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短詩形の文芸についての「書きやすさ」

和歌・俳諧・漢詩といった短い文芸作品について、思いついたこと、思い至ったこと、思い出したことを「ジャポン玉」に綴ってみる場合と、小説やクラシック音楽について草してみる場合では、或る意味での「書きやすさ」に違いを感じるものです。

和歌の内でも長歌、漢詩の内でも古詩体の作品には、幾らか長いものがあるとはいえ、白居易の「長恨歌」でもせいぜい840字(句末にテンマルを付けても980字分)ですから、いま話題にしている作品を、拙文の中で全文紹介することが容易です。ゆえに、短詩形の文芸について何事かを書こうという場合には、例えば「万葉集の巻15に集められた遣新羅使たちの歌」とだけ言及しても「うん、あれだったら暗誦できるネ」と頷いて下さる方から、和歌というものには初めて触れるという方にまで、そうした意味では全く安心して進上することができます。

一方で、小説のように全文引用がほとんど不可能な文芸作品や、まして音楽作品について随筆や論考を試みる場合には、拙文の中で全貌を紹介することを諦めなくてはなりません。

ネット上に文章を発表するのであれば、話題にしたい小説や音楽が、HTMLファイルやMP3ファイルとして公開されている所へのリンクを附す、という手段もあるにはありますが、クラシック音楽など結構な長さを持っていますから、「先にこの小説に目を通しておいて下さい」「予めこの楽曲を耳にしておいて下さい」と注記しても、皆さんが受け入れて下さるとは期待できません。仮にそのようなお願いが通用したとしても、長篇小説や長大な交響曲を一読一聴しただけで、自分なりに全体像を掴んでしまえるという方は、かなり少なさそうです(和歌や俳諧の読解も、決してお手軽にはできないことですが)。「さあ今から、先程お聴かせした変奏曲について語らせていただきます」と私が言い出したところで、どれほどの人数に腰を下ろしてもらえるでしょうか。

いや、拙文の中で話題にする音楽作品のことを、隅から隅まで知り尽くしているヨという方を、読者にお迎えした場合ですら、必ずしも「書きにくさ」はゼロにならないと思います。

この上ないほど人口に膾炙した小説、例えば森鴎外の『舞姫』に言及する場合ならば、要所要所を引用しながら、文を進めてゆけば済むことです。『舞姫』という作品に関する読者各位の記憶や思い入れを、引用された鴎外の言葉そのものが十全に刺激してくれますから。

しかし、如何によく知られていようとも、音楽作品を扱おうという場合には、そうもゆきません。かつて耽読した音楽之友社の『名曲解説全集』でもない限り、ハイパーリンク全盛の今日とはいえ、楽曲を構成する1つ1つのメロディをMP3にして、拙文の中にばらまくのは、避けておきたいからです。リマインダーとしての引用という形で、小説を途中から読まされて、途中で読み止めさせられることに抵抗はありませんが、音楽を途中から聴かされて、途中で止められることには抵抗があります。ですから、拙文そのものを刺激材料として、音楽作品を鮮明に思い起こしてもらえるよう、努めなくてはなりません。拙文そのものが、ハイパーリンクを兼ねていなければならないということです。

私は塚本邦雄氏を、音楽作品の談じ手としても愛繙するのですが、私が聴いたことのない楽曲について語られていながら、ついぞ疎外感を与えられることがなく、むしろ塚本の「演奏」を通じて、その曲を聴かされたと錯覚するような、満足感や昂揚感を得ることが多々あります。音楽学者の前田昭雄氏も、その意味で「読みやすい」文章を書く人だと思います。

但し、塚本氏や前田氏のそうした技倆は、さすがに卓越したものではありますが、私がここでいう「書きにくさ」の問題を、必ずしも正面からクリアしてしまえるものではありません。むしろ、塚本氏や前田氏が言葉で語ったことだけに拠って、ダミアのシャンソンやシューマンの交響曲について「鮮やかな」イメージを抱き、CDや演奏会で実聴してみようと思わないような読者が蔓延してしまうとすれば、とても由々しいことです。# by nazohiko | 2006-06-10 00:39
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by nazohiko | 2006-06-10 00:39 | ☆旧ブログより論考・批評等
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