by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko


吉野秀雄の『寒蝉集』(3)

そんな『寒蝉集』の白眉は、
妻の病逝の前後を描いた、歌集冒頭の「玉簾花」101首や、
同じく序盤に置かれた挽歌「彼岸」13首ではなく、
しばらく旅行詠が続いた後、歌集のちょうど真中に現れる
「病臥二旬」20首(末尾に「紅梅」2首を附す)であると思う。

●吾妹子(わぎもこ)が位牌の前に血しほ吐き事態をなげくゆとりだもなし
●血をはきし病の床(とこ)に腕伸べて柱をたたく何のなぐさぞ
●関東地区空爆の夜なり痰壺を闇につかみて血を吐くわれは
●大挙夜襲を告ぐるラヂオの一点の燈(あかり)みつめて病めば苦しゑ
●夜襲爆撃のあやしき闇にたまきはるいのち潜めて血ははき吐きつ
●折からの庭の菜の花雪柳瓶(かめ)に盈(み)てしめて血を吐きくらす

芝居臭さと紙一重のハイ・テンションで始まった一連は、

●枕より一人静(ひとりしづか)の鉢みれば春深むまで病みこやりけり
●薬のむ毎に吸呑(すひのみ)の水かけてひとりしづかの鉢をつちかふ

これら2首から成る、つかの間の緩徐楽章をブリッジとして、

●病牀(やみどこ)に香りをおくる沈丁花植ゑにし妹(いも)のまたかへらめや

と、歌集を統べる「妻との死別」の主題と合流してゆく。
(万葉語の「妹」が妻を指すことは、注記するまでもなかろう)
その途端に、この一連は最大音量に到達するのだ。

●仏妻(ほとけづま)口がきけぬをうつたふる世にも悲しき夢見つるかも

これより後の6首は、蛇足と言い切ってしまっても悔いはない。

とはいえ、そういう印象は、
あくまでインパクトの度合についての話であって、
附録の「紅梅」2首を含めたラスト3首は、
一連の結びとして、十分に存在意義を備えている。

●枕辺の春も逝くべく花すもも緋の毛氈(まうせん)に散りかかるなり

 (以下「紅梅」)

●紅梅をふたたび君の給(た)びしかば紅梅の瓶(かめ)に紅梅を挿す
●わが壁の多胡(たご)のいしぶみの墨摺(すみず)りにかなひて映えつ紅梅の枝

結核の悪化による吐血の色として、
一連の前半に、あれほど横溢していた赤色が、
「赤は血の色」というイメージを、最後まで引きずりつつも、
ここに至って、花弁や毛氈という
「春っぽい物」の色へ転化させられてゆく。

なおかつ、とりわけ「紅梅」2首においては、
紅梅という赤いもの(どうしても血を連想させるもの)が、
「紅梅の瓶に紅梅を挿す」や
「いしぶみの墨摺りにかなひて映えつ」のように詠まれることで、
病者の心身が、秩序を回復しつつある様を暗示するのである。
一連の前半では、悲愴な登場の仕方をしていた「瓶」が、
喜ばしい器として再登場してきたことも、注目に値するだろう。

【旧ブログには画像あり】

画像は、群馬県に現存する「多胡碑」の拓本。
これが、「多胡のいしぶみの墨摺り」である。
奈良時代の初期に、多胡郡の設置を記念して建てられた。

※続く

# by nazohiko | 2007-02-03 00:53
[PR]
by nazohiko | 2007-02-03 00:53 | ☆旧ブログより論考・批評等
<< 年の内に春は来にけり 吉野秀雄の『寒蝉集』(2) >>