by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko


カテゴリ:☆旧ブログより論考・批評等( 151 )

「アマデウス」戯曲と映画

映画「アマデウス」の原作となった
同名の戯曲に言及したついでに、
両者の異同について、ちょっとお話ししたい。

戯曲「アマデウス」は、
英国のピーター・シェーファーによって書かれたもので、
1979年にロンドンで初演された後、
ニューヨークでの再演にあたって、改訂版が作られた。
私が知るのは、専ら改訂版の内容である。

宮廷作曲家サリエリの陰謀に翻弄され続け、
心身ともども崩壊寸前となったモーツァルトを、
黒装束に仮面を付けたサリエリ自身が訪れ、
いわば「最後の一撃」として、
レクイエムの作曲を依頼する段階までは、
原作の戯曲と、ミロス・フォアマン監督による映画の間で、
筋書の進行について、目立つほどの違いは存在しない。

はっきりと差が出てくるのは、
大詰めに近い、モーツァルトの命が尽きる場面である。
原作では、サリエリが再度「仮面の男」として訪ねてきて、
レクイエムを早く完成するよう、鞭打つ如く催促する。
するとモーツァルトは、手を伸ばして仮面を剥ぎ取り、
「やはり、あなたでしたね」と、サリエリに語りかけるのだった。

映画の方では、サリエリは素顔のままで、
見舞客を装って、モーツァルトの家に忍び込んでくる。
モーツァルトは、目の前に立っているサリエリが、
自分の命を狙い続けてきた者だとは、ついに気付くことなく、
病み衰えた自分に代わって、譜面を書いてくれるよう、
口述筆記の役を、サリエリに懇願するのである。

こうした異同は、単に筋書を左右するに止まらない。
劇作家シェーファーと、映画監督フォアマンが、
「アマデウス」という物語に、それぞれ如何なる主題を託したか。
その違いが、モーツァルトの最期に立ち会うサリエリの姿を通して、
最も端的に浮かび上がってくるのである。

再び原作に戻ると、
仮面を剥がれたサリエリは、狼狽することもなく、
「死んでくれ、モーツァルト!」と、敵意を露わにするが、
その矛先は、いつのまにかモーツァルトを通り越して、
造物主であるキリスト教の神に向けられてゆく。

「音楽によって神を讃える」という志を、少年時代から持ち続け、
性的な純潔さえ、進んで自らに課してきたサリエリ。
しかし神は、そんなサリエリに微笑まなかったばかりか、
よりによって、あんなに下品で自堕落なモーツァルトに、
輝くばかりの才能を、惜しみなく与えたのだ……!
神や天才(神に愛された者=AMA-DEUS)の超倫理性について、
原作の戯曲は、サリエリの悲憤という形で問いかけるのである。

映画でのサリエリは、
モーツァルトに急かされるままに、口述筆記を引き受け、
秘密のヴェールに包まれていた、モーツァルトの創作過程を、
初めて目の当たりにすることになる。
そして、次々と紡ぎ出されてゆくレクイエムの響きに、
敵情視察という本来の目的も忘れ、感動に打ち震えてしまう。

この場面では、
モーツァルトを不倶戴天の敵と見なしながら、
モーツァルト作品の真価を理解できた、
唯一の同時代人として、サリエリが描かれる。
そんなサリエリの、二重の意味で孤独な立ち位置こそが、
即ち、映画「アマデウス」の主眼として扱われるのである。
「才能から疎外された者」としての孤独感が、
サリエリの中で、モーツァルトへの敵意に繋がっただけでなく、
「モーツァルト作品への畏敬」という一種の連帯感が、
群衆に対する敵意を生じて、彼に一層の孤独を味わわせたわけだ。

いや、もっと正確に言えば、
これら二つの主題は、戯曲と映画の両方に、
多かれ少なかれ、現れてくるものなのだが、
「どちらに重点を置くか」という分かれ道において、
戯曲と映画は、それぞれの針路を選んだのである。# by nazohiko | 2007-01-11 22:41
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by nazohiko | 2007-01-11 22:41 | ☆旧ブログより論考・批評等

続・「グラディエーター」寸感

昨晩レヴューを試みた「グラディエーター」は,
物語や映像作りの類型について言えば,
「ベン・ハー」(1959,W.ワイラー監督)や
「ローマ帝国の滅亡」(1964,A.マン監督)を
受け継ぐ一篇だと言える。

