出立の日には朝から來て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買つて来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れて呉れた。そんな物は入らないと云つてもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじつと見て「もうお別れになるかも知れません。隨分ご機嫌やう」と小さな声で云つた。目に涙が一杯たまつてゐる。おれは泣かなかつた。然しもう少しで泣くところであつた。汽車が余つ程動き出してから、もう大丈夫だらうと思つて、窓から首を出して、振り向いたら、矢つ張り立つて居た。何だか大変小さく見えた。
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夏目漱石の『坊っちゃん』の中から
好きな場面を挙げよと言われたら、
私は迷わず、ここ第一章の末尾を選ぶ。
いや、もっと正確に説明するなら、
絶唱にも比するべき「何だか大変小さく見えた」と
第二章の冒頭部分
「ぶうと云つて汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た」との
落差までを含めて、旅立ちの場面を愛するのである。
新橋駅の出発直後から、四国某所への入港直前までを、
漱石は、あえて坊っちゃんに語らせなかったけれども、
第一章と第二章を繋ぐ、一行分の空白は、
どんなに委曲を尽くした心理小説よりも、遥かに雄弁である。
# by nazohiko | 2006-11-23 00:11 | 論考・批評 |