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カテゴリ:◆詩歌を読む( 17 )

木下杢太郎の『食後の唄』(1)

 日本近代文学館が復刻した木下杢太郎の詩集『食後の唄』(原刊:アララギ発行所、1919)を、大学生の頃に学内の図書館で繰り返し読んだ。先週神保町の書店街に赴いた時に、同じものを手に入れようとふと思い立ち、すぐに某書店でそれを見つけることができたが、その日は1度遣り過ごして、今夕改めて買い求めに行った。
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by nazohiko | 2013-07-24 01:05 | ◆詩歌を読む

中島裕介さんの『oval/untitleds』

中島裕介さんから、第2歌集『oval/untitleds』を頂戴した。

続報を待たれよ。
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by nazohiko | 2013-04-08 23:43 | ◆詩歌を読む

けふは1月1日なり

 今日2月10日が、旧暦の元日に当たる。新年の御慶を申し上げる代わりに、引き続き『新古今和歌集』から正月関連の歌を幾つか挙げてみようと思ったのだが……あいにく春の部にも賀の部にも、私の気に入るものが見当たらない。相済まぬ。
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by nazohiko | 2013-02-10 01:32 | ◆詩歌を読む

再び「けふは大晦日なり」

691 西行法師
  歳暮に、人につかはしける
おのづからいはぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる

692 上西門院兵衛
  歳の暮れによみ侍りける
かへりては身にそふ物と知りながら暮れゆく年を何慕ふらむ

693 皇太后宮大夫俊成女
隔てゆく世々の面影かきくらし雪とふりぬる年の暮れかな

694 大納言隆季
新しき年やわが身をとめ来らむ隙ゆく駒に道をまかせて

695 俊恵法師
  俊成卿家十首歌よみ侍りけるに、歳の暮れの心を
歎きつつ今年も暮れぬ露の命生けるばかりを思ひ出にして

696 小侍従
  百首歌たてまつりし時
思ひやれ八十の年の暮れなればいかばかりかはものはかなしき

697 西行法師
  題しらず
昔思ふ庭にうき木を積みおきて見し世にも似ぬ年の暮れかな

698 摂政太政大臣
石上布留野の小笹霜を経てひとよばかりに残る年かな

699 前大僧正慈円
年の明けて憂き世の夢の覚むべくは暮るともけふは厭はざらまし

700 権律師隆聖
朝ごとの閼伽井の水に年暮れてわが世のほどの汲まれぬるかな

701 入道左大臣
  百首歌たてまつりし時
急がれぬ年の暮れこそあはれなれ昔はよそに聞きし春かは

702 和泉式部
  年の暮れに身の老いぬることを歎きてよみ侍りける
数ふれば年の残りもなかりけり老いぬるばかりかなしきはなし

703 後徳大寺左大臣
  入道前関白百首歌よませ侍りける時、歳の暮れの心をよみてつかはしける
石走る初瀬の川の波枕はやくも年の暮れにけるかな

704 有家朝臣
  土御門内大臣家にて、海辺歳暮といへる心をよめる
ゆく年を雄島の海人の濡れ衣重ねて袖に波やかくらむ

705 寂蓮法師
老いの波越えける身こそあはれなれ今年も今は末の松山

706 皇太后宮大夫俊成
  千五百番歌合に
けふごとにけふやかぎりと惜しめどもまたも今年に逢ひにけるかな

 『新古今和歌集』冬部の末尾に、歳末を詠んだ歌が16首並んでいる。行き行きて帰らぬ時をしみじみと嘆くものが多い中に、人を思いやる西行の歌、陽性の機知を前面に押し出した藤原良経(摂政太政大臣)の歌【注1】、そして長寿者(千五百番歌合の頃は90歳に近い!)の「徳」のようなものが滲み出る藤原俊成(皇太后宮大夫俊成)の歌【注2】が、それぞれ独特の存在感を放つ。特に俊成の歌は、歳末歌群のラストコールとして、なおかつ四季の部(春上下・夏・秋上下・冬)の締め括りとして絶妙の選択だと言えよう。

 今晩は、旧暦の除夜に当たる。

【注1】
「霜を経て」は「星霜を経て=長い時間を経て」の意味をも暗示するか(久保田淳氏の解)。「ひとよ」は「一節」と「一夜」の掛詞となっている。

【注2】
先の「けふ」は広く「毎年の大晦日」を指し、後の「けふ」は狭く「この年の大晦日」を指す。

(関連記事:http://japondama.exblog.jp/19123207/
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by nazohiko | 2013-02-09 21:45 | ◆詩歌を読む

会いたかった~!(10)

 宮内卿の歌について何かが語られる時、その筆先は動(やや)もすれば「『新古今和歌集』が作り出した宮内卿像」に絡め取られてしまう。或いは、そもそも『新古今和歌集』を飾った15首に触れるばかりで満足し、それだけで宮内卿という全体像を会得できるかのように勘違いする者も多いようである。

