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カテゴリ:☆旧ブログより論考・批評等( 151 )

たまには並んでみた

並ばないと入れない食べ物屋には、
めったに行かない性分なのだが、
休暇を共に過ごした客人と連れ立って、
そういう場所ばかり渡り歩いた。

*  *  *

中でも印象深かったのは、
東京・築地市場の「鮨文」(握り寿司)と、
奈良・東向通の「おかる」(お好み焼)。

*  *  *

「鮨文」では、おまかせのコースを食べたのだが、
ほんの間奏曲のように差し出された、蛍烏賊の軍艦巻に、
店の力量が、最もくっきりと刻印されていたように思う。

蛍烏賊という食材は、多かれ少なかれ、
臭味(として私には認知される風味)を免れ難いゆえ、
口に入れる時に、ついつい身構えてしまうのだけれど、
「鮨文」の軍艦巻は、そんな「烏賊の原罪」を、
完璧にシャットアウトすることに成功しており、、
蛍烏賊の良いところだけが、舌に溢れ出てくる。
その清雅な奔流に、私はただ身を任せていればよかった。

*  *  *

「おかる」のお好み焼は、
蓋を被せて、蒸し焼きにするせいもあってか、
表から芯まで、ふわふわとした食感だ。

もう一つの看板メニューであるらしい、明石焼も味わったが、
お好み焼と明石焼が描き出す、
穏やかな「食感の襲色目」に、大いに魅惑された。

店内には、地元の書家・津山白鳳の揮毫による
「おいしい/おいしい/おかるの/おこのみ」という
横長の額が懸かっていたが、
なるほど、ここのお好み焼は、
全部ひらがなでなければ、その慈味を書き表せまい。

*  *  *

京都・堺町通の「イノダコーヒ」には、
ずいぶん久しぶりに、足を運んだ。
私は、珈琲に酸味よりも苦味を求める質なので、
定番とされる「アラビアの真珠」ではなく、
「ジャーマン」の方が好みに合う。

ここのケーキやパフェは、
クリームの甘さの、抑え加減が絶妙であって、
それ自体としても美味だし、珈琲という主役を邪魔しない。

店で飲むのと同じ風味を、
自宅では再現できっこないと、重々承知しながらも、
帰りがけに豆を買い求めた。

*  *  *

東京・駒込の「アルプス」では、
アイスクリームかと錯覚するほど、しっかり冷やされた、
チーズケーキ系の菓子「リゼット」に、好感が持てた。

但し、惜しむべきことに、
珈琲の役回りが、しっかり計算されていないと言うべきか。
一個の飲み物と見なすには、存在感が平凡だし、
菓子の引き立て役と見なすにしても、しっくり来ないようだ。

「人気店の傲り」と決めつけたくはないが、
店員の態度が、どうも宜しくないことや、
禁煙区画が小さすぎて、なかなか入れない上に、
中二階というより、階段の踊り場と表現した方が良さそうな、
冷遇的な場所をあてがわれていることも、
私には、不満であった。

あくまで洋菓子屋の附属喫茶室だと割り切って、
持ち帰っても型崩れしないものを、
テイクアウトするのが、賢明な付き合い方だろう。
菓子が上質であることに、異議はないのだから。

*  *  *

ごちそうさま。

立夏ですなあ。

# by nazohiko | 2007-05-06 21:50
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by nazohiko | 2007-05-06 21:50 | ☆旧ブログより論考・批評等

六義園のしだれ桜

東京駒込の六義園に行ってきた。

柳沢吉保の別邸に設けられた庭園であり、
『源氏物語』の研究者として知られる北村季吟が、
古典和歌の世界をモティーフに、庭を設計した。

***

今は、しだれ桜が見頃なのだが、
庭の入口附近に、巨樹が一本あるだけで、
しだれ桜が並木を成しているわけではない。

でも、それでよいのだ。
染井吉野や八重桜とは違って、
しだれ桜が群れていては、絵にならない。
百済観音の立像のように、
孤高と豊麗を一身に体現して、
群衆の頭上高くに、聳えているべきなのだ。

***

六義園は、実は庭園全体を通じて桜が少ない。
孤高なるしだれ桜の他には、
奥に設けられた馬場に沿って、桜の木が植えられ、
桜のアーケードを形作っているのが、目立つ程度である。

