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レクイエム K.626(5)

 今回CDを買い求めるにあたり、バーンスタイン盤を選んだのは、同じくバイエルン放送の交響楽団・合唱団と共演した「大ミサ曲」や、ウィーン・フィルを指揮した交響曲第35番が印象深かったせいもあるが、彼の演奏から不断に立ちのぼる「人間臭さ」やヴァイタリティによって、この「怖い曲」が幾らかでも中和されることを期待したというのが、一番の理由である。果たして、期待が報われる部分もあるにはあったが、むしろバーンスタイン流に「ますます怖い音楽」としてリアライズされる場面の方が、量においても質においても遥かに上回っていた。そして、締め括りの楽章「聖体拝領唱」に至るや、他の演奏家の追随を許さないほど、大量の平家蟹を私の脳裡に呼び起こしてくれたのだったが、わが壇ノ浦の水底が蟹どもの潰走するヴィジョンに埋め尽くされようとしたその時、土壇場の土壇場でバーンスタインは奇跡を起こした。

 既に幾度も述べたように、第14楽章「聖体拝領唱」は、モーツァルトの手になる冒頭楽章「入祭唱」と第2楽章「主よ憐れみたまえ」の音楽を、弟子のジュースマイヤーがそっくり転用したものである。つまり、歌詞が異なっているだけなのだが、バーンスタインは「主よ憐れみたまえ」の最終小節、歌詞で言えば"eleison(憐れみたまえ)"という語の"-son"の部分を、合唱・管絃楽ともども、一本調子に6秒ほど伸ばさせたに過ぎないのに対し、「レクイエム」全曲の終止符となる「聖体拝領唱」の最終小節では、そこで歌われる"es"(あなた)という一語を、実に23秒も響かせ続けたのだ。合唱と管絃楽が総員で鳴らし始めたその和音からは、まず金管楽器の咆吼が抜けてゆき、ティンパニの轟きが耳に届かなくなり、やがて冷厳な弦楽器や柔和な木管楽器もほとんど聴き取れなくなって、澄み通った合唱だけが最弱声で取り残される(他の楽器も最弱音で留まっているのかもしれないが、私には判別しがたい)。長大なデクレッシェンドの果てに、合唱隊が発する"s"の子音は、もはや肺に空気が残っていないために、人間の口腔から出る声というよりも、音楽の最後の一滴が蒸発してゆく音ではないかと錯覚させられるようだった。

 楽譜通りの演奏を求めるのならば、「聖体拝領唱」の最終和音も「主よ憐れみたまえ」と同様に、総員強奏のまま伸ばしておくのが正しい。バーンスタインが行ったことは、モーツァルトの「レクイエム」の演奏として破格ではある。しかし、その23秒間を通り過ぎるうちに、ここまで「怖い曲」の「ますます怖い演奏」を聴かされていたという戦慄の心持は、私の裡でうそのように溶解してしまったのだ。私にとって、この曲が「怖い曲」の筆頭である所以の「聖体拝領唱」が、その最終小節に置かれた、たった1つの和音によって、帳消しになってしまったような気がした。冒頭楽章から第13楽章「神の子羊」まで、50分余りをかけて紆余曲折しながら進んできた、「生者への慰め」或いは「悲しみの仕事」のプロセスが、悪夢再現の「聖体拝領唱」を挟んで、たった1つの和音の中でフラッシュバック的に再現され、更にプロセスの完成に導かれるような、そんな長いようで短い23秒間のデクレッシェンドだったのである。これを、バーンスタインの奇跡と呼ばずに、何と呼ぶべきだろうか。彼の「人間臭さ」や「ヴァイタリティ」によって、「怖い曲」の最終和音が、表層的に「中和」されたのではない。

 私がこれまでに経験した限り、彼の指揮棒のもとでのみ、モーツァルトの「レクイエム」はカタルシスを授けられ、この曲を「怖い曲」だといって敬遠していた私も、解毒剤を与えられたように安心立命を得ることができる。当分の間はバーンスタインによる「改訂版」によってのみ、「レクイエム」の深遠を覗き込ませてもらうことにしたい。モーツァルトが起稿し、ジュースマイヤーが補筆したままの「レクイエム」は、入ったきり出てこられない迷宮のようだから。

【附記】

 バーンスタイン盤は、ジュースマイヤー版ではなくバイヤー版の楽譜に拠っていますが、これはジュースマイヤーの手になる部分に、音楽学者フランツ・バイヤーが「修正」を加えたものです。バイヤー版も、大枠としては「ジュースマイヤー補筆によるモーツァルトのレクイエム」に他なりません。

(完)

# by nazohiko | 2006-09-05 18:20
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by nazohiko | 2006-09-05 18:20 | ☆旧ブログより論考・批評等
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