先月は「敬愛なるベートーヴェン」という映画を観て,
いたく気に入り,ここにも寸評を書き付けてみたが,
ふと思えば,この作品も,
「アマデウス」(1984,M.フォアマン監督)の後裔だ。
アンナがベートーヴェンに侍して,口述筆記する場面など,
「アマデウス」へのオマージュと見受けられる要素もある。

現在のところ,私が選ぶ三大名画は,
「ベン・ハー」
「アマデウス」
「ムトゥ 踊るマハラジャ」(1995,K.S.ラヴィクマール監督)
なのだが,
これらと通じ合うような作品には,
やはり好感を持ちやすいのかもしれない。

尤も,「アマデウス」に関しては,
原作となった戯曲(1979,P.シェーファー執筆)にも,
映画とは違った魅力があり,一読をお勧めできる。
日本初演時にモーツァルトを演じた(!)江守徹の訳により,
東京の劇書房から,日本語版が刊行されている。

ちなみに,私が三大オペラを選ぶとすれば,
「フィガロの結婚」(1786,W.A.モーツァルト作曲)
「ドン・カルロ」(1867,G.ヴェルディ作曲)
「ヴォツェック」(1925,A.ベルク作曲)
今の段階では,こんな顔ぶれになるだろうか。# by nazohiko | 2007-01-10 23:15
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by nazohiko | 2007-01-10 23:15 | ☆旧ブログより論考・批評等

映画「グラディエーター」寸感

正月休みの何日目だったか,
「グラディエーター」という映画を放送していたので,
ついつい最後まで見届けてしまった。
監督はリドリー・スコット,
出演はラッセル・クロウ,ホアキン・フェニックス等。
グレゴリオ暦でいう紀元後2000年に公開されたそうだ。

「グラディエーター(gladiator)」とは,
古代ローマの剣闘士のことである。
見世物として,大観衆の眼前で殺し合うのが,
奴隷身分に置かれた彼らの,唯一の務めだった。

グレゴリオ暦でいう紀元後一世紀の末,
賢帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスは,
名将マキシムスを,後継者にと望んでいた。
ローマ皇帝の位は,必ずしも世襲ではなく,
マルクス・アウレリウス・アントニヌスもまた,
血の繋がらない先帝の養子となって,帝位を継いだのだった。

しかし皇子コンモドゥスは,これを快く思わず,
父を謀殺して,帝位を奪ってしまったばかりか,
自分の地位を脅かしかねないマキシムスを処刑しようとする。
間一髪のところで,逃走に成功したマキシムスは,
負傷して倒れていたのを,奴隷商人に売られ,
剣闘士として生きてゆくことを余儀なくされるが,
彼は,持ち前の剣術や統率力に物を言わせて,
スーパースターへの階段を上ってゆくのだった。

ネロ,カリグラ,ヘラガバルスと並んで
ローマ史上に輝くバカ殿となり果てていたコンモドゥスは,
かつて処刑を命じたはずのマキシムスが,
剣闘士として御前試合に現れたのを見て,ひどく恐懼し,
元老院議員たちは,マキシムスの生存を知って驚喜する。

マキシムスに,再び軍隊を率いさせて,
コンモドゥス打倒のクーデターを起こそうという機運さえ,
議員たちの間に醸されてきた中にあって,
愚昧と狂気の度が,いよいよ頂点に達した皇帝は,
自ら剣闘士となって闘技場(コロセウム)に降り立ち,
マキシムスと直接対決することを決意する。

卑劣なコンモドゥスの手により,
マキシムスは,闘技場の裏で腹部を刺されてしまうが,
その刀傷を隠しながら,宿敵コンモドゥスを討ち果たす。
現職の皇帝が斬殺されるという非常事態でありながら,
親衛隊は,その様子を冷ややかに眺めるばかりだった。
喝采の声を浴びながら,力尽きたマキシムスは倒れてゆく。

マルクス・アウレリウス・アントニヌスの後を
皇帝の器ではないコンモドゥスが継いだせいで,
ローマ帝国の最盛期が,ついに終わってしまったことや,
彼が剣闘士の真似事にうつつを抜かしているうちに,
誰からも見限られて暗殺されたことは,いずれも史実である。

一方,マキシムスという人物は実在しなかったそうだし,
コンモドゥスが父帝を殺して即位したという証拠もない。
まして,彼は剣闘競技の場で落命したのではないけれども,
この映画は,史実と虚構を巧みに組み合わせ,
ローマ史マニアにとって,極上のごちそうと言うべき一篇だった。

