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カテゴリ:☆旧ブログより論考・批評等( 151 )

脳内マイスタージンガー

絶対音感の弱い私にも、何とかできる遊び。

ハ長調に基づいて作られた、
ワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲を、
頭の中で、一音上げて、
ニ長調の曲として、鳴り響かせてみると、
滑稽なまでに、きらきらしく変貌してしまう。
音楽とは、不思議な聴覚刺激だ。

ワーグナーが、この曲を思い立った瞬間から、
それは彼の耳に、ハ長調で聞こえていたのだろう。
ニ長調やホ長調など、いろいろな高さを試してみた結果、
ハ長調に落ち着いた……というのではあるまい。

そんなことまで、想像してみる。

ところで、この映像は貴重なドキュメントだ。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが、
1942年に指揮した「マイスタージンガー」前奏曲である。
http://www.youtube.com/watch?v=3rM96_RS1Os

# by nazohiko | 2007-01-30 00:11
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by nazohiko | 2007-01-30 00:11 | ☆旧ブログより論考・批評等

オジャパメン

往年の日曜番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」で、
ダウンタウン(浜田雅功・松本人志)、
今田耕司、東野幸治、
130R(板尾創路・蔵野孝洋)の
合計六人によって歌われていた曲である。

http://www.youtube.com/watch?v=CkiWU0kUEYo

初めて聴いた段階で、歌詞の八割ほどを憶えてしまい、
もう一度聴き終わった頃には、
私の脳裡に、すっかり焼き付いていた。
あれから十年以上を経てもなお、
一字一句そのままに暗誦することができる。

今に比べれば、うんと垢抜けなかった頃の
アジア・ポップスをパロディ化した、彼らの演目。
よくぞここまで「それっぽい」歌詞を、
架空の言語を使って、捏(でっ)ち上げてくれたなあと、
作詞者の耳の良さに感嘆しながら、聴いていたものだ。

後になって、
韓国のアイドルグループ「消防車(ソバンチャ)」の曲を、
そのままカヴァーしたものであることを知った。
オリジナルの曲名は、
「オジャパメ・イヤギ」(昨晩の話)といい、
「オジャパメン」は、歌詞の最初に出てくる言葉なのだ。

韓国語という実在の言語で、歌詞が綴られていたことにも、
ずいぶんがっかりさせられたけれど、
歌詞の内容が、何の変哲もないアイドル歌謡だったことで、
「オジャパメン」の衝撃は、いよいよ色褪せてしまった。

さらに後になって、
ダウンタウンの番組で歌われた「オジャパメン」は、
韓国語の歌詞を、そのまま使ったのではなく、
「松本人志が聞き取った通りに、片仮名で書いたもの」を、
歌詞として用いていたらしいことを知った。
松本のそんなこだわりが心に響いて、
「オジャパメン」が、再び好きになった。# by nazohiko | 2007-01-27 00:20
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by nazohiko | 2007-01-27 00:27 | ☆旧ブログより論考・批評等

クリストの「囲まれた島々」

昨晩の記事で触れたクリムトと、片仮名では一字違いの、
クリスト(Christo)という美術家も、私は好きだ。
1935年にブルガリアで生まれ、現在はアメリカで活動している。

クリストの真骨頂は「梱包」にあると、よく言われる。
しかし、「梱包された海岸」(1969年にオーストラリアのリトル・ベイで挙行)のように、
自然物や人工物を布(大抵は白い布)で包んでしまうイヴェント、

【旧ブログには画像あり】

「峡谷のカーテン」(1972年にアメリカ・コロラド州の峡谷で挙行)のような、
自然景観や人工景観の中に、布製の垣根を挿入する型のイヴェント、

【旧ブログには画像あり】

そして「囲まれた島々(1983年にアメリカのマイアミで挙行)」のような、
布によって包み込むのではなく、周囲を彩る型のイヴェントでは、
布に託された意味が、必ずしも同じではないはずだ。

【旧ブログには画像あり】

私がクリストと出会ったのは、中学生の頃だった。
小学館の『日本大百科全書』をめくっていた時に、
「囲まれた島々」の俯瞰写真が、目に入ってきたのである。
それが「クリスト」の項目だったか、他の項目だったか、
あの百科事典が手許にないので、定かではない。

