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藤原三大テノール(1)

 ……と言っても、「我らがテナー」と呼ばれた藤原義江(1898-1976)の話ではない。

 ここ数日で、塚本邦雄の『新古今新考:断崖の美学』(1981、花曜社)を読了した。よく似た名前の『新古今集新論:21世紀に生きる詩歌』(1995、岩波書店)とは、同じように連続講義を文字に起こした本ではあるが、全く別の内容だ。サブタイトルや刊行年代からも察しが付くように、今回読み終えたばかりの『新考』の方が、論述が幾分ハードで、口調も辛辣である。

 書題に「新古今」と銘打ってあるけれども、その重要な前史である「六百番歌合」と「千五百番歌合」に、塚本は多くの紙数を割く。むしろ歌合の読み方(厳密には「歌合の文字記録」を鑑賞する術)について、いろいろ示唆してくれることこそ、この本の妙味だと言っても過言ではあるまい。そうした中で、私が受け取った収穫は、まず「六百番歌合」の判詞(勝負判定とコメント)が、数々の出詠歌に勝るとも劣らぬ名筆、或いは怪筆であることを、懇切に教えられたことだ。

 歌道の家として対立しあう御子左家と六条家が、ここぞとばかり龍虎交戦するのを裁かなくてはならない一方で、後鳥羽上皇・藤原良経・慈円といったVIP参加者には、それなりに花を持たせなくてはならない(特に、上皇は必ず勝つというのが不文律だった)という、誠に骨の折れそうな審判役。それを藤原俊成(定家の父)は独りでこなしてみせただけでなく、「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」の一喝を初めとして、自身の言いたいこともコメントにしっかり盛り込んだのだから、いやはやデリケートとタフを兼ね備えた長老様である。

 自身の属する御子左家の出詠歌を称揚し、六条家を論難する言葉が目立つような判詞を綴っておきながら、勝ち負けの数について見れば、実は六条家の方を若干優勢にさせてあることを、塚本は指摘しているが、こんな所にも俊成の謀慮が窺い知れるのである。

 次に、歌合の勝負判定には「左勝」と「右勝」以外に「持」(引き分け)があるわけだが、一口に「持」と言っても、左右ともに秀歌であって優劣を付けられないという意味の「持」もあれば、凡作同士を両成敗するという意味の「持」もある。「六百番歌合」で俊成が担当した判詞では、「良き持に侍るべし」や「持などにて侍るべし」といった言葉遣いによって、「持」の諸相が柔軟にアピールされていること、また俊成が「良き持」を宣告した例は数少ないが、それは藤原良経と慈円の兄弟試合に集中していることを、私は塚本から教えられた。

 なるほど塚本の注記する通り、摂関家の兄弟として立場身分が等しかった二人であり、御子左家と六条家の対立に巻き込まれることもなかったという事情や、定家と良経が同じチーム(左方)に入っていたため、彼らの「頂上対決」はなかったという事情も、考慮しておくべきだろう。しかし、俊成に「良き持」を連発させるとは、さすが良経と慈円である。

 それから、この本の全体を通して、藤原家隆の作品に親しみを深めることができた。歌合にせよ勅撰和歌集にせよ、同一人物の作品が、随所に分散配置されているから、例えば『新古今和歌集』に掲載された個々の歌に感銘を受けても、その作者たちにまで関心が及びにくい。こうした理由もあってか、私は「藤原三大テノール」(定家・良経・家隆)の中でも、家隆の印象が格段に薄かったのだが。

 塚本による作品のピックアップや、評釈が刺激となって、私の裡で家隆という歌人の像が、だんだんと形を成していった一方で、「なんと、あの歌もこの歌も家隆の作であったか!」と驚かされることが、幾度もあった。

  霞立つ末の松山ほのぼのと波に離るる横雲の空

  志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有明の月

等々、誰の作品とも意識しないままに、それらの歌だけを深く記憶していたわけである。今はまだ、塚本の色眼鏡を介して家隆を眺めているに過ぎないが、これを契機に、もうちょっと歌人家隆を追いかけてみようかと思う。彼の家集『壬二集』は二万首も入っているそうなので、まずは『新古今和歌集』収録歌の読み直しから (^_^;

# by nazohiko | 2006-07-27 13:16
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by nazohiko | 2006-07-27 13:16 | ☆旧ブログより論考・批評等
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