また,主役側の登場人物たちの行動が,
「帰るために闘う」というキーワードによって,一貫していたこと。
マキシムスにとって,この物語は,
妻子の待つ故郷に帰還するための,闘いの過程であった。
妻子がコンモドゥスに虐殺されたことを知って以後は,
せめて命と引き替えにコンモドゥスを倒して,
妻子の待つ楽園へ往きたいという悲願が,彼を動かし続けた。

コンモドゥスの姉ルキッラや,元老院議員たちにとっては,
それは,撹乱されたローマ帝国をコンモドゥスから奪い返し,
先帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが目指していた
善政の道に復帰させてゆくための,闘いの過程だったのである。

マキシムスとコンモドゥスが,
見物客たちの前で「相討ち」を遂げたことにより,
マキシムスの悲願も,
ルキッラや議員たちの悲願も,とりあえず成就した。

マキシムスが,闘技場の砂の上で息絶えた時,
ルキッラは一言「帰った」と呟くのだったが,
ラストシーンで発せられた,この言葉こそ,
二時間余に及んだ映画を,力強く完結させる言葉だったのである。
「帰った」のは,マキシムスだけではない。
ルキッラ自身も,居並ぶ議員たちも,
彼ら一人一人の闘いが,この瞬間に終わったことを自覚していた筈だ。# by nazohiko | 2007-01-09 21:35
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by nazohiko | 2007-01-09 21:35 | ☆旧ブログより論考・批評等

あれあれあなあな 続報

昨日の記事でご紹介した、
木下杢太郎の作詞した「伊東小学校校歌」だが、
この小学校が、杢太郎自身の出身校であること、
そして、「伊東市立西小学校」と改制された今もなお、
校歌として受け継がれていることが分かった。
近年になって、校庭に歌碑が建てられたという。

  西に山、東に海、
  美しいかな、この岡、われらが里。
  あれあれあれあれ、朝日子登る。
  あれあれあれあれ、船出の叫び。
  さればわれ等も親々の如く、
  力めむかな、いざ、はらからよ、友よ。
  力めて更に歩武を進めむ。
  額に汗、
  腕に力、
  意志強く、質實に、されどやさしく、
  いざ、はらからよ、同窓の友よ。
  あなあなあなあな、幸ある御國。
  あなあなあなあな、樂しきつどひ。

宗左近に作詞してもらった校歌を、
あっという間に廃止して、
「穏当な」歌詞に改めてしまった学校もあると聞く中で、
あれあれあれあれ あっぱれなこと。
あなあなあなあな 伊東市立西小学校 (^o^)

# by nazohiko | 2006-12-25 16:47
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by nazohiko | 2006-12-25 16:47 | ☆旧ブログより論考・批評等

発信 ゆんゆん 受信 やんやん

木下杢太郎全集の、詩の部分だけ、
大変な安値で出ていたので、迷わず買い求めた。

詩集『食後の唄』や戯曲「南蛮寺門前」など、
メジャーな作品には、いろいろ親しんできたつもりだが、
さすが全集だけあって、未知の詩歌がごろごろしている。

杢太郎の作詞した「伊東小学校校歌」も、その一つだ。
静岡県伊東市は、彼の故郷である。

  西に山、東に海、
  美しいかな、この岡、われらが里。
  あれあれあれあれ、朝日子登る。
  あれあれあれあれ、船出の叫び。
  さればわれ等も親々の如く、
  力めむかな、いざ、はらからよ、友よ。
  力めて更に歩武を進めむ。
  額に汗、
  腕に力、
  意志強く、質實に、されどやさしく、
  いざ、はらからよ、同窓の友よ。
  あなあなあなあな、幸ある御國。
  あなあなあなあな、樂しきつどひ。

「昭和三年八月作」と附記されているのだが、
何というアヴァンギャルドな校歌であろうか!

