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謎太郎の日記(5)

ジュール・ルナールの警句集「エロアの控え帳」に、「厭なものが厭なほど、好きなものが好きではない」(岸田國士訳)という一言がある。初めてこれを目にした時には、「当たり前のことを、うまく言い当ててくれたなあ」と感服したものだが、近頃では、常人の心理を代弁したというよりも、むしろ「ルナールという人の、尋常ならぬ勁さ」を表すものではないかと、勘繰るようになってきた。

「厭だ」という感情と、「好きだ」という感情を比べてみよう。発作的な瞬間最大風速について較べるなら、前者の方が明らかに烈しいだろう。それは、おそらく全人類に普遍的なことだ。しかし、もっと能動性や持続性を帯びた想念として、「厭だ」と「好きだ」を拡張的に捉え直してみるならば、大抵の人にとって強弱は逆転してしまうに違いない。動詞形を使って言い替えると、分かりやすくなるだろうか。つまり、「好む」ということを窮められるほどには、「厭う」ということを窮められないのである。

自分の好きなものを思い描いて、好きだということを自覚し、どうして好きなのか、どのように好きなのか、どれほど好きなのか等々を掘り下げてゆく営みは、掛け値なしに楽しいことだ。好きなもののイメージや、好きだという感情を、幾度も反芻しながら進めてゆくプロセスなのだから、愉悦を伴わないはずがない。それに対して、自分にとって厭なものを思い描き、厭だということを自覚しつつ、なぜ厭なのか、どのように厭なのか、どれほど厭なのか等々を追究してゆく営みは、ゴム紐で逆撫でされるような不快感が、そのプロセスの1つ1つに伴うものである。ゆえに私たちの心は、「好きなもの」や「好きだ」という感情とならば、いくらでも向き合っていたいけれども、「厭なもの」や「厭だ」という感情と、懇ろに付き合うことにかけては、二の足を踏みたがるのだ。

ルナールは、そこを敢えて「厭なものが厭なほど、好きなものが好きではない」と言ってのけた。私はこの警句から、「『好きなもの』や『好きだ』という感情だけでなく、『厭なもの』や『厭だ』という感情に向き合うことをも、十二分に窮めてみせる」という自負を読み出したいと思う。或いは、それに堪えるほど心を強靱にしたいという、彼自身に向けられた叱咤激励なのであろうか。いずれにせよ、このような文脈で解釈することによってこそ、時に傷心に陥り、時に疲労困憊しながらも、「世界を見抜く人」に徹しようとしたルナールの、面目躍如たる言葉として屹立するのではあるまいか。

「厭だ」という感情や、「厭う」という想念は、決して非生産的なものでもなければ、後ろめたいものでもない。例えば、「厭な相手」を反面教師として見据えることを通じて、「皆から好かれる自分」や「みずから好きになれる自分」を育てることができる。また、「自分は相手を厭い、相手は自分を厭う」という基本的立場を、初めに確認しあった二者であってこそ、双利共生的なオトナの関係を、最大限に模索できるというものだろう。「厭な相手」から目を背けて、内弁慶な自己陶酔に耽ったり、曖昧な心がけで「相手を好きになろう」としたりすることこそ、えてして不毛な結果を生んでしまうのである。「好きだ」や「厭だ」の瞬間最大風速ばかり発達させて、「好む」や「厭う」を窮めることについては、幼児のように未熟な人々が蔓延しつつある昨今、私たちはルナールの勁さに学ぶべきではないだろうか。

※ルナールは『にんじん』や『博物誌』の作者。

# by nazohiko | 2006-09-06 00:15
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by nazohiko | 2006-09-06 00:15 | ☆旧ブログより論考・批評等
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