ル・ポァゾン」の主題歌にも、
高音域と低音域で表情の変わる、こだま愛の歌い口が活かされていて、
この曲の場合には、だいたい「1点C」
(中央より1オクターヴ上のド)が、分岐点になっていたようだ。

***

もうひとつは、91年花組の「ヴェネチアの紋章」に使われた、
チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」である。

長きに及んだイタリア旅行をきっかけに作曲された、
「チャイコフスキー作品の中でも、例外的に楽天的な曲」として
紹介されることもある、舞曲スタイルの管絃楽曲だが、
私は初めて聴いたときから、表面的には華麗であるけれども、
むしろ「はかない輝き」や「つかのまの夏」といった言葉を連想させる、
悲哀や感傷をバックボーンとした音楽として、受け止めてきた。

「ヴェネチアの紋章」の中では、
アルヴィーゼ役の大浦みずきと、リヴィア役のひびき美都が、
モレッカ舞曲を踊る場面(物語前半の見せ場)と、
大詰めの、ヴェネツィアの街が謝肉祭に沸く場面で、
この「イタリア奇想曲」が演奏されたのである。
大詰めでは、死んだアルヴィーゼとリヴィアに「瓜二つの男女」が、
快速調の「イタリア奇想曲」をバックに、舞台の奥を横切ってゆき、
生き残った登場人物たちに、一瞬の驚きを与える。

野望にあふれるヴェネツィア貴族の私生児、アルヴィーゼの、
短くも情熱的であり、行動的であった生涯を象徴する音楽として、
「イタリア奇想曲」は、その本質を惜しみなく発揮したと思うのだ。
今なお、この曲を聴く度に、
私の脳裡には、「ヴェネチアの紋章」の舞台がよみがえる。# by nazohiko | 2006-07-15 01:02
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by nazohiko | 2006-07-15 01:02 | ☆旧ブログより論考・批評等

誰が姿の面影か

7月14日と言えば……オスカル忌。

私が宝塚の「ベルばら」を観たのは、
89年~91年の第2期シリーズである。

俳優・脚本・音楽・人気など、多くの面において、
当時の宝塚歌劇は、今なお乗り越えられない水準にあったと思う。

第2期ベルばらの最高傑作は、
花組の「フェルゼン編」だと言えば、渋すぎる選択だろうか。
そして、ここでフェルゼンを演じた大浦みずきを、
私は、第2期「ベルばら」のMVPとして讃えたい。

「ベルばら」や、その他の演目の主題歌を集めたCDを、
今に至るまで、愛聴しているだけでなく、
ヴォーカルとピアノ伴奏用の譜面を買ってきて、
自己流の編曲で、ピアノ独奏曲として演奏することも、しばしば。
私が好んで弾くのは、「ル・ポァゾン」(89年、月組)である。# by nazohiko | 2006-07-14 19:00
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by nazohiko | 2006-07-14 19:00 | ☆旧ブログより論考・批評等