宗左近の作詞した「清陵情報高等学校校歌」が、
数年前に、ちょっとした話題になったが、
その「発信 ゆんゆん」や「受信 よんよん」を、
杢太郎の「あれあれあれあれ」と「あなあなあなあな」は、
遥かに先取りしていると言ってよい。

  http://www.seiryojoho-h.ed.jp/webt/syoukai/kouka/kouka.htm

当時の杢太郎は、東北帝国大学医学部の教授であり、
「著名な詩人」というより「郷土出身の偉い学者」として、
校歌の作詞を依頼されたのだろう。
それゆえか、良くも悪くも校歌風のフレーズに満ちているが、

  あれあれあれあれ、朝日子登る。
  あれあれあれあれ、船出の叫び。

と続くところは、
印象派の絵画のように、鮮烈なイメージを与えてくれるし、

  額に汗、
  腕に力、
  意志強く、質實に、

という一本調子な羅列が、
息苦しい行進曲調に陥ってしまう寸前で、

  されどやさしく、

と転折させてみせるあたりにも、杢太郎の刻印は疑いない。

世間では、クリスマス・イヴと呼ばれる晩である。
この晩に、杢太郎の全詩歌を入手することができたのは、
キリシタン文化に造詣の深かった彼と、
今年の夏に鬼籍に入った宗左近が、
力を合わせて、天上から「発信 ゆんゆん」してくれた、
クリスマスの贈り物なのかもしれない。
ならば、ありがたく「受信 よんよん」させていただこう。 # by nazohiko | 2006-12-24 20:13
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by nazohiko | 2006-12-24 20:13 | ☆旧ブログより論考・批評等

メロスゎ激怒した

文字化ヶしてぃるのでゎない。
「あ、い、う、え、お、つ、や、ゆ、よ、わ」を、
「ぁ、ぃ、ぅ、ぇ、ぉ、っ、ゃ、ゅ、ょ、ゎ」に
片っ端ヵら置き換ぇるとぃぅ、
当節流行の綴り方ぉ、用ぃてみたのでぁる。

これに加ぇて、格助詞「は」と「を」ぉ、
それぞれ「ゎ」と「ぉ」で表記するのが、一般的だ。
平仮名にゎ小文字のなぃ「か」と「け」につぃて、
片仮名の「ヵ」と「ヶ」に置き換ぇることも、時に行ゎれる。

このょぅにして文ぉ綴ると、
見た目にコミヵルな凸凹が生まれるし、
一種のぁどヶなさを感じさせるので、ちょっとぉもしろぃ。

「メロスゎ激怒した。」

「清が死んだら、坊ちゃんのぉ寺へ埋めて下さぃ。」

ぁまり律儀に、ことごとく小文字に置き換ぇてしまぅと、
ひどく読みづらぃ文になってしまぅので、
ぁぇて小文字にしなぃ箇所ぉ、
適当に残してぉくとぃぅセンスが、
これヵらゎ、求められるょぅになるヵもしれなぃ。

とぃぅヵ、
格助詞「は」ぉ、「ゎ」と表記することと、
丁寧の接頭辞「お」ぉ、「ぉ」と表記することの二つゎ、
ネットの世界ぉ中心にして、
既に一時的流行の域ぉ超ぇ、
ひとつの慣用的な綴り方として、
定着の域に入りつつぁるょぅにすら見ぇるが、
文法的に見て、ぁながち無意味とぃぅゎヶでもなぃ、
これら二つだけが、
単独で生き残ってゅくことになるのヵもしれなぃ。# by nazohiko | 2006-12-18 00:27
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by nazohiko | 2006-12-18 00:27 | ☆旧ブログより論考・批評等

デジタルな舞、アナログな舞

フィギュアスケートの試合を、テレビで観た。
グランプリ・ファイナルという大会の、
第一日の模様だそうである。

トリノ・オリンピックで見かけて以来、
わが熱愛する「女子プロレス系フィギュアスケーター」
ミラ・リュンが呼ばれていないのは残念だったが、
それなりに楽しめる試合だった。

フィギュアスケートを、
平素から観ているわけではないので、
何をどうすれば得点に繋がるのか、
解説のアナウンスを聞いても、ピンと来ないのだが、
浅田真央が一位で、安藤美姫が二位だったのは、
私なりの基準でも、納得することができた。

安藤美姫の身体が描く線は、
十分に流麗ではあるのだが、
しかし、よく目を凝らしてみると、
針のように短い直線を、無数に繋げてゆくことで、
一本の曲線に近似したものを、私たちの目に見せるようだ。
いわば、デジタルな出力波形としての舞。