※クリストのオフィシャル・サイト http://christojeanneclaude.net/

# by nazohiko | 2007-01-26 00:48
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by nazohiko | 2007-01-26 00:48 | ☆旧ブログより論考・批評等

クリムトの描いたベートーヴェン

昨晩の記事に添えた、ベートーヴェンの肖像は、
クリムトの「ベートーヴェン連続壁画」(Der Beethovenfries)から、
金色の甲冑に身を固めたベートーヴェンの姿を、抜粋したもの。

クリムトの率いた「ウィーン分離派」(Wiener Secession)は、
1902年に、「ベートーヴェン」をテーマに展覧会を開催した。
盟友クリンガーによる、楽聖の彫像が中央に鎮座し、
クリムトは壁画を描いて、ベートーヴェンの音楽世界を表現するなど、
多士済々の分離派美術家たちが、この展覧会に出品したばかりでなく、
かのマーラーもゲスト出演して、
第9交響曲の一節を、金管合奏に編曲して披露したというから、
とてつもなく豪華版の芸術祭であった。

「ベートーヴェン連続壁画」は、
この展覧会のために執筆された、3面から成る連作である。
それぞれの壁面には、
「幸福への渇望」
「敵意ある力」
「幸福への渇望が、詩の中で充足を見出す」
と名付けられており、
昨晩の記事で紹介したのは、第1面「幸福への渇望」の一部なのだ。
人々を守護し、引率する英雄として、
武装したベートーヴェンが描かれるのだが、
日本風の文様が採り入れられているのに、注目してほしい。

壁画の最終面では、
詩の女神に導かれて、人々が楽園に入ってゆく様子と、
歓喜の大合唱が、見る者を待ちかまえている。
如何にもクリムト流に料理された、第9交響曲の世界なるかな!

クラウディオ・アバド指揮、ウィーン・フィルハーモニーによる
ベートーヴェンの交響曲全集のジャケットに、
「ベートーヴェン連続壁画」の各部分が使われたので、
ごらんになったことのある方も、少なくないと思う。
第3交響曲「英雄」には、金色に輝くベートーヴェンを配し、
第9交響曲「合唱」には、もちろん楽園の大合唱が配されていた。

同じドイツ・グラモフォン社から、同じ頃に発売された、
レナード・バーンスタイン指揮による、マーラーの交響曲全集が、
すべてのジャケットを、エルテの作品で飾ったのも印象的だったが、
やっぱり、クリムト&ベートーヴェン組の勝ちだ♪

# by nazohiko | 2007-01-25 00:16
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by nazohiko | 2007-01-25 00:16 | ☆旧ブログより論考・批評等

ベートーヴェンの「第九ジュムフォニー」

『ベートーヴェンの「第九ジュムフォニー」』という本を読了。
著者は田村寛貞、1924年(大正13年)に岩波書店から刊行された。
正確に題名を言えば、「ム」も小さい活字で刷られている。
"Symphonie"というドイツ語の中の、母音を伴わない"m"を、
著者は、このようにカタカナ表記してみたわけである。

  今や終に其時は來た。
  疲れ果てた心を振り起して、
  此處に吾人は『歡喜の歌』を謠はうとはする!

ひどく熱っぽい言葉で、この本は書き起こされるが、
それもそのはず、
第9交響曲の初演から、ちょうど100年を数える1924年に、
日本で初めての完全演奏が行われたのだが、
その企画とタイ・アップする形で、執筆された本なのである。
そして、これが、
日本で初めての、第9交響曲に関する学術書となった。

この時の演奏会は、
東京音楽学校(現・東京芸術大学)の人員によって行われた。
それよりも6年前に、徳島の捕虜収容所で、
ドイツ人の捕虜によって全曲演奏されたことがあり、
「バルトの楽園」という映画によって、少々有名になったが、
合唱・独唱ともに男性だけで編成したり、
いくつかのパートを、他の楽器で代奏したりと、
本格的な日本初演と呼ぶには、不満の多いものであった。