そのアーケードにしたところで、
桜並木と呼ぶには、あまりに密度が淡い。
上野公園のような、桜の大盤振舞を、
六義園に求めるなら、期待外れに終わるだろう。

むしろ、六義園に造られた馬場の魅力は、
頭上に桜を浮かべる一方で、
騎馬する人の目の高さに、濃艶な牡丹を並べるという、
配色の妙にあるように、私には感ぜられる。
そして、そこに元禄趣味の一端を見出すのである。

***

春先の六義園を歩いていて、ふと思い立ったのだが、
造園術や建築術について、もうちょっと知らなくてはいけない。

心理学や、哲学の文脈における「空間論」ならば、
私は、そこそこの程度まで通暁しているつもりで、
その限りにおいて、庭園や建築を云々することを好んできたけれど、
実際に庭園や建築が作られるにあたっては、
植物学的や工学的の知識が、
空間設計上の制約として立ちはだかったり、
逆に、意外な可能性を示唆してくれたりといった事態が、
たびたび発生しているのに違いない。

そうした知識に裏打ちされた眼力を持たない限り、
日が暮れるまで庭園や建築を眺めていようとも、
決して見えてこないものが、どれほどたくさんあるのだろう。

# by nazohiko | 2007-03-31 20:46
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by nazohiko | 2007-03-31 20:46 | ☆旧ブログより論考・批評等

鮭の皮

今晩は、池袋のタカセで、
サーモン・ステーキを食べた。
パリパリ感としっとり感を両立した、
鮭の皮の焼き具合に、好感を持った。

上手に料理された鮭の皮は、
身の部分に勝るとも劣らないほど、旨いものだ。

鮭の皮と言えば、
松平定信の随筆集『花月草紙』に、
こんな話が載っている。

アイヌ人には、鮭の皮で靴を作る習俗があったが、
それをヤマトの人が見て、
「あなた方は、鮭は神々からの授かり物だと言いながら、
そんな鮭の皮を踏んづけているとは、罰当たりな話だね」と
突っ込みを入れた。
すると、アイヌ人が突っ込み返して言うには、
「あなた方が履物にしているのは、米の獲れる草ではないかね」。

松平定信は、お堅い政治家だった一方で、
自身が属するヤマトの文化を、
軽やかに相対化してみせた文人でもあった。# by nazohiko | 2007-03-14 23:37
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by nazohiko | 2007-03-14 23:37 | ☆旧ブログより論考・批評等

水を渡り また水を渡り

渡 水 復 渡 水   水を渡り また水を渡り

看 花 還 看 花   花を看 また花を看る

春 風 江 上 路   春風 江上の路

不 覺 到 君 家   覚えずして君が家に到る

高啓(1336-74)の詩「尋胡隠君」(隠者の胡さんを訪ねて)。
これ以上の口語訳も解説も、まるで必要としないだろう。
晦渋な作品が林立する、漢詩というジャンルにあって、
まるで奇蹟のように平明な一首である。

さて、漢詩は平仄(アクセント)を重視する。
中国語では、漢字一つ一つに固有のアクセントがあるが、
それを「平」グループと「仄」グループに大別した上で、
同じグループに属する字が、続きすぎないように、
注意深く、言葉を並べてゆくのだ。

その点で、この「尋胡隠君」の詩は、
ちょっと変わっていると、指摘されることが多い。
一行目と二行目のアクセントが、
それぞれ「仄仄仄仄仄」と「平平平平平」になっていて、
大胆な掟破りだと言われるのである。

中国語の歴史を知らない上に、
詩の響きを、頭でしか捉えられない者たちに限って、
そんなことを、得意気に語り出す。

平と仄のグループ分けは、
李白や杜甫が活躍した、
唐朝時代(618-907)の発音に基づくものである。
古い時代に、漢字をどういうアクセントで読んだか、
詩を作る者の基礎教養として、高啓も熟知していた。

しかし、彼が詩句を着想した時、
その響きは、彼の生きた時代の中国語であったはずだ。
李白の時代から高啓の時代まで、何百年も経るうちに、
中国語の発音は、現在とあまり違わなくなったと聞く。

試みに現在の発音で、一行目と二行目を読んでみよう。
すると、いずれも一字目と四字目が、
「鋭く下げるアクセント」になっており、
まさに春の闊歩のような律動を、
これらの行において、作り出していることに気付く。

渡 水 復 渡 水
(ドゥー・シュイ・フー・ドゥー・シュイ)

