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「文人」とは誰か(1)

 『宋詩概説』に続いて岩波文庫に入った、同じく吉川幸次郎の『元明詩概説』を読み終えました。今度は元朝時代(1276~1368)と明朝時代(1368~1644)の中国詩を扱った1冊です。

 例によって、当該時代の詩人を年代順に紹介することを、主な使命とした著作であり、吉川の文学史観が体系的に語られることはありません。また、論述的というより話題羅列式の筆致であるために、詩人や作風をグルーピングしたり、他の時代と対比したりする場合に、えてしてステロタイプの提示に止まり、掘り下げを欠いてしまうのですが……。このような点への不満感はともかく、私にとって興味深く思われたのは、前著『宋詩概説』には登場しなかった「文人」というキーワードです。

 前著では、唐朝時代(618-907)から宋朝時代(960-1276)への変転が、世襲貴族が君臨していた時代から、エリート官僚が手腕を振るう時代への転換であるという話、そして国政におけるこうした主役交代に伴い、詩作の担い手も入れ替わったために、唐詩と宋詩が内容傾向を異にするのだという話が、見え隠れする主題となっていました。吉川は引き続き『元明詩概説』において、宋朝時代から元朝時代への変転を経て、エリート官僚だけでなく「市民」(農民・工匠・商人の総称らしい)も詩作の担い手として成長し、やがてその中から「文人」が現れたという史観を覗かせています。

 吉川が「文人」と呼ぶのは、「文学を至上とし、芸術を至上として生きる態度」を持ち、それゆえに「芸術家としての特権を主張し、常識にこだわらない」生活を送った「市民」たちのことです。そもそも「文人」という語彙は、元朝時代に出現したこの種の人物を指す言葉として、当時の中国に普及したものだとか。エリート官僚の生み出す詩が、作者の社会的立場や思想的立場(受験科目でもあった儒学の高い学識)を反映して、為政への関心や学殖や哲理を、好んで詠み込んでいたのに対し、「文人」たちの詩風は非政治的・非哲学的であり、むしろ書道・絵画など、他の芸術ジャンルへと関心を広げてゆきました。

 吉川によれば、中国の文明は一貫して、文芸を必須の要素に数えてはきましたが、あくまで哲学や政治の営みと連携する存在、或いはそれらの下に立つ存在であり、文芸が単独で価値を主張することはなかったのです。エリート官僚の時代が本格的に到来する以前から、「詩人は、同時に哲学と政治に対して能力と責任を持つことによって、よりよき詩人である」と強く意識されていました。例えば、宋朝時代前半の代表的な詩人とされる欧陽修・王安石・蘇軾が、詩人である以前に為政者を自認し、儒学者を自負していたことについて、吉川は『宋詩概説』と『元明詩概説』の両方で注意喚起しています。欧陽修や王安石は宰相にまで昇った大官であり、現在では儒学者としての名声が最も高いかもしれません(儒学は、今でいう憲法学や政治学の側面を持ちます)。逆に言えば、社会的立場・思想的立場・文芸観のいずれにおいても「エリート官僚的」ではない詩人が、つまり「文人」ということになるでしょう。

 モンゴル人を中心とする王朝だった元朝にあっては、漢民族が官界から閉め出されがちであったこと、そして明朝にあっては、文化政策として粗剛・粗暴を尊びがちであったことが、多くの人材に「市民」生活を選ばせる結果になり、その成熟が非政治的・非哲学的な詩人たちの出現に繋がったのだという背景説明を含めて、『元明詩概説』は中国近世における「文人」のありようを、一応の情報量で私たちに伝えてくれます。それにしても、現在の日本で「文人趣味」「文人画」「文人短歌」などと言う場合の「文人」とは、言葉の使われ方に違いがあるようですね。

 稿を改めて、吉川の描いた「文人」と日本語の「文人」の違いについて、思いつくところを挙げてみたいと思います。# by nazohiko | 2006-06-18 08:42
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by nazohiko | 2006-06-18 08:42 | ☆旧ブログより論考・批評等
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