1924年の「我日本に於ける初回演奏の嚴かなる響」は、
洋楽好きで知られた徳川頼貞侯爵(紀伊徳川家)と、
東京音楽学校の教授グスタフ・クローンの尽力によって、
ようやく実現に漕ぎつけたらしく、
この本の「序言」にも、両氏への謝辞が記されている。

ちなみに、我が敬愛する内田百間の随筆に、
「徳川侯爵の音楽堂」に通いつめた頃の回想が出てくるが、
徳川頼貞は、その「南葵楽堂」をプロデュースした人でもある。

さて、『ベートーヴェンの「第九ジュムフォニー」』は、
下記のような構成を取る。

  口絵(ベートーヴェン肖像、第9交響曲の自筆楽譜など)
  序言
  第一章 總説
  第二章 由來
  第三章 標題樂的解説
  第四章 純音樂的解説
  第五章 各國に於ける初回演奏
  第六章 終樂章の問題
  第七章 シュポーァ、メンデルスゾーンの酷評、ワーグナーの努力

冒頭の「序言」が、なかなか長いのであって、
欧州における第9交響曲の研究史を、
実にたくさんの欧文書籍を挙げながら、批評する部分となっている。
「H. Schenker: Beethovens Neunte Sinfonie」なる文献の
得失を論じる箇所に至っては、本格的な書評と呼ぶに値するほどだ。

「第二章 由來」では、
ベートーヴェンの遺したノートブックや、
弟子たちによる実録に拠りながら、
いくつもの譜面を掲げつつ、
第9交響曲の成立過程を追いかけてゆく。
第1楽章から第3楽章までのグループと、合唱の入る第4楽章が、
本来は、別個の交響曲として制作されていたことや、
それゆえに、第3楽章と第4楽章をどのように繋げればよいか、
試行錯誤が繰り返されていたことに、
記述の重点が置かれており、博引旁証ぶりが頼もしい。

ゲーテの劇詩『ファウスト』を、処々に引用しながら、
「比喩的觀念の媒介による朧げなる共通的情緒の喚起」を試みる
「第三章 標題樂的解説」と、
音楽構造の計量的な分析に徹した「第四章 純音樂的解説」が、
隣り合って掲載されるというのも、面白いと言える。

「第五章 各國に於ける初回演奏」と、
「第六章 終樂章の問題」を経て、
「第七章 シュポーァ、メンデルスゾーンの酷評、ワーグナーの努力」は、
第9交響曲が、初演当晩の熱狂的な喝采とは裏腹に、
その後しばらくの間は、なかなか理解者に恵まれず、
シュポーアやメンデルスゾーンのような炯眼の音楽家ですら、
第9交響曲の真価を見出せなかったことを、滔々と語る。
そして、ベートーヴェンの後継者を自認したワーグナーが、
万難を排して演奏会を準備し、自ら解説文を綴り、指揮棒も執って、
1846年にドレスデンで第9交響曲を演奏して以来、
「全世界の音樂中最も驚歎す可き樂曲の一つ」として、
次第に認知されていったことを告げるのである。

第9交響曲を、既成の世界的名曲としてアリガタガルのではなく、
作曲者ベートーヴェンや、顕彰者ワーグナーの苦闘を、
読者にありありと追体験させるような、この本の執筆姿勢は、
第9交響曲の日本初演に携わった人々の心意気を、今に伝えてくれる。
その一方で、これほどまでに充実した解説書が、
今とは比較にならないほど、レコードも洋書も入手が難しかった、
当時の日本で書き上げられたことに、私は敬服を惜しまない。

# by nazohiko | 2007-01-24 01:25
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by nazohiko | 2007-01-24 01:25 | ☆旧ブログより論考・批評等

0.999...は1に等しい

Wikipediaに面白い項目を見つけた。
その名を「0.999...」という。
http://ja.wikipedia.org/wiki/0.999...

