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さすらう学人の歌(3)

あれからいろいろ考えてみたけれども、
会津八一の古都詠に「正面突破」をかけることは、
今の私には、やっぱりできそうにない。

  おほてら の まろき はしら の つきかげ を
  つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ

  ほほゑみて うつつごころ に ありたたす 
  くだらぼとけ に しく もの ぞ なき

好きになった作品なら、いくらでも挙げられるのだが、
それらを「短歌」そのものとして語ってみようにも、
私が持ち合わせている認知や思考のプログラムでは、
ふさわしい単語や言い回しが、とんと見つからないのである。

さしあたり私にできそうなことは、
人物研究のための「資料」として、会津短歌と向き合ってみることだ。
実を言えば、以前から興味を抱いていたテーマがあって、
それは「さすらう学人の歌」と呼ぶべき、一群の近代短歌である。

いや、正確には、
「旅をした近代の学者」というモノに対する興味と言うべきなのだが、
私がここで問題にしたいのは、
学会発表や正月帰省のために旅行中の学者たちが、
どのような短歌を詠んだかという話ではない。

そうではなくて、
実地調査や現地巡検のために長期の旅をすることが、
自身の研究業務そのものであったような人々が、
如何なる思いを秘めながら、幾つもの旅を遂行していったのか?

例えば会津八一は美術史学者として、奈良を頻繁に訪れていたのだし、
釈迢空という歌人の正体は、民俗学者の折口信夫だったわけだが、
それぞれの道において、一流のプロフェッショナルであった彼らは、
「旅の途上で、しみじみと感じ入ったこと」だとか、
あるいは「研究のため旅する時の、わが心のトキメキやオノノキ」について、
学術論文の中で、うかつに口を滑らせることはなかった。
そこで、彼らが発表した短歌に「覗き窓」を求めて、
「さすらう学人」たちの胸の裡を、
スケッチしてみることはできないかと思いついたのだ。

せっかくの名歌を鑑賞の対象としては扱わない、
このようなアプローチではあるけれども、
いつの日か会津短歌を「正面突破」できるようになるためのヒントに、
意外なところで繋がってゆくかもしれないと、淡く期待してもいる。

※続く

# by nazohiko | 2006-11-04 00:23
by nazohiko | 2006-11-04 00:23 | ☆旧ブログより論考・批評等
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