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「若冲と江戸絵画」展 寸感(2)

 最後の展示室(第4室)では、伊藤若冲の作品も含めて、数多の屏風が展示されていた。光量や光色や入射方向が刻々と変わる照明を受けて、屏風は刻々と表情(具体的には照り・陰り・色調など)を変えてゆく。家具として、また金属工芸品(金箔や銀箔を多用する)としての、屏風の魅力を引き出してくれる展示方法であった。

 朝昼晩・晴曇雨雪・春夏秋冬に応じて、家屋の採光は当然に違ってくる。そして、屏風というものは、そもそも絵画作品である以前に、家具として愛でられるべきものなのだ。窓のない美術館に搬入されて、年中不変な照明の下で鑑賞に供するということを、想定して作られたものではない。今回このような展示方法が採られたことは、誠に正しいと言えるだろう。

 さて、一つ前の展示室(第3室)には「江戸の琳派」の作品が揃えられていた。そこを歩き巡っていた時には、いずれも「表現してくる声」(比喩的な表現でお茶を濁すが)に乏しい絵画だなと思い、「伸び悩み」や「ルーティーン化」といった言葉が、脳裡を去来したのだったが、上述の屏風展示室に踏み込むに至って、私は考えを改めるところがあった。

 採光の変転に伴って、屏風の見え方が異なってくるという状況にあっては、画家によってプリセットされた「声」が、あまり鮮明になりすぎない方が、時々刻々の光線に随って、無理のない千変万化を見せてくれることに気付いたのだ。逆に、若冲の描いた屏風は、その「雄弁」ぶりが、却って仇となってしまった。若冲の屏風は、照明のうつろいに肩肘張って抵抗するかのようであり、その抵抗は明らかに空しいものだった。

 江戸時代の琳派を初めとして、現代の美術館の照明の下では「ルーティーン」と決めつけられてしまいがちな画家たちは、案外老獪だったのかもしれない。第3室で見かけた時には、若冲らの作品に劣ると思われた琳派の屏風も、もし照明が刻々変化する第4室で鑑賞したならば、私は高い評価を捧げたかもしれないのである。

 若冲にせよ、他の画家たちにせよ、署名の書体や大小、また落款印の意匠が、作品によって違う。画面の「名脇役」として、「主役」との調和が図られているものと見受けられ、そのことを発見できたのも、今回の収穫であった。# by nazohiko | 2006-07-24 23:43
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by nazohiko | 2006-07-24 23:43 | ☆旧ブログより論考・批評等
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