by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko
最新の記事
4月1日
at 2017-04-01 21:12
君よ知るや「カニのタルト」
at 2017-03-31 15:18
君よ知るや汝窯の青磁水仙盆
at 2017-03-09 23:15
君よ知るや台湾紅茶と台湾ウィ..
at 2017-03-08 21:30
当たり前ポエムと言えば……。
at 2017-03-08 00:32
カテゴリ
全体
◆小説を読む
◆小説を読む(坊っちゃん)
◆論考を読む
◆詩歌を読む
◆漫画を読む
◆動画を視る
◆音楽を聴く
◆展覧を観る
◇詩歌を作る
◇意見を書く
◇感想を綴る
◇見聞を誌す
☆旧ブログより論考・批評等
☆旧ブログより随想・雑記等
☆旧ブログより韻文・訳詩等
☆旧ブログより歳時の話題
★ご挨拶
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 03月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 02月
2014年 04月
2013年 07月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 08月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2003年 08月
2003年 07月
2001年 04月
検索


続・「敬愛なるベートーヴェン」寸感

あれからプログラム冊子をめくってみると、
アニエスカ・ホランド監督が、
第九交響曲の初演シーンを、
あえて映画の中途に置くという物語構成は、
ひとつのチャレンジだったと語っている。

インターネット上に出ている批評には、
第九交響曲の初演で、映画を終わってほしかったとか、
後半の数十分は蛇足だったというものが、
存外に多かったのだけれども、
もしも、あのシーンで物語が閉じられていたならば、
それは、既に「楽聖」として評価の定まった人を、
教科書的に讃美する映画に終わってしまうではないか。

さにあらず、ベートーヴェンは、
当時の「前衛作曲家」だったのであり、
同時代の人々に、受け入れられにくいのは承知の上で、
自分の音楽を模索し続けた人なのだ。
第九交響曲のように、発表当初から好評だった作品は、
むしろ少なかったのである。

そして、なまじ優等生であるがゆえに、
ベートーヴェンが第九交響曲以後に生み出した作品を
どう受け止めてよいのか、戸惑ってしまう一方で、
ベートーヴェンを敬愛するがゆえにこそ、
作曲家として、ベートーヴェンの模倣を脱しきれずに
アイデンティティ・クライシスに苦しむアンナ。

そういう部分まで、しっかりと描き込んでこそ、
硬直した偉人伝(滝廉太郎の映画を思い出す)から脱却して、
血の通った人間たちのドラマになるというものである。
だから、この映画の後半部分を、
私は基本的には支持したい。

但し、それほど意義のある後半部分を、
わざわざ「チャレンジ」してまで、付け加えるからには、
アンナが一度は駄作のレッテルを貼った「大フーガ」を、
ベートーヴェン最晩年の傑作として、
受容できるようになってゆく過程や、
アンナの作った、半端にベートーヴェン風のピアノ曲が、
度重なる推敲や、ベートーヴェンとの対話を経て、
アンナ自身の音楽に生まれ変わってゆく過程を、
もっと私たちに見せてほしかったと思うところだ。

この映画を観ていて、
ふと連想したのが、往年の名作「ベン・ハー」である。
ベン・ハーが、命がけの戦車競技に勝利し、
宿敵メッサーラを倒すところでは、映画が終わらない。
物語が本当の円満解決に至るためには、
更にいくつかの展開が、必要だったからである。# by nazohiko | 2006-12-12 00:25
[PR]
by nazohiko | 2006-12-12 00:25 | ☆旧ブログより論考・批評等
<< 南部坂 雪の別れ 「敬愛なるベートーヴェン」寸感 >>