看 花 還 看 花
(カン・ホァ・ハイ・カン・ホァ)

「ドゥー」と「カン」だけ、ちょっと力を入れて、
日本語で「エイッ!」と言う時のアクセントで、発音してみて下さい。
私の言う意味が、わかっていただけると思う。

この詩には、冒頭の二行だけでも、
アクセント上の工夫が、他にもいろいろ見受けられるのだが、
要するに、この詩の響きは「大胆な掟破り」などではない。
耳に快い詩として、同時代の人々に向かって発信されたのである。

近代以前の詩は、ほぼ例外なく、
第一義には「耳で聴くもの」だったのだから、
私たちも、もっと耳を使って、
それらの詩に親しんでゆかなければ、トンチンカンをやらかしてしまう。# by nazohiko | 2007-03-12 18:36
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by nazohiko | 2007-03-12 18:36 | ☆旧ブログより論考・批評等

謎太郎の日記(8)

  学問的真理の「無力」さは、
  北極星の「無力」さと似ている。

  北極星は
  個別的に道に迷った旅人に手をさしのべて、
  導いてはくれない。
  それを北極星に期待するのは、
  期待過剰というものである。

  しかし北極星はいかなる旅人にも、
  つねに基本的方角を示すしるしとなる。
  (自分に敵意をもった人にも、好意をもつ人にも差別なしに。)

  旅人は、自らの智恵と勇気をもって、
  自らの決断によって、したがって自らの責任において、
  自己の途をえらびとるのである。

  北極星はそのときはじめて
  「指針」として彼を助けるだろう。

  「無力」のゆえに学問を捨て、軽蔑するものは、
  一日も早く盲目的な行動の世界に、
  感覚(手さぐり)だけに頼る旅程に飛びこむが良い。

丸山眞男の『自己内対話』より。
引用にあたって、改行と分段を加えた。

この言葉を、額面通りに受け取って、
感涙にむせぶほど、私はウブじゃない。

客観的で普遍的な公理や定理から、
最も(?)縁遠い学問であることを宿命づけられた
政治思想史の研究を、骨の髄まで噛み分けた丸山が、
あえて、このように言い放ったのだ。

その意味を、私は幾年も思案している。
「祈り」というキーワードを使うと、
何となく、きれいに納得できるような気がしてくるのだが、
じゃあ「祈る」という行為について、
私の中で、どのような定義がされているのか?

宗教的な発想や感覚から、最も(?)縁遠い私が、
「祈り」という単語を、安易に持ち出すべきではない。# by nazohiko | 2007-03-06 12:50
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by nazohiko | 2007-03-06 12:50 | ☆旧ブログより論考・批評等

さらば地球よ(1)

「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を、
日本語版・英語版・広東語版で聴けるヴィデオ。
http://youtube.com/watch?v=9oiTwLYpdeY

1番(日本語)には、
テレビアニメ第1作のオープニング映像を、
2番(英語)には、
テレビアニメ第2作のオープニング映像を、
3番(広東語)には、
テレビアニメ第3作のオープニング映像を配するという、
細かいところの凝りように、
ヤマトの諸君は、ぜひ気付いてもらいたい。

そして、全体の序奏として、
映画の第1作で流れた、男声合唱が使われている。
ヴィデオを締め括るのは、
映画第2作「さらば宇宙戦艦ヤマト」のラストシーンで、
ヤマトが敵と相討ちになる時の火柱だと思うのだが。

英語圏では「Star Blazers」という題名で放送されたので、
2番(英語版)では、
歌詞の中で「宇宙戦艦ヤマト」に相当する部分が、
「Our Star Blazers!」と歌われている。
「もし1年以内に帰れなければ、母なる地球は消え失せる」という、
物語の内容を踏まえた歌詞も、聞き取ることができる。

3番(広東語版)は、よく分からない部分もあるのだが、
とりあえず、ヤマトが「大和號」と呼ばれていることは確かである。

英語版も広東語版も、日本語版とは編曲が異なるが、
ソプラノ独唱をバックに添えることだけは、きちんと踏襲している。
これがなくてはヤマトの主題歌と言えない、あの声である♪

# by nazohiko | 2007-03-06 00:27 |
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by nazohiko | 2007-03-06 00:27 | ☆旧ブログより論考・批評等