 かくいう私自身も、他人の事をとやかく言えない状態が長く続いていたのだが、そうした「初歩的な宮内卿ファン」の停滞から一歩を踏み出すきっかけを与えてくれたのが、近藤香氏の『俊成卿女・宮内卿』(笠間書院「コレクション日本歌人選」、2012)だ。同書の前半部分では俊成卿女の歌26首が、後半部分では宮内卿の歌24首が、1首につき見開き2頁ずつを費やして評釈される。宮内卿の歌については、『新古今和歌集』入集作の全て(15首)が主要な評釈対象とされつつも、更に『新勅撰和歌集』入集作の全て(2首)、『玉葉和歌集』入集作の半数弱(9首中の4首)、『新続古今和歌集』入集作の一部(3首中の1首)、及び勅撰和歌集に採られなかった「水無瀬殿恋十五首歌合」出品作の一部(2首)にもライトが当てられている。

 『新古今和歌集』が省みなかった9首のうち、大半は私がそれまで知らなかった作品であり、なおかつ近藤氏が『玉葉和歌集』入集作の評釈に当たって、「『玉葉和歌集』を編纂した京極派の好みに合う歌」「『新古今和歌集』には忌避される類の歌」という指標を導入していたのが、いたく私の興味を惹いた。「宮内卿の歌を、もっともっと読み漁りたい」と思った。また、「後世の歌集が宮内卿作品にどのような価値を見出して、それらを採録したのか」を、自分でも考えてみたくなった次第である。(同書を閉じる前に、自力で気付いた事実を1つ挙げておくなら……『新古今和歌集』は宮内卿の恋歌にほとんど興味を示さず、入集15首中に恋歌は僅か1首であるのに対し、『新勅撰和歌集』に入集した宮内卿作品は、2首共に恋歌となっている。)
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by nazohiko | 2013-02-08 00:31 | ◆詩歌を読む

会いたかった~!(9)

※先の記事「会いたかった~!(8)」より続く。

 田渕句美子氏の着眼には、それ自体として魅力を覚えるし、このような語りが生まれた背景に関する氏の洞察にも、私は概して首肯できる。しかし、宮内卿の歌が『新勅撰和歌集』以後の勅撰和歌集に僅少であるという事実を、「後世の評価は低い」「勅撰集の世界でしだいに忘れられていく」と速断した氏の記述には、異論を禁じ得ない。

 『新古今和歌集』の約30年後に『新勅撰和歌集』が成ったわけだが、だからといって、宮内卿の歌を15首も散りばめた『新古今和歌集』が流布を停止したわけでも、読者を失ったわけでもない。それ以後に現れた計12集の勅撰和歌集も、やはり『新古今和歌集』という巨峰を人々の視界から拭い去る力など、ついぞ持ち得なかったのである。少なくとも『新古今和歌集』入集作に関する限り、彼女の歌は長らく「現役」の読書対象であり続けたと言える。

 また、『新勅撰和歌集』以後の勅撰和歌集が、仮に後鳥羽上皇が『新古今和歌集』の隠岐本を制作した時のように、「『新古今和歌集』所収の宮内卿作品から、各集の撰者の眼鏡に適うものだけを抜き出す」という方式で彼女の歌を採録したのならば、入集作が『新古今和歌集』に比べて激減したという事実は、田渕氏の述べるように、彼女が「後世には低評価に甘んじた」「勅撰集の世界でしだいに忘れられた」ことをストレートに意味するだろう。しかし、実際の所はそうではない。『玉葉和歌集』に至ってようやく勅撰和歌集に入った「時雨つる木の下露はおとづれて山路の末に雲ぞなり行く」について、氏自身が「その清新で独創的な自然把握を京極派が評価した」と書いているように、後世において勅撰和歌集を編纂した者たちは、宮内卿の歌を各自の眼力によって時々刻々と捉え直し、その魅力の「再発見」を重ねていったのである。彼女の歌は勅撰和歌集の撰者たちにとっても、やはり「現役」のセレクト対象であり続けたのだった。

 忘れられた人物が、ゴシップの主人公にされるだろうか?
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by nazohiko | 2013-02-06 00:30 | ◆詩歌を読む

再び「年の内に春は来にけり」

年の内に春は来にけりひととせを去年とや言はむ今年とや言はむ(在原元方)

 たった今、旧暦12月の内に立春を迎えた。今日2月4日は、旧暦12月24日に当たる。5日後の2月9日が、旧暦12月29日の大晦日となり、翌2月10日が、旧暦1月1日の元旦となる。旧暦において、1ヶ月は29日または30日から成るので、12月31日という日付は存在しない。

