by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko


藤原三大テノール(4)

「藤原三大テノール」こと良経・定家・家隆のうち、後の2人は『新古今和歌集』の中で「藤原定家朝臣」や「藤原家隆朝臣」と呼ばれているが、良経だけは必ず「摂政太政大臣」と記載され、一度も諱(本名)を書かれることがない。思えば、他にも「太上天皇(後鳥羽上皇を指す)」「宮内卿」「俊成卿女」「宜秋門院丹後」「二条院讃岐」「小侍従」など、『新古今和歌集』のスター歌人には、この歌集に本名を現さない者が珍しくないのだ。

後鳥羽上皇(本名は尊成)や藤原良経のように、極めて高位にあった者たちの場合と、普段から女房名(通称)で呼び合い、今となっては本名が分からなくなった者が多い女房たちの場合では、本名ではない呼称で記載された理由が異なるに違いない。当時の人名をめぐるタブー論やジェンダー論を総動員しなくては、解けてこない問題ではあるが、それはともかく、このような記名方法が『新古今和歌集』に用いられたのは、和歌文化にとって幸いだったと思う。

まずは、藤原良経のこと。もし彼の入選歌が、「藤原良経朝臣」あるいは「九条良経」「後京極良経」の作品として掲載されていたとしても、「良経」の清雅でありつつ哀感を帯びた字面は、彼の歌々と十分に調和したことだろう。しかし「摂政太政大臣」という儚げな記号のみに寄り添われてこそ、『新古今和歌集』における良経作品は最高度に引き立てられ、あたかも燐光を発し始めるのである。

それから、同時代や後世の人々が女房歌人たちに付けた、愛称の数々。父や夫の官職に因む簡略な識別ワードが、宮廷社会における名前の全てであった彼女たちには、無味乾燥な呼称を避けたり、同じ女房名の者と区別したりするため、更に愛称が冠せられることがあった。上に列挙した歌人たちで言えば、「若草の宮内卿」「下燃えの少将(俊成卿女)」「異浦の丹後(宜秋門院丹後)」「沖の石の讃岐(二条院讃岐)」「待宵の小侍従」と、既に存命中から呼ばれていたわけだが、これらの愛称は、すべて彼女たちの代表歌から取られたものだ。何と風流な名付けられ方だろうか。そして、自作の一部が自身の呼び名になるとは、何と歌人冥利に尽きたことだろうか。

ちょっと悪ノリして、近代現代の歌人に愛称を付けてみよう。「みだれ髪の晶子」とか、「死にたまふ茂吉」とか、「少しづつ液化してゆく邦雄」とか……。「みだれ髪の晶子」は、誰からも文句が出ないと思うが、斎藤茂吉と塚本邦雄についてもまんざら冗談ではない。茂吉の歌業では、最晩年の『つきかげ』の八方破れぶりに最も愛着と畏怖を覚えるし、塚本が「変」を繰り返した果ての晩年歌集に愛着は感じないけれども、平明になった文体の向こうに毒素のうごめきを察知して、背筋が凍りそうになる。 # by nazohiko | 2006-09-20 00:30
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by nazohiko | 2006-09-20 00:30 | ☆旧ブログより論考・批評等
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