0.999...という小数は、
小数点以下どこまでも9が続いてゆく、
いわゆる循環小数のひとつだが、
この小数が表すものは、1という整数に等しい。

「0.999...は、限りなく1に近い」というのではない。
「0.999...は、寸分違わず1に等しい」のである。

つまり「1 = 0.999...」という等式が成り立つことを、
数学的に説得してみせるのが、この事典項目なのだ。

私が中学生の時に、簡単な証明を教わったことがある。
1/3という分数は、0.333...という形でも表される。
つまり「1/3 = 0.333...」であるから、
この等式の両辺を3倍すると、
ほら、「1 = 0.999...」になるでしょう♪

このような証明も、
「分数を用いた証明」のひとつとして、掲載されていたが、
他にも、実にたくさんの証明方法があることを知って、
私は、ひどく昂奮させられた。
逆に言えば、「1 = 0.999...」という単純な数式が、
なんと豊かな数学の世界に、私を連れ出してくれるのだろう。

とはいえ門外漢の私には、
一読しただけでは、何のことやら解らない記述も多く、
それらについては、用語や数学記号の意味を、
のろのろと勉強してゆかなくてはならないが、
そこまで食い付いてみる値打ちのある辞典項目だと思った。

※午前2時22分を狙って、この記事をアップロード。# by nazohiko | 2007-01-22 02:22
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by nazohiko | 2007-01-22 00:22 | ☆旧ブログより論考・批評等

なめとんか

「大阪ソウルバラード」というオムニバスCDを買い求めた。

やしきたかじんの「やっぱ好きやねん」、
BOROの「大阪で生まれた女」、
上田正樹の「悲しい色やね」、
河島英五の「酒と泪と男と女」など、
大阪発のメロディアスな歌が、一枚に詰まっている。

やしきたかじんの歌は、他にも四つ収録されていたが、
「なめとんか」という曲のサビに、私は幾度も聴き耳を澄ました。
作詞・作曲は鹿紋太郎、編曲は若草恵による。

  なめとんか ホンマなめとんか
  うちはあんたのおもちゃやないよ
  言うたろか 今日は言うたろか
  思いつづけて もう二年

(試聴 http://smil.jvcmusic.co.jp/naviram?cd=SE9-20035&sid=ATVE)

「なめとんか」(なめているのか)という大阪弁の啖呵に、
その抑揚や、強弱や、律動を、
見事になぞるような旋律が、当てはめられているのだ。

それだけではない。
ここに掲げたサビ部分には、女声のバックコーラスが付くのだが、
「なめとんか」の箇所だけ、コーラス隊は音符を忠実に追わず、
「なめとんか」と、言い捨てるように発声する。

やしきたかじんのテノールによる「なめとんか」の一喝と、
女声コーラスが、その背後で発する「なめとんか」の一言。
両者の間に、音程の微妙なずれが生じて、
そこに、一種独特の凄味が醸し出されるのである。

女性の怨みを、男性歌手が唱い上げるという、
藤原定家の時代から定番となってきた、美しき仮面劇のお約束が、
ほんの一瞬だけ、意図的に破綻させられ、
本物の女性による「なめとんか」の啖呵が闖入してくることによって、
聴く者を戦慄させる……そんな類の心理効果なのだろうか。

サビ後半の「言うたろか」に関しては、
言葉の抑揚に、旋律があまり沿っていないので、
同じように、コーラス隊による啖呵が重ねられるけれども、
「なめとんか」の箇所に比べて、今ひとつ冴えないようである。

# by nazohiko | 2007-01-17 12:57
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by nazohiko | 2007-01-17 12:57 | ☆旧ブログより論考・批評等

天書(A Book from the Sky)

徐冰(Xu Bing、シュー・ビン)は、
1955年に中国の重慶で生まれた美術家である。
現在はニューヨークで活動している。

彼の代表作の一つと言えるのが、
1988年に発表が開始された「天書」シリーズだ。
ここに写真を掲げたのは、1989年の作品で、
「析世鑑世紀末巻:天書」と題されている。
最後の写真は、印刷に用いられた版木である。


【旧ブログには画像あり】


伝統的な漢籍が、丁寧に模造されているようでいて、
明朝体で木版印刷された、如何にも漢字に見える図形は、
どれ一つとして辞書に載っていない。
つまり、それらに「文字」としての機能を期待するならば、
意味も発音も持たない、無機能な「文字」たちなのだ。
徐冰は、そうした「文字」を4000あまり創案して、
適度に反復使用しながら、印面を埋めていった。

