先行する数多くの文芸形式を摂取して、適材適所に応用した『平家物語』は、中世文芸の嚆矢であるだけでなく、古代文芸のひとつの総決算とも言えるだろう。
しかし、この物語に組み込まれた和歌が(版本によって違いが大きいとはいえ)3桁を数えるのに対して、後白河法皇や平清盛があれほど好んでいたはずの今様は、五指に余るほどしか登場しない。
あまつさえ、法皇が今様を謡う場面は、物語の中についぞ現れないのである。3度も声を潰してまで今様に熱中した実在の法皇と、『平家物語』で陰の主役を務める法皇は、決してイコールではないと承知しつつも、やっぱりそこが不満。# by nazohiko | 2006-09-24 00:52