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うちゅうのことばはテレパシー♪

教育テレビ史上、屈指の迷曲「うちゅうじんのテレパシー」に、
こんな歌詞がありましたけど、それはともかく。

和歌にまつわる伝説をひもといてみると、
神々や亡霊が、人間に言葉をかけてくる時、
それがしばしば、五七五七七の形式を取っていることに気づきます。
かつて和歌は朗詠するものでしたから、
その意味でも日常会話とは異なる、神聖な通信プロトコルとして、
和歌には、一目が置かれていたというわけですね。

和泉式部が熊野権現に
 ・晴やらぬ身のうき雲のたなびきて月のさはりとなるがかなしき
と呼びかけたところ、当夜の夢に権現が現れて、
 ・もとよりも塵にまじはる神なれば月のさはりも何かくるしき
と返歌したとか。

これまた和泉式部が、
 ・もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る
と嘆息すれば、今度は貴船明神から
 ・奥山にたぎりておつる滝つ瀬のたまちる許ものな思ひそ
とレスポンスがあったとか。

神々とこのように交唱したと謳われる和泉式部に対して、
和歌でメッセージを送ってきた亡霊の代表選手は、藤原義孝でしょう。
百人一首にも入集している義孝は、若くして死去した後、
賀縁という僧侶や、妹や母親の夢枕に立ち、
 ・時雨には千種の花ぞ散りまがふなに故郷の袖濡らすらむ
 ・着て馴れし衣の袖もかわかぬに別れし秋になりにけるかな
 ・しかばかり契りしものを渡り川かへるほどには忘るべしやは
と、それぞれに向かって1首ずつ詠んだのだそうで。

義孝の奇譚は、『大鏡』や『今昔物語』などに載っていますが、
面白いことに、和歌の秀作選であり政府刊行物でもある、
勅撰和歌集にまで、これら神々や亡霊の作品が収められています。

熊野権現や貴船明神の「御製」は、和泉式部のエピソードを詞書として、
それぞれ『風雅和歌集』と『後拾遺和歌集』の神祇部に並んでいますし、
義孝の亡霊が詠んだとされる歌も、『後拾遺和歌集』に、
「義孝の母が夢で聞いた歌」や「大鏡に出てくる歌」などとは称されず、
他ならぬ義孝自身の作品として、入集しているのでした。

『後拾遺和歌集』には、長文の詞書が多いことで知られますが、
これはつまり、ひとつひとつの和歌が成立した背景に、
撰者の藤原通俊が、並々ならぬ興味を寄せていたということです。
そうした中で、神々や亡霊が和歌を詠んだというエピソードや、
その時の作品が、セットを成していくつも採録されたというわけです。# by nazohiko | 2006-04-30 00:47
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by nazohiko | 2006-04-30 00:47 | ☆旧ブログより論考・批評等
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