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レクイエム K.626(1)

 モーツァルトの「レクイエム」を、聴き終わったばかりだ。バーンスタインがバイエルン放送の交響楽団と合唱団、及び4人の独唱者を率いて、演奏時間は1時間になんなんとした。私にとって、この曲は「心服の対象」であると同時に「怖い曲」の筆頭であり、あえてFM放送や図書館のCD貸出で聴くにとどめてきたのだが、今日の午後、意を決してバーンスタイン盤を購入したのである。『新古今和歌集』の開扉直後に現れる宮内卿の作品が、決まって「レクイエム」冒頭楽章のソプラノ独唱を思い出させるという話を、先週の記事「藤原三大テノール(2)」に書いたのが引き金となって、やはりあの歌声"Te decet hymnus, Deus in Sion..."を、どうしても手許に置いておきたくなったのだ。

 この曲が怖いと言っても、それはひとえに最終楽章「聖体拝領唱」のせいである。モーツァルトは「レクイエム」の作曲途上で逝去し、弟子のジュースマイヤーがこれを補筆完成した。譜面に残された空白を埋めるだけでよい楽章から、ほとんど独力で創作しなければならない楽章まで、補筆の難易度は様々だったらしいが、彼はそうした作業の一環として、師匠の手になる冒頭楽章「入祭唱」と第2楽章「主よ憐れみたまえ」の音楽を、まるごと使い回して最終楽章(第14楽章)にした。全曲の統一感を強めるために、ジュースマイヤーが発案した処置であるとも、モーツァルト自身がそのように指示しておいたのだとも言われるが、どちらの説にも根拠は薄いらしい。いずれにせよ、曲の初めの音楽が寸分違わず再帰し、それに乗せて「聖体拝領唱」の歌詞が唱われることによって、「レクイエム」という長篇は結ばれるのである。

 ここが、私には問題なのだ。# by nazohiko | 2006-07-30 22:45
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by nazohiko | 2006-07-30 22:45 | ☆旧ブログより論考・批評等
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