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藤原三大テノール(2)

 塚本邦雄は『新古今和歌集』収録歌の配列に対して、幾度でも讃嘆の言葉を書き記したもので、例えば『定家百首』の中では、歌い手が交代しながら進行してゆく長大な楽曲に譬えて、春部の構成を賞玩してみせる。最近読んだ『新古今新考』では、全篇を縦貫するストーリー性すら掴み出そうとするが、そこまですることの妥当性はともかく、『新古今和歌集』が歌の採録のみならず、配列にもセンスを発揮しているという塚本の指摘には、私も強く同意する。

 それだけでなく、春部上を読み始めて宮内卿の初登場に到る度に、私はモーツァルトの「レクイエム」の冒頭楽章、音楽が長調に転じてソプラノ独唱が入ってくる所を思い起こすようになったのだ。これは明らかに、春部の"演奏開始"後しばらくして「宮内卿のソプラノが響く」と講評した塚本の影響である。私は春部の全体や、『新古今和歌集』の総体を、必ずしも鎮魂曲に喩える気にはならないのだけれども。

 しかし、である。もし私に作曲の才があったならば、『新古今和歌集』を塚本のようにモノフォニー(音楽の絵巻物)として捉えるのではなく、むしろポリフォニーの楽曲として表現してみたい。異なる旋律や異なる歌詞が、重なりあったり追いかけあったりしながら進んでゆく音楽である。モーツァルトの「レクイエム」にも、第2楽章「主よ憐れみたまえ」などにポリフォニーの部分があるが、私の夢想する「新古今ポリフォニー」は、それよりもルネサンス時代の無伴奏声楽曲に近いか。

  藤原良経(テノール)
  藤原定家(テノール)
  藤原家隆(テノール)
  後鳥羽上皇(バリトン)
  慈円(バリトン)
  藤原俊成(バス)

  若草の宮内卿(ソプラノ)
  式子内親王(ソプラノ)
  下燃えの少将こと俊成卿女(ソプラノ)
  異浦の丹後(メゾ・ソプラノ)
  沖の石の讃岐(メゾ・ソプラノ)
  待宵の小侍従(アルト)

声楽パートの1つずつが歌人たちに対応し、各々の『新古今和歌集』入集作品を歌詞とする。同一声種の内では、筆頭の者の担当する音域が最も高く、順を追って低くなる。つまり、定家よりも良経の方が高く、式子内親王よりも宮内卿の方が高い。そしてこのアンサンブルに、カストラートの西行が絡んでくるのである。 # by nazohiko | 2006-07-30 00:56
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by nazohiko | 2006-07-30 00:56 | ☆旧ブログより論考・批評等
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