by 謎彦 by なぞひこ
by Nazohiko


「若冲と江戸絵画」展 寸感

 東京国立博物館で「若冲と江戸絵画」展を覧た。

 私は江戸時代後期(19世紀)に続々と作られた、実用に適さないほど豪華な博物図譜が好きで、そうした肉筆の多色図譜は、蘭学の興隆と共に、外来の絵画潮流として突如出現したものだと、十年このかた勝手に思い込んできたのだが……。伊藤若冲を初めとする江戸中期(18世紀)の絵画作品を、今回まとまった形で鑑賞するに及んで、私の脳裡にプリント配線された美術史は、回路の繋ぎ換えを要するかもしれなくなった。

 若冲がカラーで描いた動物や植物と、後年の豪華本博物図譜では、配色法が明らかに類似している。また、あくまで「科学的な写実性(reality)」を旨とする豪華本博物図譜と、「美術的な実在感(actuality)」を追求したと見受けられる若冲絵画は、このようにスタンスにおいては異質なのであろうけれども、しかし「描画の結果として達成された正確さ(exactness)や生彩(aliveness)」という点に着目すれば、両者の距離は、ほんの一跨ぎを残すだけではないのか。

 「エキセントリック」というタイトルの下に展示された若冲の作品群に限らず、展覧会の企画者が穏当に「京の画家」や「江戸の画家」と呼んだ者たちや、或いは彼らによって「正統派画家」のレッテルを貼られた者たちの作品にしても、やはり「豪華本博物図譜の前史」として捉えることを拒まないような要素を、多かれ少なかれ備えているようであった。構図然り、運筆然り、配色また然り。もちろん、彼らはいずれも蘭方医や本草学者ではなく、ひたすら「美術家としての意欲と必要」に導かれて、結果的に「博物図譜に似た絵画」を生み出したに過ぎないのだけれども。

 一方で、以上のように仮説するならば、蘭学の導入が本格化してすぐに、和製の博物図譜が爆発的に制作されたことや、それらが豪華路線を暴走していったことに対して、説明を与えることができる。

 曰く、次代の絵画表現を模索しながら、若冲を初めとする江戸中期の画家たちが、かなりの程度まで準備しておいた諸々があったからこそ、江戸後期の画家は博物図譜という新しいフィールドに、堰を切ったごとく流れ込むことができた。そして、日本においては「博物図譜の前史」が、若冲らによって、専ら美術史の領域で成熟させられ、科学史の領域では目ぼしい「前史」(解剖図などの発達)が刻まれていなかったゆえに、和製の博物図譜は、美術作品としての性格に傾くことになったのである……。博物図譜という形式に、若冲らの美術技法が摂取されていったとも言えるし、若冲らの美術精神に、博物図譜が籠絡されたとも言えるわけだ。

 仮説を提出したからには、それを自力で検証するか、既に検証した人を探すかしなければならない。# by nazohiko | 2006-07-23 23:25
[PR]
by nazohiko | 2006-07-23 23:25 | ☆旧ブログより論考・批評等
<< 「若冲と江戸絵画」展 寸感(2) ベートーヴェンの第3交響曲 >>