 ここ10年の範囲で「年内立春」があったのは2005年・07年・08年・10年であり、今後は2015年・16年・18年・19年・21年の立春が、旧暦の元旦よりも先に巡ってくる。珍しい現象でも何でもない。但し、立春が旧暦1月1日と重なる場合は稀少であり、前回そうであったのは1992年、次回そうなるのは2038年のこと。

(参考記事:http://japondama.exblog.jp/19122781/
(参考記事:http://japondama.exblog.jp/19123207/
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by nazohiko | 2013-02-04 00:08 | ◆詩歌を読む

会いたかった~!(8)

みやこにも ありけるものを さらしなや はるかにききし おばすてのやま
古今著聞集 宮内卿は甥にてありける人に名たちし也。をとこかれがれになりにけるとき、よみ侍りける/都にも有けるものをさらしなやはるかにきゝしをばすての山(巻第八・好色第十一)

 田渕句美子氏は『新古今集:後鳥羽院と定家の時代』(角川選書、2010)の中で、「宮内卿がこんな凡々たる歌を詠んだだろうか」と述べて、このエピソードの史実性に疑いを呈する。その上で、このような語りが生まれた背景に洞察を巡らせ、「彼女自身が早世したこと」「彼女の出身が権門でも歌道の家でもなかったこと」「彼女を取り立てた後鳥羽上皇も既に没していたこと」「『新勅撰和歌集』以後の勅撰和歌集に、彼女の歌が僅かしか採られなくなったこと」の4点を指摘している。『古今著聞集』の成立した1254年(宮内卿の没後約50年)までには、彼女に関する醜聞を書き立てても、筆者が不利益を被る心配がなくなっていたということだろう。
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by nazohiko | 2013-02-02 00:38 | ◆詩歌を読む

会いたかった~!(7)

 勢いに乗って、宮内卿に言及した論考や評論をいろいろと読み進めたり、既読の文章を読み返したりしているが、彼女の歌に対する諸家の評価には、要約すれば「『独創的』で『絵画的』な魅力を持つ一方で、『理知的』に過ぎて『叙情性』に欠ける」という所に落ち着くものが多いようだ。

 彼女の作品は、本当に「絵画的」であるだけか? 本当に「『理知的』に過ぎる」のか? 「理知的」な歌は必ず「叙情性」に欠けてしまうのか? 私の裡には「違和感」が萌しているが、それを「異論」として育て上げるためには、もう少し時間を要しそうである。
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by nazohiko | 2013-02-01 22:39 | ◆詩歌を読む

会いたかった~!(6)

 宮内卿の最初の作品群(現存する限りにおいて)である「正治二年第二度百首和歌」(1200年)から、『新古今和歌集』には僅か1首「たつた山あらしや嶺によわるらんわたらぬ水も錦たえけり」しか採られなかった。

  外山なる楢の葉までははげしくて尾花が末によわる秋風
    (『続古今和歌集』〈1265年〉秋上)

  寂しさを訪ひこぬ人の心まであらはれそむる雪のあけぼの
    (『新続古今和歌集』〈1439年〉冬)

  思ふより心の闇も晴れぬべし鷲の高嶺にありあけの月
    (『新続古今和歌集』〈1439年〉釈教)

 彼女の没後に編まれた勅撰和歌集にも、以上の計3首が入集したに止まるが、3首目に掲げた釈教歌を含めて、この「正治二年第二度百首和歌」には「若書き」の域を出ない作品が多いように思われるから、歴代勅撰集の撰者たちの眼力は正しかったと評するべきだろう。

 一方で、やがて「わたらぬ水も」の7音が「制の詞」に列せられるようになった(即ち彼女の「特許」が世人に認められた)「たつた山……」の歌だけでなく、冷酷なまでの静けさと白さを宿した「寂しさを……」の歌や、『新古今和歌集』雑下に採られた「竹の葉に風ふきよわる夕ぐれの物のあはれは秋としもなし」(初出は老若五十首歌合)を予告するような、fp(フォルテピアノ=強いアタックの後、直ちに弱音に転じる)の力感が目覚ましい「外山なる……」の歌には、既に紛れもない「宮内卿」の刻印を見て取ることができる。

 説明的な筆致に終始する「外山なる……」の歌に比べて、より文学的な広がりを獲得した「竹の葉に……」の歌の方に、やはり一日の長があると言えるだろうから、『新古今和歌集』が後者を採って前者を採らなかったことに理不尽はないと思うが、fpの快楽(けらく)一本で勝負した「外山なる……」の歌にも、私は捨て難い魅力を感じる。

 そんな「外山なる……」の歌が『続古今和歌集』によって再発見されるまでには、65年を要したことになるが、「寂しさを……」の歌は、その誕生から実に139年もの時を経て、史上最後の勅撰和歌集である『新続古今和歌集』に居場所を与えられたのだった。
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by nazohiko | 2013-01-30 00:07 | ◆詩歌を読む