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安土城ラヴ

遠い昔に消え失せてしまった建造物を、1つだけ訪れることができるとしたら、迷わず安土城を選ぶ。

天主閣(天守閣)は、内部が巨大な吹き抜けとなっており、その中央に宝塔が鎮座する。2階では、舞台が吹き抜けの空間に突き出ている。織田信長が居住した3階には、吹き抜けを跨ぐように橋が架かっている。八角形に作られた朱塗りの5階は、地獄と極楽を表す仏堂となっており、金色づくしの最上階(6階)には、儒教の聖賢や道教の神仙が、四方に描かれている。

安土城の建築構造については異説もあるが、いずれにせよ信長という人物が、日本史上に二度と現れなかったのと同様に、安土城のような天守閣は二度と現れることがなかった。それは空前絶後の「夢の城」だったのである。随所に奇抜な趣向が凝らされたこと以前に、そもそも日本で初めて2階以上を生活の場としたのは、信長が初めてだったとも言われる(弥生時代以来の高床式住居は、これに含めない)。

豊臣秀吉も徳川家康も、信長に倣うことなく「1階の住人」に徹した。中国皇帝も朝鮮王も、判で押したように1階で生まれて、1階で死んだのだが、琉球国の宮殿として造られた首里城では、代々の王が正殿の2階に住んでいた。現在の首里城の正殿は、1712年に落成したもの(1945焼失、1992復元)である。1階の中央に「御差床(うさすか)」と呼ばれる玉座があるが、その背後には専用階段が設けられており、王はここを通って2階から登場したのだという。いったん2階より降りてきてから、廊下を歩いて玉座に向かったのではない。階段を下ってゆくと、そこに玉座があるのである。

漱石門下の異端児だった内田百間の随筆に、隠退後の吉田茂に招かれて、大磯の吉田邸を訪れた話が出てくる。応接間の中に、2階に通じる階段が設けられており、変わった間取りもあるものだと思っているうちに、そこから主人の吉田が降りてきた。百間はこれを、吉田の生活空間と応接間を直結する「御成(おなり)階段」だと表現した。宝塚スターのような登場シーンを好んだ琉球王も琉球王、吉田も吉田なら、それを面白がって随筆に書き残した百間も百間だ。私は、みんな大好きである。# by nazohiko | 2006-10-06 00:57
by nazohiko | 2006-10-06 00:57 | ☆旧ブログより随想・雑記等
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