【旧ブログには画像あり】

これら「天書(天から来た文字、という意味でもある)」を、
私たちが「漢字に見えるもの」として認識してしまう理由は、
言うまでもなく、
漢字に使われる種々のパーツを、
ヘン・ツクリ・カンムリ等、
漢字の空間構成法に則って配列することを、
構図の基本としているからである。

既存の漢字から、パーツを借用して作られた図形であるから、
字義や発音を、力ずくで読み出してしまうことも不可能ではないが、
そこまで粘着的な鑑賞法を、作者が期待していたのかどうか、
私の知るところではない。
但し、扉に大きく刷られた3つの「文字」が、
「析世鑑」という書名を表すらしいことに限っては、
神秘のヴェールがめくれ上がってしまうのを、
作者は、さすがに禁じ得なかったようだ。

【旧ブログには画像あり】

漢字のように見えながら、漢字辞典に載っていない図形を、
4000あまりにわたって設計するという作業は、
「新しい漢字を作り出すこと」よりも、
「文字に見えない図形を描くこと」よりも、
遥かに難しい営為であるに違いない。

描かれた図形が、
「漢字に見えるもの」として認知されるために、
作者の技量は、積極的な条件と消極的な条件を、
共に満たさなくてはならない。

積極的な条件というのは、
漢字の造形に用いられてきた筆法や空間構成法を、
作者が、完璧にマスターする必要があることである。
消極的な条件というのは、
いわば「漢字の偽作者」を務めるのだから、
徐冰という美術家の個性が、
その図形から、むんむんと発露してしまうようでは、
失敗となってしまうことである。

そして、更に厄介なことに、
人類がこれまでに産み出した漢字の総数は、
中国で作られたものだけに限っても、40000を超えるのだ。
図書館に並んでいる『大漢和辞典』を、
どの巻でもよいから手に取って、頁を繰ってみてほしい。
「こんなにも奇妙なヴィジュアルの漢字が存在したのか!」
「このパーツとあのパーツに、こんな組み合わせ方があったのか!」
等と驚きながら、あなたは半時間くらい過ごしてしまうだろう。

如何にも漢字らしく見えながら、
なおかつ、漢字辞典に載らない図形を発明したつもりでも、
その大抵は、とっくの昔に「漢字」として登録されているのである。
釈迦如来の掌の上をさまよう孫悟空のように、
徐冰は、数え切れないほどの得意と失意を繰り返しながら、
やっとのことで、4000あまりの図形を確保したのだろうと推察される。
ヴァラエティに富む発想力と、
個性の消去を両立させなくてはならないから、いよいよ骨折りなのだ。

どうかゆっくりと鑑賞していただきたい。

※徐冰オフィシャルサイト http://www.xubing.com/

# by nazohiko | 2007-01-16 00:45
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by nazohiko | 2007-01-16 00:45 | ☆旧ブログより論考・批評等

耕野裕子『CLEAR』の復刊

1980年代の終わりから、90年代の初めにかけて、集英社の「ぶ~け」という漫画雑誌を、骨までしゃぶるように愛読していた。

ちょっと目を離している隙に、ドロンと消えてしまった月刊雑誌なのだが、あの頃の「ぶ~け」は、黄金時代という言葉が本当に似合っていた。吉野朔実、竹坂かほり、清原なつの、松苗あけみ、逢坂みえこ、水樹和佳(現・水樹和佳子)、鈴木志保、桐島いつみ、九月乃梨子、稚野鳥子、原田妙子、水星茗などなど、当時の連載作家を、一人ずつ鮮明に思い出すことができる。

かつて「ぶ~けコミックス」として単行本化された作品が、最近になって、朝日ソノラマ文庫で続々と復刊されるようになった。店頭で見かけるまま、あの頃に買いそびれたものを集めているうち、この年末には、耕野裕子の『CLEAR』と再会することができた。昨年の春には出ていたらしい。

