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ぬかみそつぼ

・秋の色ぬかみそつぼもなかりけり   芭蕉

「庵に懸けむとて、句空が描かせける兼好の絵に」と題されている。兼好は、言うまでもなく『徒然草』の筆者であり、国文学者の島内裕子氏によれば、この句は『徒然草』第98段の

・後世を思はん者は、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまじきことなり。

を踏まえているという。また、それぞれ寂蓮と藤原定家の歌

・寂しさはその色としもなかりけり槇立つ山の秋の夕暮れ
・見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ

も視野に入っているという。首肯するべきであろう。

塚本邦雄が「花も紅葉も」の歌について、繰り返し繰り返し語ったように、「なかりけり」と否定されるがゆえにこそ、赤々とした花や葉の幻が、却って鮮烈に浮かび上がることになる。

まして「ぬかみそつぼ」が「なかりけり」だというのである。「なかりけり」と宣告されることによって、「ぬかみそ」の臭気はいよいよ壮んとなり、幻の発酵臭は草庵いっぱいに瀰漫するだろう。

「ぬかみそつぼ」の質感、湿り気を帯びた重量感についても同様だ。なおかつ、ご丁寧にも「ぬかみそもなかりけり」ではなく「ぬかみそつぼもなかりけり」と運筆されたおかげで、「ぬかみそ」の質感・重量感と「つぼ」の質感・重量感が、二段重ねになって私たちに迫ってくるのである。まさか「ぬかみそつぼ」が、「ぬかみそを入れるために作られたが、今のところ空っぽの壺」を指しているわけではなかろうから。

私たちは所謂「五感」のうち、およそ8割を視覚に依存していると聞かされたことがある。「8割」が何に対する割合なのか、そもそも誰が言い出した説なのか、さっぱり分からないけれども、大ざっぱな印象としてなら、とりあえず納得できなくはない。だからこそ、若き日の定家が「なかりけり」のレトリックを試すにあたり、「花も紅葉もなかりけり」と視覚に訴えたのも、順当なことだったと言えよう。

しかし、私たちの依存度が低いとされる嗅覚や触覚に訴えていながら、この芭蕉の句は、定家の歌に勝るとも劣らないほど「なかりけり」の逆説的効果を誇ってはいないか。

快い香気や感触であるとは言い難い「ぬかみそ」を持ち出してきたから、そうなり得たのかもしれないし、或いは「花」と「紅葉」が並列関係に止まるのに対して、「ぬかみそ」と「つぼ」は重層関係を組んでいるという違いに助けられているのかもしれない。ただ、とにもかくにも、もし「花も紅葉もなかりけり」と「ぬかみそつぼもなかりけり」を読み比べた場合で、それぞれ脳細胞の興奮具合でも測定することができたならば、「ぬかみそつぼ」は「花と紅葉」以上にメーターを揺らすかもしれないと思うのである。

さて、冒頭の「秋の色」というのが具体的に何色なのか、或いは何物の色なのか、具体的には示されていないが、「ぬかみそ」や「ぬかみそつぼ」の色合い(壺はブラウン系か白色か?)だけでなく、「ぬかみそ」の臭気や「ぬかみそつぼ」の質感や重量感まで、あたかも「秋の色」という語の中に吸い込まれてゆくかのように、この句では感ぜられる。「秋」という空間感と、「ぬかみそつぼ」の臭気・質感・重量感は、奇しくも「色」という共感覚のチャンネルにおいて、絶妙に繋がってしまい、そのまま前者が後者を呑み込んでしまうということである。

言い換えれば、「ぬかみそつぼもなかりけり」の鋭敏なレトリックを、柔和な表情で受け止めながら、一句の作品世界を完結に導くもの(母性のような、と表現したら叱られるかな?)として、一見ぶっきらぼうに置かれた言葉「秋の色」は機能しているようだ。このあたりにも、定家の歌とはちょっと違った魅力が備わっている。

# by nazohiko | 2006-06-08 09:12
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by nazohiko | 2006-06-08 09:12 | ☆旧ブログより論考・批評等
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