by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko
最新の記事
カテゴリ
全体◆詩歌を読む ◆詩歌を読む(勅撰集を中心に) ◆詩歌を読む(野沢凡兆) ◆詩歌を読む(斎藤茂吉) ◆詩歌を読む(塚本邦雄) ◆小説を読む ◆小説を読む(坊っちゃん) ◆論考を読む ◆漫画を読む ◆動画を視る ◆音楽を聴く ◆展覧を観る ◇詩歌を作る(短歌) ◇詩歌を作る(俳句) ◇詩歌を作る(漢詩) ◇詩歌を作る(回文) ◇散文を作る ◇意見を書く ◇感想を綴る ◇見聞を誌す ☆旧ブログより論考・批評等 ☆旧ブログより随想・雑記等 ☆旧ブログより韻文・訳詩等 ☆旧ブログより歳時の話題 ★ご挨拶 以前の記事
2024年 02月2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 11月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 03月 2015年 07月 2015年 05月 2015年 02月 2014年 04月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 08月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2003年 08月 2003年 07月 2001年 04月 検索
|
音楽と言葉
先週の日曜に買ってきた
カルロス・クライバーの指揮する モーツァルトの交響曲について、 賛否こもごも、誰かに話したくて、 もう7日間も、うずうずしているのだが、 いざ語り始めようとすると、 的を射た言葉が まるで見つからないことに気付いて、 隔靴掻痒の感に苦しむばかりだ。 でも、あえてそのままにしておく方がいい。 近似値のような言葉を 無理矢理にでも捻り出し、 いくつも並べ立てることによって、 苦し紛れのコミュニケーションを試みることは、 必ずしも不可能ではないし、 それはそれで 全く意味のない行為でもないと思う。 しかし、言葉が持っている吸着力は、 なかなか手ごわいもので、 楽曲や演奏について、 言葉という媒体に頼った説明を、 ひとたび強行しようものなら、 その時に使った、有限個の的外れな語彙に、 本来自分が抱いていた もっと不定形で、もっと豊饒な感銘が、 本人の気付かないうちに 回収され、幽閉されてしまいがちなのだ。 言い換えれば、 自分がもともとから そのように貧しくて的外れな感銘しか 抱いていなかったように、 錯覚させられてしまう。 そんな力が、言葉には備わっているようだ。 私は、かつて書評を執筆するという行為について、 以下のように述懐したことがある。 >とはいえ、いざ言語で表現してみると、脳裡にたゆたってい >た時には、あれほど豊かに伸び広がっていたはずの思考や情 >動が、似ても似付かないほどに枝葉を刈り込まれ、矮小で生 >彩のない姿を呈してしまうというのも、多々ある現象だ。大 >抵の場合は、そんな姿に落胆しているうちに、もともとの樹 >影や図面をきれいさっぱり忘れてしまうものだから、いよい >よ始末が悪い。 >備忘や推敲のための文章を試みて、却っていろいろなディテ >ールを失ってしまうよりも、いっそ原始的な豊かさを保った >まま、忘れてゆくに任せた方が幸せなのかもしれない……言 >語によって頭脳からアウトプットするという作業をめぐって >は、そんな極言さえ許されなくはないだろう。心ニ浮カブヨ >シナシ事を、強壮に育ててくれるのも言語なら、卑小にまと >めてしまうのも言語。それは諸刃の剣なのである。 況わんや、 音楽について語ろうとする場合についてをや。 言葉が不可避的に作り出す 貧しい「うそ」に押しのけられて、 自分の脳裡にたゆたっていた 豊饒な「まこと」を忘れてしまうという問題だけを、 当時は意識していたわけだが、 言葉が本当に厄介であるのは、 むしろ「うそから出たまこと」を 生み出してしまう点、 つまり「うそ」を「まこと」だと錯覚させてしまう点に あると言うべきなのだろう。 だから、音楽や文芸の批評などという行為に、 うかつに手を出してはいけないのだ。 とはいえ、とはいえ、 優れた楽曲や演奏や文芸作品に触れると、 私はいつも、 誰かに感銘を話したくて、うずうずしてしまう。 それらは、私の大脳の、 言葉に関わる幾つかの部分を、 この上なく甘美に刺激してしまうのである。# by nazohiko | 2006-11-19 23:31
by nazohiko
| 2006-11-19 23:31
| ☆旧ブログより論考・批評等
|