それに対して、
浅田真央は、手指の先から足の爪先まで、
ほんの僅かな角(かど)をも感じさせない。
シームレスな一本の曲線として、
どこまでもしなやかに立ち現れる。
いわば、アナログな波形を描く舞なのだ。
より高い技量を要するのは、こちらだろう。# by nazohiko | 2006-12-17 00:22
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by nazohiko | 2006-12-17 00:22 | ☆旧ブログより論考・批評等

続・「敬愛なるベートーヴェン」寸感

あれからプログラム冊子をめくってみると、
アニエスカ・ホランド監督が、
第九交響曲の初演シーンを、
あえて映画の中途に置くという物語構成は、
ひとつのチャレンジだったと語っている。

インターネット上に出ている批評には、
第九交響曲の初演で、映画を終わってほしかったとか、
後半の数十分は蛇足だったというものが、
存外に多かったのだけれども、
もしも、あのシーンで物語が閉じられていたならば、
それは、既に「楽聖」として評価の定まった人を、
教科書的に讃美する映画に終わってしまうではないか。

さにあらず、ベートーヴェンは、
当時の「前衛作曲家」だったのであり、
同時代の人々に、受け入れられにくいのは承知の上で、
自分の音楽を模索し続けた人なのだ。
第九交響曲のように、発表当初から好評だった作品は、
むしろ少なかったのである。

そして、なまじ優等生であるがゆえに、
ベートーヴェンが第九交響曲以後に生み出した作品を
どう受け止めてよいのか、戸惑ってしまう一方で、
ベートーヴェンを敬愛するがゆえにこそ、
作曲家として、ベートーヴェンの模倣を脱しきれずに
アイデンティティ・クライシスに苦しむアンナ。

そういう部分まで、しっかりと描き込んでこそ、
硬直した偉人伝(滝廉太郎の映画を思い出す)から脱却して、
血の通った人間たちのドラマになるというものである。
だから、この映画の後半部分を、
私は基本的には支持したい。

但し、それほど意義のある後半部分を、
わざわざ「チャレンジ」してまで、付け加えるからには、
アンナが一度は駄作のレッテルを貼った「大フーガ」を、
ベートーヴェン最晩年の傑作として、
受容できるようになってゆく過程や、
アンナの作った、半端にベートーヴェン風のピアノ曲が、
度重なる推敲や、ベートーヴェンとの対話を経て、
アンナ自身の音楽に生まれ変わってゆく過程を、
もっと私たちに見せてほしかったと思うところだ。

この映画を観ていて、
ふと連想したのが、往年の名作「ベン・ハー」である。
ベン・ハーが、命がけの戦車競技に勝利し、
宿敵メッサーラを倒すところでは、映画が終わらない。
物語が本当の円満解決に至るためには、
更にいくつかの展開が、必要だったからである。# by nazohiko | 2006-12-12 00:25
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by nazohiko | 2006-12-12 00:25 | ☆旧ブログより論考・批評等

「敬愛なるベートーヴェン」寸感

「敬愛なるベートーヴェン」という映画を観てきた。
文法的におかしい訳題だが、
原題を"Copying Beethoven"という。

監督はアニエスカ・ホランド、
主演はエド・ハリス(ベートーヴェン役)と、
ディアーネ・クリューガー(アンナ・ホルツ役)。
登場人物は英語を話すが、"Mr."ではなく"Herr"を使うなど、
ドイツ語の雰囲気が、ところどころに取り入れられていた。

時と場所は、1824年のウィーン。
第九交響曲の初演を数日後に控えて、
ベートーヴェンは、なお推敲に没頭しており、
譜面の清書が、まだ出来上がらない。
業を煮やした楽譜商は、
作曲科で一番の成績だという女学生アンナを、
写譜(copying)のアルバイトとして、
ベートーヴェンのもとへ送り込む。

烈火の如きベートーヴェンや、その汚い仕事部屋に、
震え上がったり、逆ギレしたりしながら、
アンナは、第九交響曲の譜面を仕上げてゆくのだが、
そこでまた、新たな問題が浮上する。
聴力をほとんど失ったベートーヴェンは、
オーケストラと合唱を、満足に指揮できないのだ。

この映画には、
ベートーヴェンが住み着いていた、アパートの七階が出てくる。
大きなラッパのような、愛用の補聴器も出てくる。
ダメ男な甥っ子のカールも、肥満したルドルフ大公も出てくる。
そして、舞台の陰に隠れたアンナの身振りをまねながら、
ベートーヴェンが、たどたどしくも意気揚々と
第九交響曲の初演を指揮する、長いシーンは、
この場面を観るだけでも、映画館に赴く価値は十分にある。

