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吉野秀雄の『寒蝉集』(4)

歌集『寒蝉集』に収められた441首のうち、
冒頭の一連「玉簾花」101首から
「仰寒天正述傷心」10首までの、合計151首が、
妻への挽歌と言える内容になっており、
ここまでで、歌集全篇の三分の一を占める。

その後は、伊豆や奈良への旅が歌われてゆくが、

●亡き者の手紙身につけ伊豆の国狩野(かの)の川辺の枯草に坐(を)り

●夜の汽車の暗き灯(ほ)かげにとりいでぬ亡妹(なきも)が書写の傘松道詠(かさまつだうえい)

等とあるように、
「死別の痛手を慰藉するための旅」という基調音が、
これらの旅行詠のところどころに姿を現す。

また、羅列される旅行詠の間を縫うようにして、
「吉野秀雄の『寒蝉集』(3)」で紹介した「病臥二旬」22首や、
妻の忌日を歌う「亡妻小祥忌前後」15首が置かれるのであり、
『寒蝉集』という歌集の、実にほとんどの部分が、
広い意味での「妻への挽歌」であると言うことができる。

以上に対して、
歌集末尾に配された母への挽歌「たらちねの母」は、
附録された「上州富岡にて納骨の折に」3首と、
「またおもひいでて」1首を加えても、
僅かに21首(歌集全体の二十分の一)を数えるのみ。

数が少ないこともさることながら、

●仏妻(ほとけづま)口がきけぬをうつたふる世にも悲しき夢見つるかも

等の作品に見られるように、
吉野において、亡き妻はどこまでも「妻」として認識され、
彼女が「仏」に昇華してゆく過程は、遅々として進まない。
それゆえに、彼女は常に「悲傷の対象」として歌われるのだが、

●蝋の灯(ひ)の五つの彩(あや)の暈(かさ)奇(くす)し死にませる母のその枕辺に
●息の緒(を)の絶ゆればすでにみ仏の母に唱ふる称名念仏

母の死に寄せられる感懐は、あっけないほど速やかに、
「死者が仏となる」の語りの中へ、回収されてしまうのである。

また、吉野の母は浄土真宗の信徒であったというが、

●在りし日の母が勤行(つとめ)の正信偈(しやうしんげ)わが耳底(みみぞこ)に一生(ひとよ)ひびかむ

まるでダメ押しのような、この歌を以て、
母への挽歌は締め括られ、同時に『寒蝉集』の結びとなるのである。

妻への挽歌と、母への挽歌。
どうして、これほどまでに違いを生じたのだろうか。

※続く

# by nazohiko | 2007-02-17 16:38
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by nazohiko | 2007-02-17 16:38 | ☆旧ブログより論考・批評等
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