連載が幾らか進んでから、この長篇に関心を持つようになったので、当時は物語の発端を知らなかったし、読まずじまいになってしまった号もあるので、今回の通読によって、発端から結末まで、初めて一本の線で繋がった思いである。主人公たちが高校時代を過ごした「H県」は、広島県がモデルになっているらしいことも、おぼろげに分かった。

主人公の斎藤仙太(高校生→専門学校生→漫画家)を除いて、登場人物たちの性格が、それぞれ一面的だという不満を、連載当時から感じていなくもなかったし、彼らが主人公の回りで、御都合主義的に登場と退場を繰り返すなぁという印象も、当時と変わらない。しかし、それはそれで構わないんじゃないか。今になって思うに、この『CLEAR』と題された作品は、仙太による日々の自問自答を、延々と連ねた巻物なのだ。

独白体ではなく、あくまで物語体で執筆されているけれども、本当の意味での登場人物は、仙太一人なのであって、サイ子も西堂も御所河原も、仙太の目に映る限りの存在として、絵巻の中に場所を得るのである。いや、もっと思い切って言えば、仙太という人格の各部を映し出す鑑(かがみ)として、彼の眼前を去来することが、サイ子たちに与えられた役割であるようにさえ見受けられる。

久しぶりに読み返しても、色褪せることのない一篇であった……というか、初読から15年あまりを経て、ようやくすっきりと腑に落とすことができた次第である。この調子で「ぶ~け」掲載作品の復刊が続くなら、次は九月乃梨子の『点点点』あたりをお願いしたい。竹坂かほりの『空のオルガン』も、初めから通して読みたい長篇だ。# by nazohiko | 2007-01-12 22:13
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by nazohiko | 2007-01-12 22:13 | ☆旧ブログより論考・批評等

「ル」ひとつ分の幸せ

パソコン時代に入る時に、
小さい「ル」の字が淘汰されてしまった。
半角の「ル」ではなくて、
「ァ」や「ぁ」と同じサイズの「ル」である。

美術や音楽に関する本に、
ちょっと昔まで、頻繁に使われていた文字なのだが。
「サンドロ・ボッティチェルリ(Botticelli)」や
「フランコ・コレルリ(Corelli)」といった
「ル」の部分が、小さい字で刷られていた。

「ボッティチェッリ」や「コレッリ」と表記しても、
声に出してみれば、ほぼ同じ音になるわけだけれど、
「ッ」を使うのと、小さい「ル」を使うのとでは、
文字面から浮かび上がる「流体感」が、違うというものだ。

"l"や"r"のような子音を、
言語学では「流音(liquid)」と名付けるそうだが、
まさにその"liquid"な感触を、
小さい「ル」が呼び起こしてくれる。
レギュラーサイズの「ル」を使って、
「ボッティチェルリ」や「コレルリ」と書いたのでは、
流れが詰まってしまう。

パソコン時代に入る時に、
小さい「ル」の字が淘汰されてしまった。
半角の「ル」ではなくて、
「ァ」や「ぁ」と同じサイズの「ル」である。

美術や音楽に関する本に、
ちょっと昔まで、頻繁に使われていた文字なのだが。
「サンドロ・ボッティチェルリ(Botticelli)」や
「フランコ・コレルリ(Corelli)」といった
「ル」の部分が、小さい字で刷られていた。

「ボッティチェッリ」や「コレッリ」と表記しても、
声に出してみれば、ほぼ同じ音になるわけだけれど、
「ッ」を使うのと、小さい「ル」を使うのとでは、
文字面から浮かび上がる「流体感」が、違うというものだ。

"l"や"r"のような子音を、
言語学では「流音(liquid)」と名付けるそうだが、
まさにその"liquid"な感触を、
小さい「ル」が呼び起こしてくれる。
レギュラーサイズの「ル」を使って、
「ボッティチェルリ」や「コレルリ」と書いたのでは、
流れが詰まってしまう。

【旧ブログには画像あり】

写真は、ボッティチェッリ画のアウグスティヌス像より。
美女画ばかりが、ボッティチェッリの得意ではない。# by nazohiko | 2007-01-19 00:58
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by nazohiko | 2007-01-11 22:45 | ☆旧ブログより論考・批評等