史実では、ベートーヴェンは形ばかりの指揮をしただけで、
別の音楽家が、実際の指揮を担当していたそうだが、
この映画に描かれた、二人三脚の指揮姿は感動的だ。
拍手喝采が聞こえないベートーヴェンを、
聴衆のほうへ向き直らせてやったのは、
史実としては、アルト独唱の歌手だったらしいが、
この映画では、舞台の陰から這い出たアンナが、
ベートーヴェンを振り向かせて、聴衆の熱狂ぶりを見せる。

とはいえ、これでやっと物語の半ばにすぎない。
新しい音楽を、貪欲に模索し続けるベートーヴェンと、
ベートーヴェンを心から尊敬しながらも、
第九交響曲以後の新作を理解できず、悩むアンナという図式が
最晩年の「大フーガ」をめぐって、浮き上がってくる後段こそ、
むしろ、この映画の真髄であると言うべきだろう。

心を開ける数少ない相手となった、アンナの作ったピアノ曲や、
アンナの恋人が造った、コンペティション用の建築模型にすら、
情け容赦ない酷評を浴びせるベートーヴェンと、
そんなベートーヴェンに、心を傷付けられつつも、
ベートーヴェンの模倣を脱しきれない若手作曲家アンナという図式も、
後半部分の重要なテーマとなっている。

ラストシーンの近く、
病床に臥すベートーヴェンに代わって、
アンナが「聖なる感謝の歌」を口述筆記する。
この映画は、ベートーヴェンの譜面を、
アンナが清書する(copying)場面に始まり、
ベートーヴェンの口ずさむ音楽を、
アンナが筆録する(copying)場面に終わるわけだ。

原題にいう"Copying Beethoven"とは、
ベートーヴェンを書き写すという、
アンナの仕事を指す一方で、
写譜や口述筆記という営みを通じて、
ベートーヴェンの魂を、少しでも読み解き、
ベートーヴェンの魂に、少しでも近づこうとした
アンナその人を表す言葉なのかもしれない。# by nazohiko | 2006-12-10 23:51
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by nazohiko | 2006-12-10 23:51 | ☆旧ブログより論考・批評等

夢は枯野を

芭蕉の辞世の句には、
いろいろな表記が行われてきたようだが、
私の読んだ限りでは、
「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」というのが
オリジナルに最も近いらしい。

「病で」という送り仮名の付け方が、
現在ではめったに見られなくなったことや、
「廻る」が、「まはる」とも読めることに鑑みれば、
流布の過程で、様々に書きかえられてしまったのも、
仕方がないことだと言えようか。

この句を絶唱たらしめる、最たる要素は、
「たびにやんで」という字余りであり、
なおかつ、字余り部分の「で」という鈍重な響きである。

失速したジャンボ・ジェットが、
砂塵の中へ胴体着陸してゆくような韻律は、
芭蕉の肉体がもはや再起不能だということや、
また、そんな芭蕉の無念の思いをも、
残酷なまでの表現力で物語ってくる。
耳を澄ませて、そこまで読み込んで(聴き込んで)こそ、
「夢は枯野をかけめぐる」という後半部分に備わった
一種不可思議な軽みが、活きてくるのだ。

詩歌を読むという作業は、
もっと、韻と律の工学でなければならないし、
韻律の工学が成り立つためには、
韻律の心理学を、もっと意識しなければならない。

それはそうと、この句には、
ドナルド・キーンによる英訳がある。

  Stricken on a journey,
  My dreams go wandering round
  Withered fields.

キーン教授は「旅に病で」を、
"Stricken on a journey"と訳した。
日本語に直訳すれば、
「旅の途上で打ちのめされて」となるだろうか。
"stricken"は、"strike"の過去分詞形である。

私は上述のように、「旅に病で」の韻律から、
芭蕉の肉体が、自ら力尽きてゆく様子をイメージする。
つまり、内部からの崩壊として読む傾向にあるわけだが、
キーン教授は、芭蕉が死神の鉄槌を食らう姿を、
同じ「旅に病で」という言葉から、想起したようだ。
もしかすると、その字余りと「で」の響きに、
鈍器によるゆっくりとした殴打の音を、聴き取ったのかもしれない。# by nazohiko | 2006-12-10 00:36
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by nazohiko | 2006-12-10 00:36 | ☆旧ブログより論考・批評等