by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko


機内でワーグナー(6)

ヒロインの手から「救済」を受けることによって、自身の「さすらひ」を終わらせた人物と言えるのは、むしろ2年後の1843年に脚本が出来上がった「タンホイザー」のタイトルロールだろう。彼は、亡きエリーザベトの名を呼び、「おお私のためにお祈りください」(高木卓 訳、以下同じ)とつぶやきながら息絶えるのだ。

但し、この歌劇の結末を「カトリック教による罪人の救済」や「邪教に対するカトリック教の勝利」として解釈する通説には、私は同意しない。確かに、生前のエリーザベトは、自らの命とひき替えにタンホイザーを赦してくれるよう、カトリック教で「聖母」とされるマリアに祈っていたのだし、タンホイザーが死を迎えた直後には、ローマから戻ってきた巡礼たちが、騎士たちと一緒に「み恵みの祝福は、贖ひをはたした者にさづけられた、いまやかれは神の国の平和のなかへすすんでゆく」と唱和する。しかし、タンホイザーを救済できたのはカトリック教ではないし、エリーザベトも(彼女自身の意識に関わらず)カトリック教の体現者としてタンホイザーに接したわけではない。

言い替えれば、これは「カトリック教の尖兵エリーザベト」と「ギリシア・ローマ文化の精華ヴェーヌス」の二元論的な対立図式の中で、タンホイザーが右往左往するという物語ではなかったのだ。歌劇において対置されているのは、むしろ「聖母」マリアと「女神」ヴェーヌスに象徴される2つの世界なのだろう。ギリシア・ローマの系譜を引く官能礼賛の世界だけでなく、カトリック教に裏打ちされた中世騎士道の世界にも、タンホイザーが遂に馴染めずじまいであったことは、第2幕と第3幕を読めば明らかなはずだ。そしてタンホイザーは、両者のいずれにも属さず、かつ両者のいずれにも通じ合う人物としてのエリーザベトを、最期に救済者として見出したのである。いわば「エリーザベト教」(どちらかと言えば、キリスト教系の新興宗教だが)に帰依することによって、安らかな臨終を得たタンホイザーなのであった。

岩波文庫の『さすらひのオランダ人/タンホイザア』に収められた、高木によるこの脚本の翻訳と解説は、私が通説に向け続けてきた異議を、確信に変えるのを手伝ってくれた。

タンホイザーがローマ教皇を訪れて、ヴェーヌスの歓楽境(ヴェーヌスベルク)に遊んだ罪を懺悔した際に、教皇が告げたという言葉は、これまで「私の持つ木製の杖から芽が出ることがあれば、お前を赦免してよい」という意味に和訳されることが多かった。つまり、カトリック教の名においてタンホイザーが救済される可能性を、教皇が示唆する言葉として訳出されてきたわけだが、高木訳では「わしのこの手の杖が、もはや新らしい緑の芽をふかないやうに、地獄の熱火からは、お前は決して救はれないのだ」となっている。そして歌劇の幕切れでは、巡礼たちが芽の出た杖(!)を携えてローマから帰還し、タンホイザーの遺体の前で「み恵みの祝福は、贖ひをはたした者にさづけられた」云々と合唱するが、それは「神の代理人」たる教皇が「絶対に起こらない」と断言したはずの事態である。「み恵みの祝福」をタンホイザーに授け、杖から芽が出るという奇蹟を起こしたのは、実はカトリック教の神ではなく「聖なるエリーザベト」だったと解釈せざるを得まい。

また、タンホイザーがエリーザベトの名を呼ぶことで、ヴェーヌスの誘惑を最終的に振り切った際に、ヴェーヌスが発する言葉を、従来は「ああ、私は失われた」等々、ヴェーヌスの没落や破滅を表すように和訳するのが主流であった。高木はここを「くやしい。逃がしたわ」と訳している。ヴェーヌスの統率する歓楽と情欲の世界は、カトリック教によっても「エリーザベト教」によっても抹殺されるに至らなかったのだ。おそらくは今でも洞窟の入口を開けて、新たな若者が迷い込むのを待っているに違いない。

カトリック教を奉じる騎士たちの世界も、タンホイザーの登場(ヴェーヌスベルクからの帰還)と退場(エリーザベトを呼びながらの死)を経て、何も変質することがなかったようだ。死せるタンホイザーを囲んで「カトリック教による罪人の救済」や「邪教に対するカトリック教の勝利」を誇らかに頌える巡礼たちや騎士たちの姿を、ワーグナーは強烈な皮肉として描いたのだろうと、私は思う。それは、所与の常識の範囲内でしかモノを理解できない人々が、自分たちの正しさを信じ切っている姿である。大音量で響きわたるコーラスに紛れて、エリーザベトとタンホイザーの霊は、舞台上の誰にも気付かれぬまま、2人だけが知る「神の国」へ飛び去ってしまうのである。

※私はこの文章を通して、カトリック教や騎士道を批判もしくは誹謗しようとするのではない。ワーグナーが「タンホイザー」という歌劇の中で、カトリック教や騎士道を否定的に扱ったように見えるという読解を、一個の文芸評論として提示するものである。

# by nazohiko | 2006-09-16 00:58
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by nazohiko | 2006-09-16 00:58 | ☆旧ブログより論考・批評等
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