ハイヂ

岩波文庫の「リクエスト復刊」シリーズは、
1991年の3月(16年前のちょうど今頃)に始まったが、
その第1期に、『アルプスの山の娘(ハイヂ)』は入っていた。
作者はヨハンナ・スピリ、訳者は野上弥生子、
初版が出たのは、遠く1934年のことだ。

主人公の名前は"Heidi"と綴るので、
「ビルヂング」や「スタヂアム」と同じ道理で、
「ハイジ」ではなく、「ハイヂ」と表記されたわけである。

一読して、これは「ハイヂの物語」ではないと悟った。
むしろ、「アルムをぢさん」と「クララ」が、
ハイヂという破格な少女と触れ合うことによって、
心の傷を癒し、人間の世界と和解してゆく物語なのだ。
アニメと違って、原作の小説では、
彼らの姿にスポットライトが当てられることが多い。# by nazohiko | 2007-03-05 00:24
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by nazohiko | 2007-03-05 00:24 | ☆旧ブログより論考・批評等

内田恭子の中国語

全日空のテレビCMで、
アナウンサーの内田恭子が、中国語をしゃべる。
http://www.ana.co.jp/int/campaign/china20th/tvcm.html

撮影用の、にわか仕込みなのだろう。
ヘタクソぶりが、面白いといえば面白いのだが、
どうせ面白さを狙うなら、
もっとメチャクチャな棒読みでも、よかったのではないか。

ずいぶん昔になるが、こんなCMがあった。
東南アジアの人が、日本語で話しかけてくるのだが、
「ニッポンノ、ミナサン!」という最初のところ以外は、
何を言っているのか、まるで聞き取れない。
たぶん、その場でローマ字を読んでもらったのだろうが、
あの「日本語もどき」の響きを、今でも鮮烈に覚えている。# by nazohiko | 2007-03-03 10:40
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by nazohiko | 2007-03-03 10:40 | ☆旧ブログより論考・批評等

東京フィルハーモニー交響楽団演奏会 寸感

◆モーツァルト 交響曲第32番 ト長調
◆モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」 イ長調
◆ブラームス 交響曲第2番 ニ長調

 指揮 金聖響(きむ・せいきょう)
 ヴァイオリン独奏 二村英仁(にむら・えいじん)

 2月24日午後3時
 文京シビックホール

十分な安定感と、若干のダンディズムを以て、
低音絃楽器がアンサンブルを支える様が、とても快かった。

フルートとオーボエの功労も目立った一方で、
高音絃楽器は、音像がやや細すぎるように思われ、
ホルンやトロンボーンは、
他の楽器とタイミングが揃わないことが、幾度かあったが、
楽曲が、ある程度の音量とテンポに達してしまえば、
それらの欠点は、とりあえず気にならなくなった。

金聖響の音楽づくりは、3つの曲目を通じて、
重厚な響きで、滔々と前進してゆくという風であった。
そのような意味でも、今日の演奏会は、
トゥッティ(総員合奏)の魅力を楽しむべきものだったと言える。

一方で、モーツァルトやブラームスの音楽には、
たった一つの音符や、たった一つの音色が登場することによって、
音楽の表情をふわっと変えてしまう瞬間が、多々あると思うけれども、
そうした部分を、分かりやすく示してくれる演奏でもあった。
「不易」に立脚しながら、「流行」にも目配りした演奏と言えようか。

二村英仁のヴァイオリン独奏は、
速いフレーズを弾く時に、音程を揺るがせにする傾向があった。
音の美しさはなかなかの水準であるだけに、惜しいことだ。# by nazohiko | 2007-02-25 10:56
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by nazohiko | 2007-02-25 01:19 | ☆旧ブログより論考・批評等

天然の良港

分かったようで分からない言葉だが、
何となく気持ちの良くなる言葉ではある。

和英辞典に拠ると、
英語では「a good natural harbour」というらしく、
確かに、英語のウェブサイトを検索してみると、
ネイティヴ・スピーカーによる用例を、
いくつか見ることができた。
「天然の良港」は、ここから訳されたものではないか。

近代の中国語には、
もっと近い「天然良港」という表現があるけれども、
これは、日本語から輸入された語彙だろう。
明治時代の日本は、
西洋の科学用語や産業用語を、漢字に翻訳して、
東アジアの各地へ供給する、一つの貿易港だったのだ。# by nazohiko | 2007-02-23 12:55
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by nazohiko | 2007-02-23 12:55 | ☆旧ブログより論考・批評等